その体温が、凍った心を溶かしていく。29歳のみひろは、同じ商店街で育った幼なじみの圭祐と一緒に暮らして2年になる。もうずっと、セックスをしていない。焦燥感で開いた心の穴に、圭祐の弟の裕太が突然飛び込んできて……。『ふがいない僕は空を見た』の感動再び! オトナ思春期な三人の複雑な気持ちが行き違う、エンタメ界最注目の作家が贈る切ない恋愛長篇。(アマゾンより)
つきあってるのに、どうして、しない、の
祝福された愛に、孤独を深める女。
思いを秘めたまま、別の恋に堕ちる男。
離れていく心に、なすすべのない男。
その体温で、僕の心を溶かしてくれ
【目次】
なすすべもない
平熱セ氏三十六度二分
星影さやかな
よるのふくらみ
真夏日の薄荷糖
瞬きせよ銀星
感想
相変わらず「人生うまくいっていない人たち」を絶妙に描いている。「不幸」とか「絶望」とかまでは至っていないけど、かといって「幸せ」でもなく、ほどほどに残念な人生を営んでいるふつうの人々の日常風景。
ミステリーやサスペンス、ラブストーリーや学園モノといったような、いわゆる大衆受けする作品ではない。センセーショナルな事件や事故が勃発したり、誰かが惨殺されたりするようなことは起こらない。わるく言えば地味な小説。だが、おもしろい。
『ふがいない僕は空を見た』と同じ連作短編形式で、章ごとに主人公が入れかわっていく展開。恋愛小説といってもかなりオーソドックスな「三角関係」モノで、しかも三人は幼馴染みである。
舞台はなんと「商店街」。
三人はその「疑似ムラ社会」的な商店街で幼い頃から一緒に育った。
三十路直前で保育士の「みひろ」。
そのみひろの彼氏(同棲中)で会社員の「圭祐」(けいすけ)。
圭祐の弟(みひろとは同級生)で、商店街の不動産屋で働く「裕太」(ゆうた)。
以上、女1男2で繰り広げる幼なじみの三角関係。
兄弟で幼なじみの女性を取り合うといったような展開が予想されるが、内容はいたってクールで愛憎ドロドロ劇にはなっていない。
兄弟で殴り合う場面が一度だけあるので、その辺はちょっとだけ「幼なじみ青春系」になってはいるが、そこから安易な学園(学校)モノになったりしない。
舞台はあくまで「商店街」だ。「学校」という暗黙の共通前提に頼らず、「商店街」を基軸に据えるところがおもしろいと思った。
最初、みひろと圭祐は同棲中であり、結婚直前までいくのだが、いろいろあって破談。
別れた理由は「セックスレス」。
分かりやすく言うと、みひろは「肉食」、圭祐は「草食」。
しかし、圭祐は「ED」で治療もしていたので、たんなる「草食」ではない。
みひろの「肉食」ぶりは冒頭から詳細に記述されており、それを称して「いんらんおんな」と形容されている。「いんらんおんな」という観念はこの小説のキーになっており、タイトルの「よるのふくらみ」にも関係していると思われる。
つまり、別れた理由は「理屈」ではない。かといって、「価値観の不一致」みたいなことでもない。もっと身体的で言語化不可能なレベルの、ある種の「どうしようもなさ」である。
高校時代からみひろに対して密かに思いをよせていたのが裕太。圭祐の弟だ。
兄の圭祐とみひろが別れたことを知った裕太は、みひろに接近。
で、二人は結ばれ結婚し、子どもができる。
以上で三角関係終了。
三角関係の結末パターンは二つ。
(1) 三人ともバラける。
(2) 略奪に成功し二人は結ばれ、一人はあぶれる。
問題は、(2)のあぶれた一人がどうなるかだ。
ありがちなのは、不慮の事故で死んだり、想定外の転勤でどこか遠く(たとえばアメリカ!)に行ってしまい、やんわりと物語のメインからフェードアウトさせられるパターン。あとは新しい恋人ができるとか…。
では、あぶれた一人、圭祐はその後どうなったのか・・・。
「いんらんおんな」と対照をなす「ED」である圭祐は・・・。
元カノのみひろと弟の裕太は結婚し、子どもができた。
圭祐はずっとみひろの子どもが欲しかった。
こんな展開で、圭祐のその後はどうなるのか…。
窪美澄さんはけっして安易な「幸せ」は描かない作家である。しかし、そのような展開はあまりにも残酷ではないか。
だが、圭祐は救われる!
どういった救われかたをするのかは、ぜひ物語を読んでほしい。
いや、言ってしまおう!
圭祐を救ったのは、何と「風俗嬢」である。
しかも、クリスチャンの・・・。
「いんらんおんな」の極致と思われがちな「風俗嬢」の、再帰的に一回転したパラドキシカルな「プラトニックな愛」…。
最後に圭祐を救ったのは、それであった。
「ちんちん治ったんか?」
「今、治してる。治るかどうかはわからない」
「どっちでもええやん。な」
そう言って僕の手をぎゅっと握った。(p248)*1
印象に残った場面。
みひろの「肉食」ぶりを窺わせる場面。
私の意思や、気持ちや行動を無視して、この二、三日中に私の卵巣からは卵子が飛び出す。そう、私は今、排卵期なのだ。とはいえ、基礎体温に教えてもらうまでもなく、私はそのことを知っていた。ある日、気付いたのだ。私は生理と生理の間ごろに激しく欲情するってことに。
・・・あのう私、今、欲情しておるのですが。
あなたとセックスがしたくてたまらないのですが。
気持ちが手のひらを通して伝わったら、どんなにいいだろう。今、圭ちゃんを襲ったら、百パーセント確実に私は妊娠すると思う。私の生理は狂うこともなく二十八日ごとにやってきて、生理が始まってから十四日たつと激しく欲情する。私という人間は悲しくなるほど健康で野蛮だ。昔、誰かが女の人のことを「子どもを産む機械」と言って非難されたけれど、一定の周期でさかる私はまるで、発情する機械のようなのだ。(p7)
みひろが結婚を意識し、リアルな現実が重くのしかかる場面。
小一時間、圭ちゃんの親戚にビールをついで回っただけなのに、私はひどく疲れていた。
生理のせいだけじゃない。肩にのしかかってきたのだ。結婚をすれば、もれなくついてくる圭ちゃんの家族や親戚、まるでドラマのような嫁と姑の関係や、セックスの先にある妊娠や出産や子育てなんていうものが隠し持つ重さと鋭い輪郭が。(p36)
みひろとの「禁じられた関係」を後悔する裕太。
思惑どおり、傾斜をつけた坂の上を転がるビー玉のように、俺の手のなかにやってきたみひろを、結局のところ俺は拒絶した。コトが終わったあとに、「兄貴やおふくろとどんな顔をして会えばいいんだ」なんて、ばかみたいなことを言って。
あの日、どんな思いで、みひろが兄貴と暮らす部屋に帰ったのか、それを想像すると、俺は自分の首を左右の手のひらでつかんで、雑巾みたいにぎゅっと締めたくなる。
脳みそがとろけるような猛暑が続いた去年の夏、俺は後悔と、自分を責める気持ちと、今ならまだ間に合うんじゃないか、というかすかな期待を抱えたまま、灼熱の砂漠で火あぶりの刑に処されたような、狂おしい痛みに転げまわっていた。(p59)
圭祐に影響を与えたマリアさんの一言。
マリアさんがずっと口を閉ざしたまま僕の顔をのぞきこんで言った。
「誰にも遠慮はいらないの。なんでも言葉にして伝えないと。どんな小さなことでも。幸せが逃げてしまうよ」そう言って、マリアさんが男の人みたいに僕の後頭部を乱暴につかんでゆさゆさと揺すった。(p114)
裕太に影響を与えた川島さんの一言。
かすれた川島さんの声が聞こえにくかったので、椅子をベッドのほうに引き寄せた。
「一生のうち、ほんとに好きになれるやつなんて、そう何人もいないんだぜ。出会えないやつもいる。出会えただけで幸運だ。女のわがままなんて、かわいいもんだって。私を大事にしてくれ、って、あいつら言いたいことはそれだけなんだから」(p198)
圭祐、すべてを語る…(草食男子の独白)
へぇぇぇ、と興味深げに返事をしたものの、風俗、という言葉にも、毛ジラミ、という言葉にもどこか馴染めない自分がいる。
性欲なんて、人それぞれだろうと頭では思っていた。けれど、学生時代も、社会人になってからも、他人のうちあけ話やうわさ話を耳にして、人によってその容量があまりに違うことに驚きながら、それを直視しなかった。セックスより、ほかにやることがあるだろう、簡単に我慢できることじゃないか、とそう思っていた。そうしようと思っても、そうできない人間がこの世にいることなど理解しようともしなかった。わかったふりをして、女や風俗に夢中になるまわりの人間を、心のどこかで軽蔑してもいた。
男ならまだ理解できても、女に性欲があることや、それを我慢できないことが、もっとわからなかった。女と男がイコールだと思いたくなかった。特に、自分の好きになった女は。
みひろとできなくなってからも、そのことを見て見ぬふりをした。二人がだめになったのは、セックスがないことが大きな原因だ、とごくりと飲み込めない自分がいた。セックスの欠けた部分など、ほかの何かで、例えば、愛という曖昧なもので、パテで埋めるように簡単に補修できると思いこんでいた。
自分が欲しかったのは、手に入れたかったのは、みひろとの家庭だ、みひろとの子どもだ。子どもさえできれば、なんとかなると思っていた。みひろが渇望していたセックスと、自分が欲しがっていた子どもが、自分のなかでつながっていなかった。みひろは、そんな自分から逃げた。そして、弟のもとに駆けこんだ。
バカなのは、自分か、みひろか、それとも弟か。何度もくり返しすぎて、思考は同じルートを辿ることしかできない。(p227)
*1: 頁数は単行本版です。読みやすいように改行を挿入したところがあります。