おんざまゆげ

@スラッカーの思想

伊藤計劃『ハーモニー <harmony/> 』/魂のために、魂のない世界を作るー逆説の救済思想

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 「大災禍」と呼ばれる世界規模の混沌から復興した世界。かつて起きた「大災禍」の反動で、世界は極端な健康志向と社会の調和を重んじた、超高度医療社会へと移行していた。

 

 そんな優しさと慈愛に満ちたまがい物の世界に、立ち向かう術を日々考えている少女がいた。少女の名前は御冷ミァハ。世界への抵抗を示すため、彼女は、自らのカリスマ性に惹かれた二人の少女とともに、ある日自殺を果たす。13年後、霧慧トァンは優しすぎる日本社会を嫌い、戦場の平和維持活動の最前線にいた。

 

 霧慧トァンは、かつての自殺事件で生き残った少女。平和に慣れ過ぎた世界に対して、ある犯行グループが数千人規模の命を奪う事件を起こす。犯行グループからの世界に向けて出された「宣言」によって、世界は再び恐怖へと叩き落される。霧慧トァンは、その宣言から、死んだはずの御冷ミァハの息遣いを感じ取る。トァンは、かつてともに死のうとしたミァハの存在を確かめるために立ち上がる。

amazonより)

  

原作は伊藤計劃の長編SF小説(2008年刊)

 劇場アニメは2015年公開。

 監督は『AKIRA』の作画監督などを務めた「なかむらたかし」さん、『鉄コン筋クリート』の監督を務めた「マイケル・アリアス」さんとの共同監督作品です。

 2009年に34歳で夭逝された伊藤計劃さん。

 オリジナル小説は2作品しかありません。

 病床で書き上げた遺作となる『ハーモニー』の他に『虐殺器官』(2007年)、『屍者の帝国』(円城塔との共著 2012年)があり、始動した「Project Itoh」によって2015年に『ハーモニー』と『屍者の帝国』が劇場アニメ化、『虐殺器官』は2017年2月に劇場公開されます。

 

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ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

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 「百合」を描いた劇場アニメ版は最高にすばらしい!

 今年観たアニメで一番よかった作品です。

 原作に忠実に作られていて、しかも、原作ではあまり表現できていなかったエモーション(百合的な愛情)がちゃんと表現されていると思いました。

 文庫版には佐々木敦さんの解説(伊藤計劃さんへのインタビューも一部掲載されている)が付いていますが、ここで伊藤さんは次のように述べています。

 

「…実を言うとエモーションの部分が一番難しいんです。ロジックを考えるのはわりと好きなので、ある種の社会状況とか思想とか、そういうのはポンポン考えられるんですけど、それだけではどうしても読者は読んでくれません。どうにかしてエモーションで肉付けをしなきゃいけないんですけど、いつもそこが一番辛いところですね。」

 

 確かに原作は面白かったけど、感動は少なく、とてもドライな印象でした。

 しかし、アニメは原作の面白さに加えて感動も大きい!

 原作はどう読んでも決して「百合」にはなっていないのですが、アニメはどう観ても「百合」になっています。この点がエモーションに大きな影響を与えたのではないでしょうか。特に、ラストの部分はエモーション的な百合が爆発しているので、百合好きの僕としては超絶至極の感動を味わいました。

 

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以下で小説(アニメ)のあらすじを説明します。(完全ネタバレ

 

 

 

〈大災禍〉から「生命主義社会」ができるまで

  

 〈大災禍〉という破局後の世界 

 時は〈大災禍〉というカタストロフが起きてから半世紀以上たった2073年。

 

〈大災禍〉というのは、暴動、紛争、テロ、核兵器投下、放射能、癌や突然変異のウイルス蔓延…などによって、全世界で数億人の被害がでたという破局的な災禍のことです。

 

 …〈大災禍〉—— 半世紀以上前に起きた、世界規模の暴動と混沌。アメリカ合衆国に端を発し、英語圏を中心に広がった、戦争と虐殺の時代。厳重に保管されていたはずの核弾頭は混乱のなかであっさりと流出し、世界中でその熱が花開いた。幾つものキノコ雲がこの星の面に突き立てられ、人類は自らの本性を悟り、そのおぞましい記憶を持つ者が現在の社会を築いた。(195)*1

 

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革命的医療技術 WatchMe

〈大災禍〉後の世界では、放射能による癌や新種のウイルスによる感染病が流行し、「病気」からの克服が世界的課題になりました。

 そこで登場した技術が、WatchMe(ウォッチミー)というシステムです。

 

… WatchMeと呼ばれる恒常的体内監視システムは、分子レベルで絶えず血中のRNA転写エラーレベルや免疫的一貫性の監視を行い、そこから外れるものがあれば即座に排除する。メディケア群と呼ばれる一家に一台の薬品工場が、血中の蛋白から病原性物質の駆逐に必要な物質を即座に合成し、ターゲットとなるエリアにピンポイントで送りこむ…(43)

 

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完全監視状態で病気を駆逐する

 人間の生体システムには恒常性という機能がありますが、WatchMeを体内にインストールすることによって恒常性の機能を外部化し、体内環境を常時スクリーニングしながら分子レベルで病気を撃退、壊滅、予防するという革新的な医療技術がWatchMeというシステムです。

 成人になった大人は、自らの身体にインストールしたWatchMeをネットサーバーに繋ぐことにより24時間365日の完全監視状態に置かれることになります。これは病気にならない代わりに個々人のプライバシーが犠牲になることを意味しています。

 

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「病気」のない世界 

 WatchMeの技術が普及した結果、なんと世界から「病気」がほぼ完全に駆逐されました。

 老衰と事故と稀に起こる殺人以外では、ほとんど人は死なないのです。

 これはユートピアなのか、あるいはディストピアなんでしょうか…

 

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かくて「健康至上主義」(ヘルシズム)の社会が生まれた 

〈大災禍〉の結果、病が大流行し、病の克服から「健康」が最大の価値になった社会。

 健康という価値が高まると、健康という価値観はモラル化し、一種のイデオロギーになります。

 そのイデオロギーこそが健康至上主義(ヘルシズム)です。

 これの「元祖」はナチスと言われています。

 

「…ある意味で現在のこの社会の御先祖様はナチス政権下の健康政策だ。…」(161)

「国家的に癌撲滅や禁煙を大々的にはじめたのがナチスドイツ…」(160)

 

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バックボーンは「生命主義」という思想

〈大災禍〉後の「病のない世界」の実現は、WatchMeをはじめとした革命的な技術革新によって成し遂げられたのですが、この技術革新を精神的に支えた革命的思想が「生命主義」という考え方です。

 生命主義とは次のような思想のことを言います。

 

 構成員の健康の保全統治機構にとって最大の責務と見なす政治的主張、若しくはその傾向。二十世紀に登場した福祉社会を原型とする。より具体的な局面においては、成人に対する充分にネットワークされた恒常的健康監視システムへの組みこみ、安価な薬剤および医療処置の「大量医療消費」システム、将来予想される生活習慣病を未然に防ぐ栄養摂取及び生活パターンに関する助言の提供、その三点を基本セットとするライフスタイルを、人間の尊厳にとって最低限の条件と見なす考え方。(58)

 

 

新しい統治機構「生府」(医療合意共同体)

 生命主義の思想は医療技術の革新性を支える精神的バックボーンであると同時に、現実的な政治思想にも合流し、近代国家という枠組み― 近代の統治システム ―をも変革することになります。

「生府」(医療合意共同体)と呼ばれる新しい統治機構が誕生し、生府が経済システムを管理する「生命主義社会」が生まれました。

 

…健康への急迫なる危機を前にして、世界は政府を単位とする資本主義的消費社会から、構成員の健康を第一に気遣う生府(ヴアイガメント)を基本単位とした、医療福祉社会へ移行した…(31)

 

国家の、つまりは「大きな政府」の機能が縮小に縮小を重ね、軍隊と警察の一部を残して、いまや莫大な数の医療合意共同体の通称 生府が、この惑星の経済システムを管理している。…(57)

 

 

 「リソース意識」という社会規範

「リソース意識」とは、生命主義社会が生み出したもっとも強固な規範のひとつ。

 個々人が自分の身体をWatchMeのサーバーに接続し、自らの身体がもつ恒常性機能を外部化するということは、「私の身体」という身体の自己所有感覚をシステムに受け渡す(分散させる)ことを意味します。

 「私の身体は私のもの」という感覚は失われ、身体は社会のもの(公共的身体)という感覚が支配的になり、ついには「個々人の生命身体はみんなの所有物(貴重なリソース)」という規範意識が生まれました。

 

リソース意識。

 人はその社会的感覚というか義務をそう呼ぶ。または公共的身体。あなたはこの世界にとって欠くべからざるリソースであることを意識しなさい、って。「命を大切に」や「人命は地球より重い」の一族に連なるスローガン。(23)

 

 このリソース意識という規範は、人々の健康の自己管理を徹底的に義務化(モラル化)する方向へと導き、生府はそのような生政治によって社会全体の調和を達成したのです。

 

 

「神のもの」から「みんなのもの」へ

 キリスト教世界では、生命は神からの授かりものである、という教義がありますが、生命主義社会では「生命=身体」は「みんなの所有物」ということになります。

 

 … 神の授けし命という教義は、生命主義の健康社会では『公共物としての身体』となる。わたしたちの命は神の所有物から、みんなの所有物へとかたちを変えた。…(45)

  

  

「健康至上主義」とリソース意識

 健康という価値観が行き過ぎると、「不健康は自己責任(怠惰の証)」というモラルの言葉に変換され、いとも容易く健康至上主義というイデオロギーへと至ります。

 

…健康を何よりも優先すべき価値観とするイデオロギーの許に、人体は医療分子で精緻に分析され、リアルタイムにモニタされ、己の健康を常に証明し続けなければならない…(341)

 

 生命主義社会では「肌が荒れている」というだけで、リソース意識の欠如と判断され糾弾の対象とされます。

 

 肌荒れというのは要するに、生命社会の最低限の嗜みであるそれらのうち、どれか一つ以上をサボっているという証。調和を乱す者の証。生命社会とは男女問わず不摂生を許さないライフスタイルのことでもある。不摂生は肉体に刻まれるのだ。

 肌荒れはセフルコントロールの喪失。

 目の下のくまは社会的リソース意識の欠如。(82)

  

 

「健康」のためなら個人の自由をも犠牲にする

 生命主義社会では、身体の隅々までWatchMeの完全監視下に置かれ、タバコやお酒を飲むことすらできなくなります。カフェインですら自由に摂取することができません。

 健康に少しでも悪影響があると思われる食べ物はすべて摂取不能となり、健康に関するあらゆるリスクが回避されます。

 もはや人々の身体は「私のもの」ではなく「社会の共有財産である」というリソース意識が支配的になっているので、健康のためには個人の自由を著しく制限しても構わないのです。

 

 

拡張現実は人々を丸裸に可視化——プライバシーのない世界

「オーグ」(拡現)と呼ばれる拡張現実を可能にするコンタクトレンズを装着することにより、リアルタイムでポケモンGOのような拡張現実を経験することができます。

 オーグを通して世界を見ると、人々には「社会評価点」と呼ばれるユーザー評価が貼りついており、その人にはどのぐらいの社会的価値があるのか一瞬でわかってしまいます。

 その他に、名前、年齢と職業、健康保全状況が表示され、瞬時にその人がどんな人物なのかがわかるのです。つまり、個人のプライバシーがまったくない。

 プライバシーが許されないのは、これも先程と同様、個人の身体は個人のものではなく社会のものだから、というリソース意識があるからです。生命主義の思想では、生命の健康のためならあらゆる自由(個人のプライバシーなど)を犠牲にしても構わないのです。

 

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優しさと思いやりの「相互監視」

 生命主義社会では「いじめ」という言葉が死語になっています。人に対して何か嫌なこと(ハラスメント)をしたら、即座に自分の「社会評価点」に跳ね返ってくるので、悪いことは一切できない仕組みになっています。

 この社会で生きる人たちは、みんなに対して恐ろしく優しい、気持ち悪いぐらいに思いやりに満ち満ちた「善良な市民」です。

 しかし、その優しさや思いやりは、自分の社会評価点が下がるのが怖いから、というネガティブな動機にもとづくもの。その優しさは、嘘と偽善と欺瞞の塊です。

 WatchMeによって身体を完全監視状態に置かれ、リソース意識に根ざした自己管理への脅迫から「絶対に健康であらねばならない」と急かされ、他者のまなざし(相互監視)からの社会評価点に怯えながら嘘の優しさと思いやりの演技をし続ける——。

 こうして生命主義社会は争いの一切が起こらない平和で調和のとれた世界を実現しました。

 

…わたしたちは互いに互いのこと、自分自身の詳細な情報を知らせることで、下手なことができなくなるようにしてるんだ。この社会はね、自分自身を自分以外の全員に人質として差し出すことで、安定と調和と慎み深さを保っているんだよ。(132)

 

 どこまでも親切で、どこまでも他者を思いやって、挙句の果てにこのわたしにすら思いやりを持て親切であれと急きたてるこのセカイ。そんな時代と空間に参加させられるのはまっぴらだった。(12)

 

 

 

自死」というたったひとつの逃げ道

 

三人の少女が起こした「餓死自殺」

 生命主義の社会に生きづらさを抱えていた三人の少女。

 主人公の「霧慧トァン」(きりえ トァン)

 影の主役「御冷ミァハ」(みひえ ミァハ)

 友達の「零下堂キアン」(れいかどう キアン)

 

 三人の女性は15歳のときにミァハの導きによって自殺を試みます。

 

 これ、錠剤。一日一回飲むだけ。それで胃から腸に至るまで全部の消化器官が、口から入れた食べ物の栄養をシカトしてくれる(47)

 

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生命主義社会で「大人」になると…

 身体とWatchMeの接続。

 これが「大人」になることです。

 子どもはまだ成長段階なので、WatchMeの監視から免れています。

 大人になってWatchMeに繋がってしまえば、自殺実行は困難になります。

 この時期、社会では子どもの自殺率の増加が社会問題となっていました。

 

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自殺とリソース意識 

 みんなの貴重なリソース(公共的身体)を自ら傷つける行為は許されません。

 それがリソース意識が規範化した生命社会。

 中世のキリスト教世界で自殺者が罰せられたのと同じ理屈です。

 

 生産、消費。そうした循環と安定をもたらす、社会的に重要なリソースであるはずの自己を破壊することは、何よりも忌むべき態度だ。そうなる前に周囲の人間が兆候を見つけ出し、重セラピーにかけてやらにゃいかん。…(157)

 

 死人を罰する方法が見つかれば、世界は嬉々として死者を裁くだろう。自殺未遂者にはたっぷりのカウンセリングと薬物治療が待っている。再度この出来損ないを、有用な社会リソースとしてセカイに組みこむために。世の中の一員として、世の中で医療経済を回す一単位となり、社会的な機能を果たすために。…(108)

  

 

リソース意識への反発と抵抗

 病気にならない… なかなか死んだりしない。

 しかし、自由やプライバシーがほとんどない社会。

 生きているというより、権力によって生かされている状態。

 これが生命主義の社会です。

 唯一、残された逃げ道、抵抗の意志が自死という方法なのです。

 

 わたしたちが奴らにとって大事だから、わたしたちの将来の可能性が奴らにとって貴重だから。わたしたち自身が奴らのインフラだから。だから、奴らの財産となってしまったこの身体を奪い去ってやるの。この身体はわたし自身のものなんだって、セカイに宣言するために。奴らのインフラを傷つけようとしたら、それがたまたまこのカラダだった、ただそれだけよ(47)

 

…わたしたちは大切にされているから、身体が公共的で社会的リソースで自分だけのものでないという嘘を吹き込まれているから、死のうとしたのだ。(136)

 

 

「無価値」であることの証明

 リソース意識は価値の言葉、価値の概念に包摂されます。価値という概念はどこまでも相対的で、「絶対的価値」という言い方は自己矛盾だと言われます。

 つまり「あなたには価値がある」という言い方は、「価値があるなら“あなた”でなくてもいい(より高い価値のある人の方がいい)」という価値の相対性に必ず巻き込まれ、「わたし」の自己性をスポイルしてしまうのです。

 だとしたら、リソース意識へ抵抗するには価値の言葉を拒絶する以外にありません。

 「わたしは無価値である」ということを確信できることこそが尊厳になる。

 生命社会で自殺することは、「尊厳死」に近い行為なのかもしれません。 

 

「…わたしたちひとりひとりが、社会にとって重要なリソースだなんて冗談じゃない、って思ってた」

「そうだね、ミァハが言ってた。リソース意識なんてゴメンだ、自分たちが無価値であることを証明させて欲しいの、って。」(150)

 

 

 

「世界同時自殺事件」

 

6582人が同じ日同じ瞬間に一斉に自殺を図る

 2796人が死亡。

 

犯行声明

 人々を集団自殺に導いた犯人からの「犯行声明」(宣言)。

  

 この前は、大勢のひとが死にました。

 沢山の人が同時に自ら命を絶ちました。

 皆さんは、大きなショックを受けたでしょう。

 目の前で誰かが不意に死ぬという可能性に、恐怖を覚えたでしょう。

 それはわたしたちがやったことです。

 どうやったのか、それはいまのところ秘密です。

 しかし、その仕組みはすでに皆さんの脳に深く根をはっています。

 いまとなっては剥がすことができません。

 皆さんはすでにわたしたちの人質なのです。

 ……

 一週間以内に、誰かひとり以上を殺してください。

 それができない人には、死んでもらいます。(202-)

 

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〈大災禍〉のトラウマに怯える「老人」たち

 

 SOUND ONLY な人たち 

 「エヴァンゲリオン」のゼーレのような存在…。

 いわゆる SOUND ONLY な人たちが出てきます。

 この人たちは〈大災禍〉の地獄を生き延びた「老人」(70~80歳)。

 

 生命主義社会をつくってきたのもその「老人」たちの“業績”です。

 とにかく老人たちは〈大災禍〉の悪夢のトラウマに怯えており、このトラウマの反動から生命主義社会という異常に調和のとれた平和を潔癖症的に築き上げたのです。

 

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人間が再び「野蛮」に還らないために…

 老人たちはSOUND ONLY的(ゼーレ的)な人たちです。こういう人たちは、得てして虚妄のようなパターナリズムを狂信していることがあります。

 老人たちは人類が〈大災禍〉を引き起こした原因を、人間の「野蛮性」に見出しました。

 

 彼ら—— 老人たちは人類が再び混沌に帰すことを恐れている。〈大災禍〉の原因はいまだ諸説がありますが、とにかく人類の脳があれほどの野蛮へと、あっという間に還ってしまうことは実証された。何億という人間の死によって。だから、彼らはWatchMeを利用してすべての人類を監視下に置いていた。彼らは自らを〈次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ〉と称しています。(196)

 

 

人間の意志を制御する 

 人間の中脳にある報酬系と呼ばれる部分を操作することによって、人間の意志を制御できるのではないかと考えた研究者がいました。

 老人たちはこの研究に目をつけます。

 何らかの方法によって人間の意志を制御できれば、〈大災禍〉のような野蛮な事態を未然に防げると考えたからです。

 

 我々は中脳の報酬系を医療分子で制御することにより、人間の選択や決意、感情や思考を制御できると考えた。…(254)

 

 …人間が再び非合理な混沌に還ってしまうことのないよう、セーフティネットを設定しなければならない、…人間の意志を野蛮から救うために、…生府上層部の有力な老人たち、WHOの上層部、医療産業複合体内部の生命主義者たち。こうして〈次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ〉は生まれた(254)

 

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高度に意志的な自殺という行為を防ぐには… 

 科学者と老人たちは、人間の意志を制御する研究機関を秘密裏に立ち上げました。

 組織名は〈次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ〉。

 この組織は、自殺願望をもった子供たちを治療と称して引き取り、自殺への意志を制御する研究を続けました。

 

…自殺とは、自ら命を絶つというのは、逡巡する意志を持った存在にしか為し得ぬ、高度に意識的な行為…(273)

 

 研究は功を奏し、意志の制御に成功。

 このときに誕生した技術は「ハーモニー・プログラム」と呼ばれました。

 

 

人間の意志は「野蛮」である

 老人たちは〈大災禍〉以降、「人間」を信じていません。人間は放っておけばどこまでも残虐になれる。これが〈大災禍〉を生き残った者(老人)たちの悲劇の共有記憶です。老人たちは人間の意志というのも単なる野蛮性の現れだと考えています。

 

〈大災禍〉を生き延びた老人たちにとっては、人間の意志など野蛮な自然以外の何物でもない。生府社会は公共性、そしてリソース意識を絶えず心に刻むよう、その合意員に呼びかけている。自分の意志で、その規律や『空気』に従うように。我々はそうやって、有利以来、最も人が死なず、平等で、平和で、愛に満ちあふれた社会を築きあげることができた(257)

 

 

「魂」の消去——ハーモニー・プログラムの副作用 

 人間の意志を制御するハーモニー・プログラム。

 いざとなったら人間の意志を外部から制御し、野蛮性から人間を解放する技術。

 しかし、ハーモニー・プログラムにはひとつの重大な副作用がありました。

 

 意識が消失してしまうのです。

 意識だけがなくなり、その他の機能は正常に動くので見かけは何も変わりません(哲学的ゾンビ状態)。

 意識の消滅は、「わたし」・自己意識・こころ・魂の消失を意味します。

 攻殻機動隊で言うところの「ゴースト」だけが失われる状態です。

 

…調和のとれた意志とは、すべてが当然であるような行動の状態であり、行為の決断に際して要請される意志そのものが存在しない状態…完璧な人間という存在を追い求めたら、意識は不要になって消滅してしまった…(264)

 

…買い物、食事、娯楽、すべてが自明に選び取られる、ただそれだけだ。…人間はね、意識や意志がなくともその生存にはまったく問題ないんだよ。皆は普段通りに生活し、人は生まれ、老い、死んでいくだろう。ただ、意識だけが欠落したそのままで。

 

…外面上は、その人間に意識があるか、意識があるかのように振る舞っているかは、全く見分けがつかない。ただ、社会と完璧なハーモニーを描くよう価値体系が設定されているため、自殺は大幅に減り、この生府社会が抱えていたストレスは完全に消滅する(264)

 

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 それでも実装されたハーモニー・プログラム

 意志の制御に成功した老人たちは〈大災禍〉の悪夢を未然に防ぐ目的から、意識の消失という副作用があることを知りながらも、ハーモニー・プログラムの脳への実装を決断しました。

 実装するけど発動はしない、という折衷案を取ったのです。

 

…わたしたちはその機能を人々に実装しつつも、発現はしないでおく、という折衷案をとった。そう、わたしの脳にもお前の脳にも、すでに報酬系を制御するための医療分子群のネットワークは築かれている。〈大災禍〉のような混沌が再び人類史に顔を出してくるようなことがあれば、いつでも緊急避難的に『調和』(ハーモニクス)を発動できるようにね(266)

 

 

「人間の尊厳」は人格性(心や魂)に宿る?——内部分裂した組織

 人々の脳には秘密裏にハーモニー・プログラムが実装されましたが、その後、老人たちが組織した〈次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ〉は二つのグループに分裂します。

 一つは、セーフティネットとしてのハーモニー・プログラム(実装するけど発動しない)という主流派。もう一つは、直ちにハーモニー・プログラムを発動させたい少数派グループです。

 主流派は、人間の尊厳というのは魂や意識に根ざした「わたしはわたしである」という自己性や人格性にあるのだと考えました。

 一方の少数派は、人間の意識こそがすべての不幸の源であり、不要な自己意識など捨てて苦しみや哀しみから解放された世界、「個」が解体されすべてが一体化したハーモニーの世界へとシフトすることこそが人類のためだと考えました。

 

…〈次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ〉が分裂してたのは…『わたしはわたしである』っていう鏡写しの意識こそが、人間の尊厳だっていう主流派と、あとはわたしたちの少数派。この完成された社会システムのなかで、人間の脳だけが取り残されている、意識なんか不幸になるだけ、さっさとうっちゃるべきだっていう異端。…(345) 

 

 

 

 ミァハの「ハーモニー思想」 

…この社会にとって完璧な人類を求めたら、魂は最も不要な要素だった…

…「完璧な人間」にグレードアップできる…

…すべての人間が完璧にハーモニーを描く世界…

…完璧な人間の完璧な運営による完璧な社会…

 

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ミァハの転向(社会憎悪からハーモニー思想へ)

 15歳の時に自殺を試みたミァハは、密かに助けられ、自殺意志の制御と称したハーモニー・プログラムの限界検証試験を受けるうちに、考え方が一変(回帰)します。

 自殺した当初は、悪いのはすべて生命主義社会の仕組みにあると考えていました。特に、リソース意識に反発と憎悪を滲ませ、それゆえに自死を決意したのです。

 しかし、転向後のミァハは生命主義社会に問題があるのではなく、われわれ人間がもっている意識や意志という機能にこそ問題があると考えました。

 のちにミァハは、〈次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ〉の少数派のリーダーとして暗躍します。

 

… わたしは単純に思ったの。この社会が、この生府社会が、この生命主義圏の仕組みがおかしいんだって。何人もの人間の自死を目の当たりにして、わたしはこの、内部から、自分の裡からの規範を徹底して求める社会がおかしいんだって考えたの…(340)

 

  

思想犯としてのミァハ 

 世界同時自殺事件は、〈次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ〉の分派した少数派が引き起こした策略でした。犯行動機は、少数派のリーダーであるミァハのハーモニー思想を実現させるためです。

 自殺事件とその後の「宣言」(一週間以内に誰かを殺せ…)によって世界が混乱すれば、〈大災禍〉のトラウマに怯える老人たちはセーフティネットとしてのハーモニー・プログラムを発動せざるをえなくなるとふんだのです。

 

 …WatchMe をインストールしている全世界の人々の中脳に——誰に断りを入れることもなく——張った、医療分子によるニューラルネットソースコードは、わたしが大半を書いたの。幾つかの生府WatchMe制御系には、バックドアが開けてあるの。わたしたちのためにね。それを使ってたくさんの人々の死への欲動(タナトス)に対し、双曲線的に高い価値評価を生成してやるのは簡単だった(342)

 

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自然選択によってたまたま獲得された「意識」という機能

 あくまでも進化論的に「意識」を考えようとするのがこの小説(アニメ)の特徴です。

 意識という形質は、進化の自然選択―その場その場の継ぎはぎ―によってたまたま環境にマッチしたから獲得されたにすぎない。

 環境が変われば、あるいは意識が必要とされない環境を人工的に作ることができるのならば、意識という機能に拘る必要はないのではないか。

 このように、人間の意識を特別視せず意識や魂の存在を進化論で相対化するのです。

 

 ある状況下において必要だった形質も、喉元過ぎれば不要になる。その場その場で必要になった遺伝子の集合。人間のゲノムは場当たりの継ぎ接ぎで出来ている。進化なんて前向きな語は間違ったイメージを人々に与えやすい。人間は、いやすべての生き物は膨大なその場しのぎの集合体なのだ。

 だとしたら。我々人類が獲得した意識なるこの奇妙な形質を、とりたてて有り難がり、神棚に祀る必要がどこにあろう。倫理は、神聖さは、すべて状況への適応として脳が獲得したに過ぎない継ぎ接ぎの一部だ。悲しみも、喜びも、すべて「ある環境で」においてのみ、生きるために必要だったから、生存に寄与したから存在しているだけだ。…(325)

 

 

人間の身体という「自然」

 人間はあらゆる「自然」に介入し開発し、人工に置き換えてきました。

 最後に残された自然が、人間の身体です。

 本来、人間にとって身体は制御不能な対象物でした。

 まだ人間は人体を人工的に作ることは出来ていないので、その意味では「完全制覇」はしていませんが、身体をWatchMeに繋げて身体機能を外部化したことをもって、身体は人工物(リソース)になったのです。

 だとしたら、脳も身体の一部である以上、意識や意志の制御だけが禁止されるのはおかしいのではないか。そう考えることもできます。

 

 人間は絶えず「自然」を抑えこんできた。

 都市を築き、社会を築き、システムを築いた。

 すべては自然という予測困難な要素の集合を、予測し統御する枠組みへと抑えこもうとする人間の意志の現れだ。そして人間は、核と疫病の時代を生きる延びるために、最後に残された自然を制圧しようと試み、それにおおむね勝利している。医療分子を肉体にインストールし、健康管理サーバに接続すること。

 そして、「健康に悪い」生活習慣病を徹底して社会から抑圧し消し去ること。そうやって人類はついに自身の肉体という自然に勝利した。…(256)

 

…しかし考えてみたまえ。人間が身体を日々医療分子によって制御し、病気を抑えこんでいるというのに、脳にある『有害な』思考は制御してはならない理由があるのかね…(256)

 

 

人間の理性や感情は進化的バグにすぎない 

 人間に意識という機能がある以上、どんな社会を構築しても人間が完全な幸福に達することはできない。

 これがミァハの辿り着いた結論でした。

 だからこそハーモニー・プログラムを直ちに実行し、人類を完全調和な幸福の世界=ハーモニーの世界へと誘う…。

 ミァハのハーモニー思想においては、人間の意識というのは進化の過程でたまたま獲得してしまったその場しのぎの機能にすぎません。

 人間の尊厳の最も重要な条件だとみなされ、みんなが大事だと思っている意識という機能は、実は進化の過程で書き込まれたバグのようなものであり、従ってハーモニー・プログラムはデバッグだというのがハーモニー思想の考えなのです。

 

…いま、世界中で何万という男の子女の子が自殺してる。大人もね。野蛮を、自然を、徹底して自分の内側から排除することはできないんだよ。生府が体現する小さな共同体とか、そういうシステムや関係性を扱う以前に、わたしたちはまずどうしようもなく動物で継ぎ接ぎの機能としての理性や感情の寄せ集めに過ぎないっていうところを忘れることはできないんだ(343)

 

  

人間であること、意識であることをやめたほうがいい 

 ミァハが一貫してシンパシーを抱いているのは、自ら命を絶った子供たちに対してです。そういった子供たちの魂を救うにはどうすればいいのか。

 最初は生命主義社会に問題があると思っていたミァハでしたが、どんな社会を設計しても人間に意識がある限り、完璧なハーモニーの実現は不可能であると考えました。

 恐ろしく調和のとれた生命主義社会であっても、完璧なハーモニーを実現することはできなかった。人間の本性を過剰に抑え込むことによって成り立つ欺瞞的調和は、適応できない子供たちを自死へと追い遣ります。

 であるなら、人間が「意識であること」をやめるしかない。社会を変えるのではなく、社会に合わせて人間本性を根源的に変えてしまえばいい。そうすれば真の完璧なハーモニーが訪れるとミァハは考えました。

 

「わたしが12歳のとき、隣に住んでいた男の子が死んだ。首を吊ってた。」

「この世界を憎んで、この世界に居場所がないって言って、その子は死んでいった。わたしはそのとき思ったの。わたしは人間がどれほど野蛮になれるか知っている。そしていま、逆に人間が野蛮を——自然を抑えつけようとして、どれだけ壊れていくかを知った。…」(340)

 

「あなたは思ったのね。この世界に人々がなじめずに死んでいくのなら——」

「そ、人間であることをやめたほうがいい」

「というより、意識であることをやめたほうがいい。自然が生み出した継ぎ接ぎの機能に過ぎない意識であることを、この身体の隅々まで徹底して駆逐して、骨の髄まで社会的な存在に変化したほうがいい。わたしがわたしであることを捨てたほうがいい。そうすれば、ハーモニーを目指したこの社会に、本物のハーモニーが訪れる」(343)

 

  

「意志」を求められることの苦痛 

 生命主義の社会にはWatchMeというインフラや様々なテクノロジーが張り巡らされています。これらのアーキテクチャがあれば、人間に意志や意識がなくても充分に生存していくことが可能です。

 意志が必要とされていないのに、あたかも必要であるかのように意志や意識が残ってしまっていることが問題なのだとミァハは言います。

 

…老人たちは『意識の停止』を死と同義に受け取った。…システムがそれなりに成熟していれば、意識的な決断は必要ない。これだけ相互扶助のシステムがあって、これだけ生活を指示してくれるソフトウェアがあって、いろいろなものを外注しているわたしたちに、どんな意志が必要だっていうの。問題はむしろ、意志を求められることの苦痛、健康やコミュニティのために自身を律するという意志の必要性だけが残ってしまったことの苦痛なんだよ(344)

 

 

魂のために、魂のない世界を作る——逆説の救済思想

 ミァハは自殺せざるをえない子供たちの魂を救うためには、魂のないハーモニーの世界を作るしかないと考えました。ハーモニー思想は、魂のために魂を捨てるという逆説的な救済思想です。

 

 この世界がこれだけ嫌だ、って人が、毎年毎年何百万人も死んで、そのすべてが、自殺なんて人間としてあるまじき最低の行為をしたって、そんなふうにかわいそうに蔑まれてても、それでも人間は意志を、意識をなくしてしまうべきじゃないって。わたしはそんなのはおかしいと思った。わたしは何とかしなくちゃ、って思った。わたしは、毎年無為に命を落としていく何百万の魂のために、魂のない世界を作ろうとしたの(346)

 

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魂を擁護する言葉はあるか 

 ミァハの突き抜けたハーモニー思想に対抗できる言葉はあるのでしょうか。

 おそらくこれがこの小説(アニメ)の、読者への最大の問いかけなのだと思います。

 

…ある程度まで相互扶助が保たれる社会システムが組み上がってしまえば、実は意識などという時代遅れの機能は不要になって消し去られる運命にある…

 人間は、進んで自らの組み上げたシステムに従って、対立や逡巡、苦悩を生む厄介な機能としての意識を除去してしまうべきなのではないか。

 わたしを動かしている「何故」という感情は、どこに根拠を持つべきなのだろう。

 魂を擁護する言葉は、どこにあるのだろう。(327)

  

 

 「異議は、ない」

 この小説(アニメ)の一番おもしろいところは、ミァハのハーモニー思想をあっさりと受け入れてしまうところです。結論として、魂を擁護する言葉はなかった、ということです。

 

 わたしは内なる声に耳を傾けようとする。意識が、意志がなくなれば、こんな「内なる声」などというものも消滅してしまうのだろう。意識が、個が消滅し、ただシステムだけが残るのだろう。自明なわたしたちだけが残るのだろう。ただ、そう在るように行動し、一切の迷いなく、未来永劫に向かって働き続ける肉で出来た機能のような身体があるだけになるのだろう。

 

 調和を描く脳は、一切の迷いを排した、いや、廃した人間だ。

 迷いがなければ、選択もない。選択がなければ、すべてはそう在るだけだ。

 その風景は、いままでの風景とまったく代わり映えしないものであることも判っている。人間の意識がこれまでも大したことをしてこなかった以上。それが無くなったところで何が変わるというわけでもあるまい。

 昨日と同じように、人は買い物に行くだろう。

 昨日と同じように、人は仕事場に行くだろう。

 昨日と同じように笑うだろう。

 昨日と同じように泣くだろう。

 単純に自明な反応として。単にそうするべきだからそうするものとして。

 これが、皆肩を並べて来たるべき永遠を迎えるためにしなければならない通過儀礼なのだろうか。

 

 たぶん、そうなのだろう。

 異議は、ない。

 (347-348)

 

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実行されたハーモニー・プログラム

 

老人たちは実行した 

 世界同時自殺事件が起こってから世界は大混乱になります。

 老人たちは、ミァハの思惑通りにハーモニー・プログラムを実行してしまうのでした。

 

…老人たちは意識の消滅、社会と構成員の完全な一致を決断した。権限を持つ老人たちそれぞれの部屋で、末端にコードと生体認証が入力される。瞬間、その調和せよという歌を天使たちは携えて、WatchMeをインストールしている人々の許へ、あまねく世界へ、その羽を広げていった。

 天使の羽が人々の脳をひと触れすると、もうそこに意識や意志はなかった。

 新しい世界では、すべては自明であり、選択することなど何ひとつ無かった。

 いま、わたしたちは生きている。

 すべてのものが、そう在るべき世界に。

 迷いも、選択も、決断も存在しない、限りなく天国に近いものに。(360)

 

…暴動はすぐに収まった。…

 …WatchMeをインストールしていた世界数十億人の人間は、動物であることを完全にやめた。

 太古からそれに向かい目指し続けてきた完全な社会的存在に、ようやく到達したのだ。(361)

 

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「個」が消滅し、完全幸福のハーモニーの世界へ 

 すべてが自明で、苦痛も哀しみもない世界。

 そうあるように在るだけの因果連鎖が貫徹された世界。

 自意識も自由意志も消滅した完全幸福のハーモニーの世界。

 すべての「個」は消滅し、そして誰もいなくなった状態へ…

 

 老人たちがそれぞれのコードを入力し、ハーモニー・プログラムが歌い出した瞬間、人類社会から自殺は消滅した。ほぼすべての争いが消滅した。個はもはや単位ではなかった。社会システムこそが単位だった。システムが即ち人間であること、それに苦しみ続けてきた社会は、真の意味での自我や自意識、自己を消し去ることによって、はじめて幸福な完全一致に達した。(362)

 

…わたしはシステムの一部であり、あなたもまたシステムの一部である。

 もはや、そのことに誰も苦痛を感じてはいない。

 苦痛を受け取る「わたし」が存在しないからだ。

 わたし、の代わりに存在するのは一個の全体、いわゆる「社会」だ。(362)

 

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『ハーモニー』はユートピアか、ディストピアか… 

 

幸福を目指すのか、真理を目指すのか…

 僕はハーモニー的な世界は「ユートピア」なのではないかと思ってしまうタイプです。

 社会が地獄なのだとしたら、ハーモニーの世界へと誘われたい…。

 そう感じます。

 

 幸福を目指すか、真理を目指すか。人類は〈大災禍〉のあと幸福を選んだ。まやかしの永遠であることを、自分は進化のその場その場の適応パッチの塊で、継ぎ接ぎの出来損ないな動物であることの否定を選んだ。自然を圧倒すれば、それが得られる。すべて、わたしたちが生きるこの世界のすべてを人工に置換すれば、それが得られる。人類はもう、戻ることのできない一線を越えてしまっていたんだよ。(337)

 

 

「その先の言葉」がなかった…

 作者の伊藤計劃さんはインタビューで次のように言っています。

 

 『ハーモニー』に関しては、ある種のハッピーエンドではあると思うんですけど、はたして本当にそれでよかったのか、っていう思いもあります。その他に言葉が見つからなかったのか。

 さっきの言葉でいうと、「その先の言葉」を探していたんですけど、やはり今回は見つかりませんでした、っていうある種の敗北宣言みたいなものでもあるわけで。そういう視点からするとハッピーエンドではないですよね。

 現時点ではこういう結論にならざるを得ませんでしたっていうことで、途中経過報告みたいなものです。とりあえず問い続けていなければ話は進まないので。(380)

 

「敗北宣言」とは、ミァハのハーモニー思想に対抗できる言葉がなかった、魂を擁護する言葉がなかった、ということだと思います。

 

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「愛」は魂を擁護できるか

 魂を擁護する言葉で一番最初に思いつくのは「愛」(恋愛や友愛)という概念です。

「わたしだけのあなた」という純愛モチーフを描けば、物語としては容易に魂を擁護することができます。もし、『ハーモニー』が純愛モチーフでハーモニー・プログラムの実行を阻止する物語だったら、これはセカイ系に近いストーリーになっていたかもしれません。しかし、『ハーモニー』は決して『君の名は。』のような感動する話にはなっていない。

 伊藤計劃さんは、どこまでもロジカルで科学的、唯物論的です。だから「愛」のような感情的な精神性はまったく出てきません。アニメではラストで一瞬だけ純愛モチーフが描かれますが、原作ではほぼ皆無。父への愛情のようなものが少しだけ表現されているだけです。 

 魂を擁護できるとしたら、これはどう考えても「愛」しかありえない。しかも、それは言葉ではなく「愛別離苦」という感情ではないかと思います。「わたし」と「あなた」という固有名的で人格的な関係性にもとづく「あなたを失いたくない」という感情です。

 魂が失われれば「わたし」や「あなた」という自己意識が消滅し、「わたし」も「わたし」が愛する「あなた」も世界から消去される。だから、愛別離苦という感情が魂の擁護としては唯一の根拠たりうると思われます。

 しかし、そういう安易な考え方というのはすごく欺瞞的なのではないか。そのように伊藤さんは思っているのかもしれません。「愛」はまったくキレイではないし、むしろ憎しみや怒り、哀しみや苦しみの源泉であったりします。しかも、人間関係には自分ではどうすることもできない生まれの初期条件や運などが関係し、人格的な「愛」の関係を結べない人もいるかもしれない。

 そう考えると、ハーモニー思想というのは「愛」からの解放なのかもしれません。「愛」という概念に依存せずとも幸福になれる世界へ人々を解放する。「愛別離苦」を完全に防ぐことはできないのだから、「愛別離苦」という現象が成立する前提そのものを消滅させる。「愛」そのものを世界から放擲するのです。

 あるいはハーモニー思想は、真の博愛なのではないでしょうか。人間に自己愛があるうちは、論理的には真の博愛などありえないからです。自己愛がある以上、自己欺瞞の根は一掃できない。従って、「自己」を消去し「愛」から解放してくれるハーモニー思想は、「すべての人を等しく愛せない」という欺瞞なき真の博愛を実現する方法なのかもしれません。

 

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【補記】マトリックス』の「サイファー問題」 

  映画『マトリックス』では主人公のネオが人類を救おうと頑張るわけですが、「サイファー」という男は「俺は仮想世界に還りたい」と言って仲間を裏切って還っていきます。

 よく考えると、仮想世界よりもネオのいる地獄のような暗黒世界(現実)の方がいいという根拠がまったくない。ネオは人類解放のためにパターナリスティックにそれが善いと思って戦っていますが、本当はみんな仮想世界がいいと思っているかもしれません。

 もしネオが人類解放に成功したとして、水槽のようなところから目覚めた人たちに「現実は暗黒世界で地獄みたいなところだけど、これが真実なんだからみんなでがんばって生きていこう…」などと言っても「ふざけるな!早く仮想世界に戻してくれ」と言われるんじゃないでしょうか。

 ここで「真実なんだから…」という説得の仕方はまったく無意味で、真実かどうかよりも幸福(快楽)かどうかの方が圧倒的優位になっている人に対して「真実だけど地獄を生きよう」などと言っても「ふざけるな!」と言われるでしょう。

 だとしたら、環境管理テクノロジーアーキテクチャだけで成り立つ社会(動物化した人間やVRにひきこもる人間が多数派の社会)、あるいは意識だけが存在しないハーモニー的な世界であったとしても、「そんな世界はダメなんだ」と言いうる倫理的根拠がまったくありません。

 

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 そう考えると、ネオは何のために戦っているかがわからなくなります。

 「真実だけど地獄」という世界を選ぶ人がどれだけいるのかわからない。

 もしかすると「サイファー」の選択(嘘だけど幸福)が多数派の意見かもしれません。

 だからネオは、とんでもない余計なお世話をしているのかもしれない。

 本人とその仲間たちはそれが正義だと思って戦っているわけですが…。

 

サイファー」を引きとめる言葉がない以上、ミァハのハーモニー思想に対抗できる言葉は今のところ見つからないし、これからもないのかもしれません。 

 

 

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*1:数字はすべて小説『ハーモニー』の頁です。

引用は適宜読みやすいように改行したところがあります。