おんざまゆげ

@スラッカーの思想

「コミュ力」以前の問題系が語られていない問題

 

いわゆる「コミュ障」などと一括して問題にされてしまうことの弊害。

そこにはいろんなグラデーションがある。

 

 

テキパキできない・愛想がよくできない・要領がよくできない

 

テキパキしていない人、愛想も要領も悪い人が働く場が排除されることで成立するような社会は、たとえ便利で快適でも、理想の社会と呼んではいけないように私は思う。今までのようなやり方で便利さや快適さを蒸留し続けても、今以上に息苦しい社会がやって来るだけではないか。どこかで、新しいかたちで、揺り戻しがあって欲しい。

 

テキパキしてない人、愛想も要領も悪い人はどこへ行ったの? - シロクマの屑籠

 

 

 内向的な人・消極的な人

 

外交的な人たちだけに有利な社会を作ることは、内向的な人たちの能力をそぐもので社会にとってもマイナスであると彼女は主張している。

 

社交的であるべきという強迫観念を持っている人、それに苦しんでいる人に見て欲しいTED動画 スーザン・ケイン 「内向的な人が秘めている力」 - あれこれ備忘録@はてなブログ

 

 

大人の「発達障害

 

昔なら農作業やものづくりなど地道にやっていくことで、コミュニケーション力がなくても目立つことがなかった。今はコミュニケーション力が求められるようになってきて、ちょっとしたミスが追及されて、受け入れてもらえるような許容、妥協がすごく厳しくなっている。

 

blogos.com

 

 

吃音・吃り

 

 少なくとも企業の採用面接官は、やたらと漠然とした「コミュニケーション能力」という優先順位を高めるのはどうぞご自由にだが、その前に不可抗力でコミュニケーションのスタートがうまくいかない吃音を、正しく理解しておかなければいけない。

 

www.huffingtonpost.jp

 

 

不器用な人

 

 河添誠氏は、「不器用さ」のグラデーションと「貧困」のグラデーションは一致している割合が高く、就活などにおいてコミュニケーション能力を偏重するあまりに、そもそもが「不器用な人」は労働市場から排除されてしまうことを指摘している。

(「不器用さ」は排除されても仕方がないか—若者の「自立」をめぐってー『「生きづらさ」の臨界ー“溜め”のある社会へ』)  

 

「生きづらさ」の臨界―“溜め”のある社会へ

「生きづらさ」の臨界―“溜め”のある社会へ

 

 

 《重篤な精神的・知的・肉体的疾患をもっていれば、病院・作業所・デイサービス・家族と、社会のなかには市場外の避難所が一定程度用意されている≫のだが、そこでカバーされない人たちは、刑務所・ホームレス・自死などの選択肢しかない。

河添氏の「不器用さ」に関連するのが山本譲司氏の以下の書籍。

 

累犯障害者 (新潮文庫)

累犯障害者 (新潮文庫)

 
獄窓記 (新潮文庫)

獄窓記 (新潮文庫)

 

 

 

漫画家の山田花子は「自殺直前日記」において、次のように言っている。

 

私にとっての「真のユートピア」とは、お互いにそれぞれの分(生活のペース、能力、性格など)を認め合い、バカはバカなりに、ブスはブスなりに、無理せずに生きていける世の中である。