おんざまゆげ

@スラッカーの思想

「キリンの首」と「センス・オブ・ワンダー」

 

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 キリンが実は1種ではなく4種だった…

 

 そんなことより、キリンの首はなぜ長いのか、という謎の方に驚きを感じます。

 進化論的な説明を聞いても、まったくその謎は解決しない。

 謎は謎のまま、驚きは驚きのままです。

 進化論的記述は、「どのようにそうなったのか」ということを説明してますが、「なぜ?」という疑問にかんしては答えてくれません。

 キリンの首はなぜ長いのか…。

 「偶然そうなった」としかいいようがありませんが、それにしてもあの首は長すぎます。(ゾウの鼻もしかりですが…)

 

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 そのような解決不能な驚きを「センス・オブ・ワンダー*1と言ったりしますが、すべての生物というのはそのセンス・オブ・ワンダーに満ちているといってもいいと思います。(自然環境も含まれるかもしれません)

 「世界に一つだけの花」の歌詞でも「花屋の店先に並んだいろんな花をみていた」ところ、「花」の「センス・オブ・ワンダー」に圧倒され、ここから「人間もそういう存在なんだ」という流れになっています。

 「その人は世界に一人しかいない」というのはまさに「センス・オブ・ワンダー」です。 *2

  

 センス・オブ・ワンダーとは、「考えること」ではなく「感じること」。

 ブルース・リーが言っていたように、身体性に開かれた感覚。

 音楽を聴いて感動するときのあの感覚です。

 だから、言語では伝達不能であり、「あれ」とか「それ」とか「あの感覚」としか言いようがないのです。(音楽や詩や芸術があるのは「それ」を伝えるためだと思う。)

 たとえば、「秋だなぁ~」と感じるときの「あれ」「あの感覚」です。

 

 「キリンの首」や「花」以外にもいろいろあります。

 「夜空の星」「雲のかたち」「太陽の眩しさ」…

 「葉っぱ」「水」「河原の石」「風」…

 「虫の鳴き声」「クモの巣  *3」…など

 

*1: レイチェル・カーソンの著作『センス・オブ・ワンダー(The Sense of Wonder)』より

*2: たとえば、台所にゴキブリが一匹いたとする。「そのゴキブリ」は間違いなく「世界に一匹だけのゴキブリ」である。この地球が誕生して以来、過去にもこの先の未来にも存在することのない唯一無二な存在者である。従って「かけがえのなさ」は人間にだけあるのではなく、個体(生物)や個物(モノ)には必ず宿っているのだ。同じように見えるものであっても、一つ二つ(あるいはA、B、C)と個数でカウントできるものには、必ず個別性(固有性)としての「かけがえのなさ」が生じることになる。

  さて、あなたは「そのゴキブリ」を殺せるだろうか。もし「そのゴキブリ」を殺してしまったら、世界に一匹だけのそのゴキブリはこの世界から消滅するだろう。過去にも未来にも存在することのない世界で唯一無二の「そのゴキブリ」をあなたは消滅させるのだ。

  しかし、人間が生きるということは数限りない生命の殺生の上に成り立っているのだから、今さら「そのゴキブリ」を殺すかどうかについて考えるなどということは、しごく都合がいい話ではないか。こんなことをいちいち考えていたら、人間は何も食すことができなくなってしまう。この先にあるのはジャイナ教という戒律の厳しい宗教世界だけだ。そう考えると、僕という存在の罪深さに気づく。呼吸は罪である。

  僕はその圧倒的な存在感をもつ「そのゴキブリ」を殺すことができない。勢いで殺したとしても、その後に後悔することになる。しかし、僕が「そのゴキブリ」を殺さなかったとしても、僕は「そのゴキブリ」と同じような「かけがえのない命」を食べて生きている。のうのうと図々しく料理し、食べ、「オイシイ」と感じたりしている。これは「いただきます」と言えば免罪されることなのだろうか…。

*3: クモの種類は性質によって大きく二つに分けることができる。一つは、網をつくる造網性のクモ。もう一つは、網を造らず地を這いずり回る徘徊性のクモ。造網性のクモにとって網は、巣(住居)であり、同時に虫を捕る役目も果す。したがって、自分でつくった網の巣は、クモにとって全生活スペースであり、全世界でもある。

 造網性のクモはどのようにして巣をつくるのか。放射状の巣をつくるクモを例に紹介する。まず、最初は土台をつくる。この始めの一歩をどうやってつくるのか。糸を空中にたらし、その糸を風まかせにどこかにくっつける。もしくは、逆に自分が風まかせにブラブラとブランコ状態になり、どこかにつかまる。その後、たるんだ糸を引き締める。これが網をつくる上での基本線になる。始めの一歩は風まかせ、自然任せ、他力本願なのである。

 次に、その基本線を頼りに外枠をつくる。外枠をつくったら、今度は糸を四方八方に引いて縦糸をつくる。縦糸ができたら、次は横糸だ。横糸には、縦糸にはないネバネバした粘球がついている。獲物はこのネバネバによって逃げられなくなるしくみだ。横糸は二段階方式でつくる。まず、ネバネバのない横糸(足場糸)をつくる。足場糸は、巣の中心から外に向かって廻りながら渦巻き状につくっていく。次に、その足場糸を伝いながら今度は外側から内側に向かってネバネバ(粘球)のついた糸を細かく引いていく。以上で円網のできあがり。(ちなみにクモ自身がクモの巣に絡まらないのは、ネバネバのない縦糸をつたっているからだ)

 ちなみにコガネグモジョロウグモは、一度つくると何日も同じ網を使用する。が、オニグモは毎日夕方、網を張り、必ず翌朝こわしてしまうという。リホームはしない主義らしい。律儀である。