今回は「生きづらさ」と「承認」の問題を考えてみようと思います。
前半では「承認と生きづらさの関係」「承認と自尊の関係」を考えます。
後半では「ただ生きているだけで生が否定されてしまう社会構造」を批判的に問題にし、それにかわる「すべての生が無条件に承認される社会」へと転換するためには何が必要なのかを考察したいと思います。 *1
- すべての生が否定されない社会
- 「生きづらさ」と「承認」の関係
- 「貧困」と「社会的排除/包摂」
- 三つの承認形式
- 「尊重」としての承認(基底的承認)
- 「愛情」としての承認(感情的承認=本質的承認)
- 「評価」としての承認(属性的=機能的=価格的承認)
- 「生きづらさ」と「自尊」の関係
- 「自尊」を構成する三つの承認形式
- 承認形式の見取り図
- 「ただ生きている」だけで生が否定されてしまう社会
- すべての生が無条件に承認される社会へ
- 脚注
*1: 今回の記事の趣旨について…
相模原障害者殺傷事件が起こってからもうすぐ一年になります。そこで自分なりに一年間考えてきたことをまとめようと思いました。(一年分のまとめなので長くなりました。)
長いので目次を作成し、読みやすいように小見出しと改行で多めに区切り、図を挿入しました。最初から最後まで読む人はいないと思うので大事だと思うところは嫌になるほど何度も同じことを繰り返し説明しています。