おんざまゆげ

@スラッカーの思想

「死刑制度」の問題点 〜 国家の自由裁量と「秘密主義」〜

 

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 死刑制度はいずれ廃止すべきだと思いますが、ただいきなり廃止を目指すのは不可能だと思っています。やはりイギリスでやったように、死刑執行の停止(モラトリアム)をまずは行って、段階的に廃止に向かうのが現実的だと考えます。

 イギリスは、1965年に時限立法で5年間の死刑執行停止を行い、1969年に死刑制度を廃止しました。当時のイギリスの死刑賛成者は84%だったそうです。 *1 

 

 

 1981年9月、フランスでは国民世論の62%が死刑廃止に反対(33%が廃止に賛成)し、マスコミの多くが世論に賛成する中で死刑が廃止された。これは、当時の法務大臣ダンテール氏の強力なイニシアティブの結果であった。これによってただ一人しかいなかった死刑執行人は職を失い、“人道的に”人間を殺すために作られた有名なギロチンはパリの警察博物館に陳列されるようになった。(ヨンパルト,秋葉 [2006:p189])*2    *3

  

 

 

 

死刑制度、三つの視点

 

 死刑制度の問題は、三権分立に対応して以下の三つに分けられます。

 (1)死刑制度の是非(立法)

 (2)死刑判決(司法)

 (3)死刑執行(行政)

 

 存置派と廃止派がガチンコで論争する(1)は現実的ではないので、存置派も廃止派も共に問題にできる(3)をまずは議論するのがよいのではないでしょうか。

 以下では(3)の日本の死刑執行の問題点を考えてみます。

 

 

 

死刑執行の恣意性(自由裁量)

 

 まず、形式的な実定法上の問題。

 

 

 日本の実定法、より正確に言えば、日本の「成文法」によれば、法務大臣は「判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない」(刑事訴訟法第四七五条 第二項)となっており、従ってこれによれば、六ヶ月以内に死刑判決を執行するのが法務大臣の義務であることになる。

 

 ところが、この規定は刑法解釈論の問題としても、運用の問題としても、拘束力をもつものと理解されていないのが現状である。これによって、死刑確定者の生命は、結果的に法務大臣の自由裁量に任せられていることになる。…(ヨンパルト [1990:p193-194])

 

 

 

 以上の点について、法務省はどのような見解を持っているのでしょうか。

 千葉景子氏が法務大臣になる遥か以前に、その点に関して質問している議事録があったので下記に引用しておきます。

 

 

千葉景子

 ところで、今手続をお聞きしたわけですけれども、この執行につきましては、刑訴法によりますと、確定判決がありましてから六ヶ月以内に執行命令を出さなければいけないということになっておろうかと思うんですけれども、これは過去の例などを私も知る限りで見るところ、六ヶ月以内になされているとは必ずしもないと言っていいんじゃないかと思うんですが、これはどういう理由によるものでしょうか。

 

◯政府委員(岡村泰孝君)

 裁判が確定いたしますと、これを迅速に執行しなければならないということは申すまでもないところでございます。そういう趣旨から見まして、刑事訴訟法は死刑の執行につきましても、「判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。」と規定しているところであります。もっとも、この刑事訴訟法も再審の請求等がなされている期間は、この六ヶ月の期間に算入しないということを定めているところでございます。

 

 ところで、死刑執行につきましては、先ほど来申し上げましたように、確定判決が死刑でありましてもこれを執行するに当たりましては、さらに法務省刑事局におきまして慎重にいろいろの角度から検討をいたしているところでございます。

 

 そういう点から見まして、何が何でも六ヶ月以内に執行しなければいけないんだというものではないと思うのでございまして、死刑囚の心情の安定といったことも考えなければいけないであろうかと思いますし、手続きにさらに慎重を期すという考えで、この死刑事件に対処をいたしているところから、刑事訴訟法の定めております六ヶ月以内に執行できない事例も間々、間々といいますか多くあるということであります。~第112回 国会参院法務委員会 昭和63年4月26日~(三原 [2001:p291])

 

 

 

 

現行の死刑執行には三つの隠された様態がある

 

 

 …「罪刑法定主義」、「法の支配」、「人権の尊重」という視点から考えると、次のような問題点を指摘しうる。まず、刑法によれば、死刑には一種類しかないが、現行の執行態様には次の三つがある。…

 

(イ) 死刑判決が確定してから6ヶ月以内に執行される場合、

(ロ) 何年か経過してから執行される場合 (死刑プラス数年間にわたる恐怖の自由刑)

(ハ) 帝銀事件の平沢貞通氏のように、獄死によって執行されない場合

 

 …そして、この三つのうちのいずれを選択するかは、その時の法務大臣とその「顧問たち」の自由裁量に委ねられているのである。(ヨンパルト,秋葉 [2006:p185-186])

 

 

 

 

 死刑執行数の不自然さ

 

 

(A) 1963-69年 12 0 4 4 23 0 18
(B) 1979-85年 1 1 1 1 1 1 3
(C) 1987-93年 2 2 1 0 0 0 7

 

 …(A)の統計を見ると、そのアンバランスが特に際立っているのに対して、(B)では6年も続けて不自然な完全なバランス(毎年一人)が保たれている。…

 

 (C)では3年間の死刑執行のモラトリアムが設けられたが、それも法律とは無関係に、執行命令担当者がこのように定めたからであろう。死刑存置論者がそれをどの程度問題にしたかは不明であるが、周知のように、翌年になると絞首台はまたラッシュアワーとなった(7人)。(ヨンパルト,秋葉 [2006:p186])

 

 

 

 

法務大臣の驚くべき証言

  

・秦野 章氏のケース

 

 1987年、元法務大臣秦野章氏は、なぜ帝銀事件の平沢氏に対する死刑執行命令を出さなかったのかという質問に対して、次のように答えた。「私がハンコをつかなかった理由は、一つは私が法務大臣になるまで、多くの法務大臣が押さなかったものをあえて押すのはどうも、という気持ちがあったことと、現実に下の者が書類を回してこなかったこと、の二つです」。週刊新潮 1987年5月21日号 39項)

 

 …もしこの発言をそのまま信じるとすれば、次のように言わざるをえないであろう。すなわち、仮に犯罪者であっても一人の人間の生命を奪ったり奪わなかったりするのは、その時の法務大臣の気持ち(「…という気持ちがあったこと」)と、法務大臣の部下が書類を回すかどうか(「下の者が書類を回してこなかったこと」)という理由(?)以外の何ものでもないということになる。(ヨンパルト,秋葉 [2006:p187])

 

 

 

 ・鳩山邦夫氏のケース

 

 … 弁護団が再審に向けた準備を進めて鳩山に執行延期を求める要望書を提出していた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の死刑囚である宮崎勤について、「事件の残虐性を考えると執行を猶予することはできない」として死刑を執行した。

 鳩山は、2010年(平成22年)末に番組のインタビューの中で「最も凶悪な事犯の一つだと思うから、宮崎を執行すべきと思うが検討しろと。私から指示しました、実は」と、当時の経緯を述べた 鳩山邦夫 - Wikipedia

 

 

 

 

 

日本の死刑執行は「法の支配」ではなく「人の支配」

 

 

 死刑は文字通り人間の生死に関わる問題であるから、一人の人間生命をーー 罰であるにしても ーー 奪うべきかどうかを判断するには、またそれを執行するためには、はっきりした基準がどうしても必要である。

 

 …(日本の死刑制度)は非常に幅広い自由裁量によって運用されるため、人間の生命は「法の支配」の下におかれているというよりも、(命令される執行人を除いて)その制度の関係者の支配の下におかれていると言えよう。…

 

 …法律的に考えると、権力者に与えられた人間の生命に関するこのような自由裁量は、それが大きければ大きい程、「恣意」に代わり得るのは当然である。近代的な意味での「法治国家(Rechtsstaat)」理念の狙いは、正に権力を行使する人間の恣意を排除することにあるが日本の死刑制度のこれまでの運用をみると、どれ程この恣意的な要素が働いているか分かる。…(ヨンパルト [1990:p267-268])

 

 

 

 

 

なぜ、国家権力の自由裁量は問題になるのか

 

 

 …日本の現行法を注意深く調べると、国家権力に与えられた自由裁量は極めて大きいことに気付く。しかし、この制度上の事実は、罰する権利にどのように関係するのであろうか。

 答えは明確である。罰する権力者に自由裁量を与えれば与えるほど、その裁量の範囲内で、罰する権利は、罰する義務よりも大きくなるということである。つまり、法律によって与えられた自由裁量の範囲内では、権力者はその権力を自由に行使する権利を有しており、拘束はされないわけである。(ホセ・ヨンパルト[1990:p191-192])

 

 

  どうして統治権力の自由裁量が大きいと問題なのでしょうか。

 小室直樹さんの言葉を借りれば、「国家権力はリバイアサンだから…」ということになります。国家は合法的に捜査したり逮捕したり暴力を振るったりすることができるし、殺したりすることもできます。それに比べて市民は圧倒的に弱い存在です。 *4

 だから、憲法によって国家権力を縛り、法律によって拘束したり義務づけたりしなければならないのです。

 統治権力に自由裁量があるということは、それだけ法的な拘束性を免れている(恣意性が強い)ということになるので、権力や権限の拡大・濫用につながっていきます。

 

 

 一般には、憲法が、リテラルな法文面より立憲意思を参照して解釈されるべきなのに対し、法律は、立憲意思よりも専らリテラルな法文面のみを参照して解釈されるべきものとされる。

 憲法については、統治権力を市民社会に従属させるべく、法文面より市民の意思を参照し、法律については、統治権力による恣意的運用を抑止すべく法文面を参照する、という理路である。宮台真司 [2014:p6])

 

 

 最近だったら、豊洲市場の問題で責任者が特定できなかったことや富山市義の度重なる政務活動費の不正問題も、それだけ議員や官僚に自由裁量(恣意性)があったから起こったことだと思われます。

 

 どうして、日本の国家権力には大きな自由裁量が与えられているのでしょうか。

 以下ではその一端を考えてみたいと思います。

 

 

  

司法権(死刑判決)の自由裁量

 

 

 … 例えば殺人罪で裁判官が死刑判決を言い渡すべきかどうか、刑法一九九条は何も言っていない。…死刑か無期懲役かという人の生死を分ける線をどう引くかについては、実定法は何も教えていない。殺人の場合、法律は裁判官に対して死刑にする権利を与えても、義務づけることはしない。(ヨンパルト[1990:p192])

 

 

 たとえば、地下鉄サリン事件の実行犯である林郁夫 受刑者の無期懲役のケースがわかりやすいと思います。林受刑者を除くサリン散布の実行犯には、すべて死刑判決が確定しました。

 

 

 

 

検察の自由裁量(起訴便宜主義)

 

 

…起訴法定主義は、刑罰権は国家の義務であるという思想の実定化とも言えよう。そしてよく考えてみると、刑法で定められている犯罪の責任を追求すべきという「起訴法定主義」の原理は、ある程度刑法で定められていない犯罪は、その責任を追求できないという「罪刑法定主義」の裏返しとも言えよう。

 

 これに対して、日本のような国での「起訴便宜主義」(Opportunitätsprinzip)は、確かに国家は法律で定められた範囲内で常に罰することができるが、しかし国家は犯罪の責任を追求するよう拘束されないという思想を実定化したものと捉えられる。

 

 罰することは、最終的には独立の刑事裁判の任務であり、裁判官は法律に従うべきであるが、この制度で司法権を動かす(又は動かさない)のは、政府とは独立していない検察である(起訴法定主義の場合は、検察がその義務を怠れば、検察が義務違反で起訴されるべきことになっている)。

 

 従って、起訴便宜主義によって権力者の自由裁量が強められることになるが、逆に法の支配は弱められることになると言えよう。(ヨンパルト[1990:p193])

 

 

 日本では、起訴されると99.9%有罪になります。つまり、検察はほぼ確実に有罪になるケースしか起訴しません。(不起訴率は55.2%)

 これ以外に日本の刑事司法には、いわゆる「人質司法」の問題があります。起訴前の長期勾留(23日間)と代用監獄、弁護士立会い無しによって、被疑者を「自白」に追い込むやり口です。 *5

 

 これにかんしては「中世シャラップ事件 」 *6 をぜひ参照してください。

 

 

 

立法権の自由裁量

 

 最近の例なら「一票の格差」問題です。

 最高裁によって、2009年総選挙は「違憲状態」との判決が出たにもかかわらず、国会はこの判決をネグレクトし、2012年に総選挙を実施します。一票の格差

 これは、最高裁判決(司法府)を無視するという「立法府の自由裁量」が明確に示された瞬間でした。

 

 

 

 

「安倍政権」(政府・与党)の自由裁量

 

 昨年、安倍政権が強行採決した「安全保障関連法案」は、従来認められていなかった(よって憲法違反とされている)集団的自衛権を容認するものでした。国会に参考人として呼ばれた憲法学者は3人全員が違憲と判断し、歴代の内閣法制局長官違憲と言っています。

 当初の安倍政権は憲法9条の改正を狙っていましたが、これが無理だとわかると、次は憲法96条の改正に意欲を燃やしました。これにも挫折した安倍政権は、戦後の憲法解釈のコントロールを担ってきた内閣法制局長官の人事に介入し、集団的自衛権を容認する長官にすげ替えました。その後、閣議決定し、政権与党のみで法案を通過させたのです。

 戦後、内閣法制局が一貫して維持してきた正統性のある憲法解釈を、安倍政権は憲法改正することなく、勝手に変更しました。憲法に縛られるはずの立法機関が、憲法改正することなく、違憲とされている集団的自衛権の行使容認を勝手に決めてしまったのです。これこそ自由裁量の暴走でしょう。

 

 

 

 

死刑執行の「秘密主義」はなぜ問題なのか

 

 死刑執行がなされている国で日本だけが「秘密主義」を貫いています。

 死刑執行に関して、いつ、どこで、誰が、どのように、誰を、決定するのか。これがまったくもって、謎のヴェールに包まれているのです。

 戦後間もない頃、死刑は憲法違反ではないか、ということが争われた裁判がありました。

 

 

 … 最高裁判所は、死刑が憲法第三六条の禁止する残虐な刑罰として、違憲かどうかという問題について判示した際(昭和23年3月12日大法廷判決、刑集第二巻第三号191項)、その判決の冒頭において、有名な「生命は尊貴である。一人の生命は、全地球より重い」という言葉を述べたのである。

 

 しかし、当面の問題としては次のように述べている(島、藤田、岩松、河村裁判官の補充意見)。すなわち、「ある刑罰が残虐であるかどうかの判断は国民感情によって定まる問題である。而して国民感情は、時代とともに変遷することを免がれないのであるから、ある時代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りうることである」。

 

 そして、「国家の文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする平和的社会が実現」することによって、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定されるにちがいないというのである。…(ヨンパルト [1988:p133-134])

 

 

 死刑執行が秘密のヴェールに隠されている限り、死刑(絞首刑)が残虐かどうかを判断することはできないと思います。

 

 

 死刑がまだ執行されている国々では、だれが、いつ、どこで処刑されるかということは、前もって公表されている。ところが、それを秘密にする唯一の国は日本である。その理由はどこにあるのだろうか。

 

 もし死刑制度自体が正しいなら、また、死刑の執行が国民の意思に従って行われていると言うなら、なぜその「正しいもの」を隠す必要があるのだろうか。なぜ、一方では国民がそれを望んでいると言いながら、他方では国民にそれについての「知る権利」を認めないのだろうか。(ヨンパルト,秋葉 [2006:p184−185])

 

 

 

 

 

死刑執行の「秘密主義」に対する法務省の回答

 

 以下を参照すると、法務省の回答には正当な根拠はなく、回答の一貫性も見られないことがわかる。

 

 

法務省は次のように述べている。「死刑の執行という事実は、本人の家族その他の関係者に与える影響、これらの者の名誉・気持ちを殊更に傷つけないようにすることを考慮し、また、本人の心情の安定に留意し、死刑の執行はなるべく密やかに、かつ、厳粛に執り行われるべきものと思料されることから、一切公表しない。」(「市民と政治の土曜協議会」への文書回答1984年12月。アムネスティ・インターナショナル日本支部編『死刑ーその実態と廃止への道』1985年参照)

 

 しかし、本人の家族の名誉と気持ちが問題になるのは、実は死刑判決が言い渡されるとき、ーー もっと現実的に考えると ーー犯罪者が逮捕されたときの方である。…(ヨンパルト[1990:p271])

 

 

 

 … 法務省は情報を公開しない理由として死刑確定者と家族のプライバシーを挙げている。司法当局は以前は『死刑囚の家族の心情に配慮する』ためとして、死刑執行の事実を公式に認めなかったため、白書による総数のみの発表であり、かつては報道機関が情報を摑めなかったために死刑囚の命日すら不明のケースもあった。…

 

 … 法務省は、事前に死刑執行日が判ると、本人の心情の安定が害されるほか、死刑執行反対の抗議行動が起きる問題があるからだという…」

日本における死刑 - Wikipedia

 

 

 

 … 法務省の側からは、…秘密主義を正当化しようとする説明がたびたびなされたが、そこで挙げられる理由がいつも同じものでなかったことは、疑問である。

 すなわち、あるときは「本人の名誉・気持ちの考慮」であり、あるときは「国家権力をこれ見よがしに見せびらかすつもりはない」であり、また「公表するのは、近代民主制の基本原理に反すると思う」(!)等であった。…(ヨンパルト,秋葉 [2006:p185])

 

 

 

 

 以上、死刑執行の問題点(自由裁量と秘密主義)について述べてきましが、以下ではそれに大いに関連すると思われる3人の歴代法務大臣について考えてみたいと思います。

 

 

 

 

絶望的な「千葉景子」元法務大臣

 

 まず、千葉景子氏が法務大臣になる以前にどんな発言をしていたのかは、上に引用した議事録を読んでいただければだいたい分かると思います。

 国会でその質問をした21年後、千葉氏は法務大臣に就任します。千葉氏は弁護士で「アムネスティ議員連盟」事務局長を務め、「死刑廃止を推進する議員連盟」に所属するほどの筋金入りの死刑廃止論者でした。千葉景子 - Wikipedia

 しかも、時は自民党政権から民主党政権へと政権交代し、鳩山由紀夫内閣によって千葉氏は抜擢されたのです。まさにこれは、フランスにおいて死刑廃止のイニシアティブを取った ロベール・バダンテール氏と同じような展開!

 これは何かやってくれるのではないか!と大いに期待しました。しかし、結果は惨憺たるもの…。結局、千葉氏は2人の死刑囚の執行を命じました。

 ここから分かったことは二つあります。

 一つは、政権交代をしても変わらないこと。

 二つめは、筋金入りの死刑廃止論者でも法務大臣になった以上は、死刑執行を命じなければならないということです。

 

 

 

 

両義的な「鳩山邦夫」元法務大臣

 

 鳩山邦夫氏は法務大臣として計13人の死刑執行を命じました。これを受けて朝日新聞鳩山邦夫氏を「死に神」と表現し物議を醸しましたが、日本に死刑制度がある以上、その執行数の多さを朝日新聞のように批判することはできません。

 実は、本来なら死刑判決確定後、6ヶ月以内に死刑執行をしなければならないのだから、13人でも少なすぎると言わなければならないのです。だから、少なくとも千葉景子氏よりは法務大臣の職務を全うしたと言わなければならないでしょう。

 死刑執行後に被執行者の名前、犯罪事実、執行場所が公表されるようになったのは、鳩山邦夫氏が法務大臣のときからです。日本における死刑 - Wikipedia

 

 

 

 

死刑制度を死守した「後藤田正晴」元法務大臣

 

 日本においても事実上の死刑執行のモラトリアムが続いた時期がありました。1990年~92年の3年間です。発端は、昭和天皇崩御と言われています。しかし、なぜ3年間もモラトリアムが続いたのかはよく分かっていません。

 これこそ死刑執行における自由裁量の証左であると思われますが、もしかすると、3年間ゼロが続いたというだけで、「何となく死刑執行したくない…自分が端緒になりたくない…」という「空気」が支配していた可能性が十分にあります。

 後藤田正晴氏はそのような「空気の支配」を察知し、「法治国家として望ましくない」との理由から、「3年間ゼロ」という「空気の支配」の均衡を崩したのです。

 ここから二つのことが分かります。一つは、死刑執行数ゼロがたった3年続いただけで、「空気の支配」が醸成されること。もう一つは、後藤田正晴氏ほどの政治家であっても、その「空気の支配」の均衡を打ち破ることは決して簡単ではなかったということです。(後藤田氏はのちのテレビインタビューでそのようなことを述べていました。)

 

 

 

 

「死刑執行モラトリアム」から「死刑廃止」へ

 

 冒頭で述べたように、死刑廃止のプロセスは、まずは死刑執行の停止(モラトリアム)をすることから始めるしかないと思います。とりあえず執行を停止し、その間に死刑執行についての「自由裁量」問題と「秘密主義」問題を改める議論をしなければなりません。そのうちに「空気の支配」が醸成されて、死刑執行モラトリアムがずっと伸びるかもしれませんが、そのときこそ改めて死刑制度の是非を決めればいいのです。

 

 

 … 日本の死刑執行における恣意と秘密主義を排除する方法は、二つしかない。

 (a)現時点、死刑が確定してから法律で定められた期間が経過した死刑囚全員をただちに処刑すること。また、今後、死刑が確定した死刑囚を、法律で定められた期間内に例外なしに処刑すること。

 

 (b)もう一つの方法は、死刑執行を停止する、すなわち執行のモラトリアムを設けること。

 

 …第二の方法には…次のようなプラス面もある。まず、立法を動かすことなく容易に実現しうることである。事実、短い期間であったが、すでにこのようなモラトリアムがあった(1990-92年)。

 …いずれにせよ、現時点で死刑執行における恣意と秘密のヴェールを排除しようとするのであれば、これ以外には方法はない。…(ヨンパルト,秋葉[2006:p189])

 

 

 

*1: 刑法の七不思議』(ホセ・ヨンパルト著/成文堂 1987年)p221より

 

*2:  フランス法務大臣 ロベール・バダンテールについては下記参照。

死刑廃止法案の審議における、法務大臣ロベール・バダンテールの演説全文訳

死刑廃止を振り返ってバダンテール・元フランス法務大臣が語っていたこと

・『そして、死刑は廃止された』(ロベール・バダンテール 著)

 

*3: アメリカの死刑支持者は5割を切ったそうです。

 

*4: この点に関してはアメリカが分かりやすい。最近だったらエドワード・スノーデン氏が暴露した国家安全保障局 (NSA)の個人情報収集事件。あと、真相は明らかになってはいないが、1963年に暗殺されたジョン・F・ケネディ大統領のように、圧倒的権力を誇る大統領でさえも殺害されてしまうこともある。

 

*5: ・起訴前の長期勾留(23日間)の流れ

  警察による逮捕(最大48時間の身柄拘束)→検察官へ身柄送致(勾留請求 最大24時間)→起訴前勾留(最大20日)→起訴/不起訴→起訴された場合は起訴後勾留(2ヶ月~)

 

*6:・「中世シャラップ事件」とは…

 国連拷問禁止委員会において「日本の刑事司法は中世だ」と非難され、これに憤慨した上田秀明氏(人権人道大使)は「シャラップ!」と叫び失笑を買った事件。

 

 

 【参考動画】

 

・『なぜ日本人は死刑が好きなのか』

youtu.be

 

 

  

・『人質司法が変わるまで死刑の執行は停止すべき』

youtu.be

 

 

【引用・参考文献】 

・『人間の尊厳と国家の権力―その思想と現実、理論と歴史』(ホセ・ヨンパルト著/弘文堂 1990年)

 ・『法と道徳―リーガル・エシックス入門』(ホセ・ヨンパルト 金澤文雄 共著/弘文堂 1988年)

 ・『刑法の七不思議』(ホセ・ヨンパルト著/弘文堂 1987年)

 ・『人間の尊厳と生命倫理・生命法』(ホセ・ヨンパルト 秋葉悦子 共著/弘文堂 2006年 )

 ・『死刑存廃論の系譜』(三原憲三 著/弘文堂 2001年 )

 ・『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(宮台真司幻冬舎 2014年 )

 *なお、引用文は読みやすいように改行した箇所があります。