引きこもり現象を全面肯定した画期的「引きこもり」論。
「否定的まなざし」を否定する
引きこもりには「往路・滞在期・帰路」というプロセスがあり、このプロセスを安定して通過することが「正しい引きこもり」であると著者は述べる。そして、引きこもり現象に対して社会が浴びせかける否定的なまなざしを一貫して批判する。
「社会的な自己」と「存在としての自己」の二重性が孕む引きこもり現象は、誰にでも起こりうる現象であるということをこの本は教えてくれる。
『引きこもるという情熱』の続編
前作よりも内容的にかなり洗練されている。
テーマは前作と同様、引きこもることに対する否定性の解体。
つまり、引きこもることを全面的に肯定する。
「ある」(being) と「する」(doing)
著者は人間の自己における二重性、「する」と「ある」の違いに注目する。
以下、要点部分を引用(p32~35)
... 質問者が私との対話で自ら発見し、噛みしめるようにして感受したのは、引きこもっている子どもの暮らしのなかですでに手にしている貴重な経験、いうなら「幸福」と呼ぶしかないものの感覚です。…
... 質問者によって発見された幸福感は、物やお金を「もつ」ことによって得られるそれとはまるで違うものです。また、仕事などなにかを「する」こと、なにかが「できる」ことを軸にして成り立つ幸福感とも違います。この「もつ」や「する」を軸にした幸福感とは別の次元の幸福感を、「ある」を軸にした幸福感と名づけてみます。引きこもっていようといまいと、なにかをしていようとしていまいと、なにかができようとできまいと、そうしたことには関係なく、「お互いがいま・ここに・共にいる」ということへの肯定が生み出す幸福感のことです。…
... 注目すべきことは、「ある」を軸にした幸福感のまえに、引きこもっている人と引きこもっていない人のあいだに置かれていた否定の境界線がいつの間にか崩れたことです。肯定ということの意味がここにあるのです。
「ある自己」と「する自己」
そこで著者は、一個の人間を「ある自己」と「する自己」の二重性として捉える視点を導入する。つまり、「ある自己」は存在論的な自己、「する自己」は社会的な自己にそれぞれ対応し、「ある自己」が人間的価値の基盤となり、その上に「する自己」がのっているという二重構造として把握する。
著者が構築した「存在論的ひきこもり」論とは、同一人格内の「ある自己」と「する自己」の動的な関係に注目しながら、引きこもり現象の必然的な肯定的プロセスを説明することである。
この本は引きこもり現象を分析した本ではあるが、その用途をはるかに超えたものとなっており、とても分かりやすく説明されていることもあって、かなり説得力がある内容となっている。