漫画版(貞本エヴァ)を読んで思ったのは、シンジ君の成長物語(精神的自立)に照準していて、すごくスッキリしてわかりやすくなっているということ。
これはこれでアリだし、もう「エヴァ」はこれでいいのではないか…。
綾波が消滅して雪になるところが感動的だった。
新世紀エヴァンゲリオン (14) (カドカワコミックス・エース)
- 作者: 貞本義行,カラー
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
- 発売日: 2014/11/26
- メディア: コミック
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エヴァにまつわるいろんな謎は面白いが、上げればキリがない。
細いことにゴチャゴチャ拘らず、ざっくりとエヴァ総括をしてみる。
要約
人間は生きていれば、何らかの苦しみや悩みがある。
何でもいいのだが、たとえば、煩わしい人間関係に悩んでいるとして、
「もう死にたい…」と思うのがシンジ君。
「みんな死んじゃえばいい」と思うのがゼーレ。
「自らが神になればいい」と思うのがゲンドウ。
ゼーレという秘密結社は、頭の狂った新興宗教集団(ゼーレ教)みたいなもので、エヴァを利用したサードインパクト(ハルマゲドン的破滅)によって「人類補完計画」を達成すれば、人類は新たなる高みのステージへとシフト(進化)すると信じている。
「人類補完計画」とは、人間の個体性(身体性)や心の壁(ATフィールド)を消滅させ、全人類個々人の精神(魂)を統合的に一体化し、個人が抱えている悩みや苦しみや葛藤がまったく存在しない「幸福な状態」を実現しようとするプロジェクト。
ゼーレにとって「人類補完計画」は悲願であり、全人類が生き延びるにはこの方法しかないと信じ切っている。しかし、「人類補完計画」が実現した世界は自我境界のない世界であり、これは全人類が全員同時に自死するのに等しいことになる。
ゲンドウとユイ
この狂気集団ゼーレに、ゲンドウは参加していた。ゲンドウを好きになった碇ユイ(アダムからエヴァを作ったとされる科学者で、シンジの母)もゼーレに参加し、ユイを好きだった冬月も参加する。
科学者であるユイは、人類の幸福のために科学技術を役立てたいと望む「善意ある科学者」だったと思われるが、結果的にゼーレの野望に取り込まれたことになる。
エヴァ実験中、ユイは事故死してしまい、ゲンドウは豹変。ゼーレの「人類補完計画」を個人的に利用し、死んだユイにもう一度逢おうとする。
シンジ
以上のように、ゼーレもゲンドウも頭が狂っていて問題外なのだが、この頭の狂った大人たちの野望に巻き込まれてしまうのが若干14歳の少年シンジ君だ。問答無用に「エヴァに乗れ!」というかたちによって。
しかし、シンジ君にとって、エヴァや使徒、アダムやリリス、ゼーレの人類補完計画、セカンドインパクトの謎、といったことはどうでもよく、知ろうとも知りたいとも思っていない。
シンジ君にとって最優先タスクは「ダメな自分はこの先どうやって生きていけばいいのか」みたいなことだ。
そして物語は、セカンドインパクトや人類補完計画といった「人類」や「世界」にかかわる次元と、シンジ君の極私的でパーソナルな自意識過剰からくる悩みの次元が、同時並行的に描かれていく。
シンジの成長とサードインパクト
初号機エヴァのパイロットになったシンジ君は、周囲からいきなり「世界の命運はあなたにかかっている」と言われ、その後、サードインパクトが巻き起こって「人類補完計画」を選ぶかどうかの選択権を託されてしまう。
エヴァに乗ってちょっとだけ成長したシンジ君は、人間関係は苦手だし傷つくことも嫌だけど、綾波とはちょっとだけ分かり合えたし、もうちょっとだけがんばってみる……みたいな気分になって土壇場で「人類補完計画」を拒絶する。
シンジ君のパーソナルな問題と全人類にかかわる問題が、エヴァに乗ることよって結合する、という荒業である。これは「全人類絶滅の危機」水準の次元と「ウジウジ悩む男の自意識」水準の次元が、何らかの媒介物(エヴァに乗ること!)によって結合し、「ありのままの自分で生きていこう!」という選択をウジウジ男(シンジ君)が決定することによって、「全人類絶滅の危機」が回避される…‥みたいなアクロバティックなすごい構造(セカイ系)になっている。
シンジ君の中二病的な自意識過剰キャラという設定は変えられないし、シンジ君の精神的成長(依存から自立へ)という物語も変えられない。しかも「エヴァのパイロットになる」という設定も変えられない。エヴァという物語がシンジ君の成長物語である以上、セカンドインパクトや人類補完計画といった大きな物語(人類史的な謎)よりも、シンジ君の個人的な問題(自意識)が勝ることになり、結果、必然的にセカイ系構造になる。
原作=庵野の謎
自分的にはゼーレのシナリオ(人類補完計画)もぜんぜんアリだ。ヤマアラシのジレンマが解消されるなら、人類補完計画を実行して悩みのない世界へシフトするのも良いと思う。
どうせ人類なんて戦争ばかりしているのだし、この先、絶滅必定のショボイ生物でしかない。
シンジ君も倫理的に人類補完計画を拒否したのではなく、個人的な動機によってゼーレのシナリオを選択しなかったにすぎない。
しかし問題なのは、20年以上経過しても未だに拘り続けている原作=庵野。
庵野監督のモチベーションが20年以上も維持され続けている理由。謎だ。
「大人の事情」という線が有力だが…。