おんざまゆげ

"感受性マイノリティ男子"が綴る日々の雑記・雑感… 読書、映画、アニメの感想。

『花のもとにて』(堀田あけみ)

 

花のもとにて (角川文庫)

花のもとにて (角川文庫)

 

 

「BOOK」データベースより

  ひそかに憧れていた先輩・大沢を追って、同じ心理学の大学院に入学した響子。そこには、彼の恋人・亜々子がいた。響子は、快楽的で奔放な亜々子に反発しながらも、だんだんと惹かれていく…。

 

 しかし、亜々子は、やさしい仮面をかぶったエゴイストの大沢に振り回され、傷つけられても全身でそれを受け止めていた。なすすべもなく、二人をただ見守ることしかできない響子。そして大沢が、新しい恋を見つけたときから、三人の心の均衡は、少しづつ崩れ始めた…。激しく切ない愛の物語。

 

 

  堀田あけみさんの有名な「百合小説」です。

 全般的に会話文が多く、情景描写が極端に少なく、ほとんど伏線らしい説明がないので物語の展開が急です。いわゆる「ケータイ小説」に近い体裁で書かれています。

 

 評価は正直「うーん…微妙…」って感じでした。

 理由は、主な登場人物(4人)の誰にも感情移入できなかったこと…。

 

 この小説のあまりにも淡白すぎる展開をちょっとだけ紹介します。

 

 

 (以下ネタバレ)

 

 まず、大沢(院生の男)と亜々子(院生で小説家の女)が付き合っています。

 響子は大沢が好きで、亜々子が嫌いです。

 そもそも響子が大学院に入学した理由は、大沢が好きだからです。

 その後、大沢と亜々子がうまくいかなくなって、二人は別れます。

 すると、響子は突如、亜々子が好きになって告白するのです。

 この展開、おかしくないですか?

 

 ここで疑問が浮上します。

 響子はあんなに嫌いだった亜々子をどうしていきなり好きになったのか…

 響子の大沢への想いはどこへ行ったのか…

 響子は自分がバイセクシュアルであったことに戸惑いを感じないのか…

 

 この小説は会話ばかりが続いて心情吐露が極端に少なく、伏線がほとんどありません。

 だから、いまいち登場人物の気持ちが伝わってこないのです。

 

 亜々子が「自分はバイセクシュアルだ」と吐露する場面は描かれていますが、響子は自分のことを異性愛者(=大沢が好きだ)と思っています。

 響子は性に対してすごく潔癖症で、いままで男性と付き合ったことがありません。

 こういう響子が女性(亜々子)を好きになったとしたら「自分はどうして男性ではなく女性を好きになるのだろう」という戸惑いがあるはずです。(別に無くてもいいのかもしれませんが、小説だったらそういう「戸惑い」を描いて欲しい…という僕の個人的願望があります。)

 しかも、響子には片想いの期間がまったくありません。「あの人が好きだ」という自分の気持ちに気がついて、実際に「想い」を告白するまでには逡巡があるはずですが、この逡巡期間(片想い)がほぼゼロなのです。

 百歩譲って「大嫌い」が「大好き」に反転することはあるでしょう。しかし、そのような「好き」という感情が一気に恋愛へと飛躍するのではなく、まずは「友達」から始めるのではないでしょうか。特に響子のような女性は…。そして、「友達から恋人へ」という2段の流れを歩むのが女性同士の恋愛に期待される萌え展開なのです。(これは単なる僕の個人的な希望的展開=妄想です。)

 

 もう一つの謎。

 響子の大沢への想いはどこへ?

 これにかんしては会話の中でもまったく触れられておらず、説明が皆無です。大沢も亜々子もどちらも好きだという展開(板挟み)だって十分ありえますし、どちらが本当に好きなのか、どちらを選ぶべきなのか、という戸惑いと逡巡があるのが自然な恋愛感情ではないでしょうか。

 

 以上のような極端な展開によって、響子は亜々子に告白します。

 亜々子は大沢への想いを引きずりながらも、響子の想いを受け入れるのです。

 

 そして、ラストには意外な展開が待っております。

 響子は徐々に「狂気の世界」へと吸い込まれていくのです。

 

 この小説の最終盤の課題は大沢というエゴイスト男を「どう処遇するか!」でしょう。

 ほんとうに大沢という男は最悪な奴なんです。(だがモテる!)

 

 結末…。

 響子は、「亜々子が世界でいちばん愛した男=大沢」を媒介にして、亜々子への愛を生々しいものとして持続させることを選択します。この選択は限りなく狂気に近い愛だと思いました。 *1

 響子の「大沢への憎しみ」は「亜々子への愛」に変換され、響子の「亜々子への愛」は「大沢への憎しみ」に変換される…という憎愛の永久運動(憎しみ深きゆえに愛も深し⇔愛深きゆえに憎しみも深し)によって、響子は「亜々子への愛」を永遠へと近づけるのです。これは、「永遠の愛」を叶えるために眼前の「最悪な男」を憎み続けるという逆説(=狂気の愛というオチです。 *2

 ラストはもっとハードランディングでも面白かったと思いますが、堀田さんはあえて抑えめにソフトに落としたのでした。これはこれでグッとくる結末で、読後にいろいろ考えさせられました…。

 

 

*1: 正確に言うと、「屈折した愛」。この「屈折さ」に狂気性が宿っている。

*2: この逆説的な狂気の愛は、愛の継続性(永遠性)に加えて、愛の純粋性も高めるのではないだろうか。つまり、本来、愛憎は表裏一体だが、愛に伴う憎しみを大沢へと分配する分だけ、亜々子への愛の純度は高まる。従って、響子が大沢を憎めば憎むほど、響子の亜々子への愛は精錬される。

 

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