おんざまゆげ

"感受性マイノリティ男子"がつづる日々の雑記・雑感… 読書、映画、アニメの感想など。

【小説】『ベロニカは死ぬことにした』/ 現実的な「異世界転生」への道

【内容】

 ベロニカは全てを手にしていた。若さと美しさ、素敵なボーイフレンドたち、堅実な仕事、そして愛情溢れる家族。でも彼女は幸せではなかった。何かが欠けていた。

 ある朝、ベロニカは死ぬことに決め、睡眠薬を大量に飲んだ。だが目覚めると、そこは精神病院の中だった。自殺未遂の後遺症で残り数日となった人生を、狂人たちと過ごすことになってしまったベロニカ。しかし、そんな彼女の中で何かが変わり、人生の秘密が姿を現そうとしていた——。

 全世界45ヶ国、500万人以上が感動した大ベストセラー。

 〈文庫裏表紙より〉*1

 

ベロニカは死ぬことにした (角川文庫)

ベロニカは死ぬことにした (角川文庫)

 

 

 

【 恋愛と変態 】

 舞台になるのはスロベニアにあるヴィレットと呼ばれる精神病院。ベロニカという女性(24歳)が睡眠薬を飲んで自殺するシーンからはじまります。この辺はタイトル通り。

 しかし、この小説はタイトルからは想像できないほどのゴリゴリの恋愛小説です。しかも、かなりのド変態小説! こんな変態小説が世界中で大ベストセラーになるなんてほんと驚きの一語につきます(私はこの変態ぶりが好きなのですが…)。

 作者は1947年ブラジル生まれのパウロ・コエーリョ(男性)です。

 

… 白い精神病院のベッドで目を覚ますと、鼻には管が繋がれ、手足は縛られていた。彼女はそこで風変わりな医師と“狂人”たちに遭遇し、自らの生と死に苛立ちを覚えながらも、いつしか自分と向き合う方法を覚えていく。電気ショック治療で精神世界を浮遊する女。ベロニカが弾くピアノをひた待ちにする多重人格者の男。 “クラブ”という知的サークルに所属する女。そんなガイドや障害のおかけで、今にも死ぬかもしれないという身で、彼女は皮肉にもようやく生きる希望を見出していく。

[訳者あとがき p257-8]

 

 

【 いわゆる「精神病院」モノ 】

 この小説を世界で真っ先に映画化したのが日本でした。次にアメリカでも映画化されています。精神病院が舞台になっている小説や映画にはその他に『カッコーの巣の上で』『17歳のカルテ』『クワイエットルームにようこそ』などが有名です。

 

 

 

17歳のカルテ (字幕版)
 

 

 

 

【 精神病院=異世界

  精神病院を舞台にすると描きやすいのかもしれません。このような精神病院系の物語では、だいたいにおいて精神病院を一つの「異世界」と設定し、この異世界に主人公が投げ込まれてアップデートされる、という流れになります。そして、アップデートされた主人公は今までとは違った人間として転生する(=生まれ変わる)。一種の現実世界における「異世界転生」だと考えればわかりやすいと思います。*2

 

【 ベロニカが自殺した理由 】

 まず知りたいのは、ベロニカの自殺理由。前述の引用で紹介した通り、ベロニカは「全てを手にしていた」と言うのですから、なぜわざわざ自殺を選んだのか知りたいところです。

 分かりやすい説明はほとんどないのですが、しいてあげれば下記のようなことだったようです。

 

 二十四歳で体験しうることは全て体験して(それも容易なことではなかったが)、ベロニカは、全てが死で終わると信じていた。だから彼女は自殺を選んだ。ついに自由の身になるために。永遠の忘却だ。[p15]

 

 人生でしたいことをほとんどやり遂げた時、彼女は、自分の存在にはもう意味がないという結論に達した。毎日が同じだからという理由で。そして彼女は死ぬことにした。[p59-60]

 

 

【 恋に落ちたベロニカ 】

 ベロニカの自殺は未遂に終わり、その後、精神病院の中で過ごすことになります。ベロニカは夜中に病室を抜け出してピアノを弾いたりするのですが、ここで多重人格者の男性(エドアード)に出会い、ベロニカは恋に落ちました。

 

 彼はすごくハンサムだった。もしその世界から一歩踏み出して、彼女を女として見てくれたなら、この世での残り少ない夜は、人生で最も美しいものになるかもしれない。ベロニカをアーティストだと理解できるのはエドアードだけだった。ソナタメヌエットの純粋な感情の間で、彼女は、他の誰とも結んだことのない絆を、この男と結んでいた。[p157]

 

「今、あなたに恋に落ちて、わたしの全てをあげられるわ」と、彼が彼女の言ったことを理解できないことを知りながらも言った。「あなたがわたしに求めているのは、ほんの少しの音楽でしょ。でも、わたしは自分が思ってた以上の何かを持っていたわ。それでまだわたしが理解し始めたばかりのことを、あなたに話したいの」

 

エドアードは笑った。彼は理解してくれたんだろうか? ベロニカは怖くなった。全ての、礼儀正しいマナー作法の教科書には、そこまで愛を直接的に口にしてはいけない、よく知らない人には特に、と書かれている。でも彼女には、失うものなんて何もなかったから、そのまま続けることにした。

 

エドアード、あなたは、この地球上でわたしが恋に落ちることのできる唯一の人なの。それはわたしが死んでも、あなたはわたしを恋しいと思わないからだけど。多重人格者がどう感じるのかまでは分からないけど、たぶん誰も恋しいとは思わないでしょ。

 

 もしかして、まずは、なくなってしまう夜の音楽のことは恋しいと思うかもしれないけど、また月は昇るし、ソナタを弾いてくれる人はきっと誰かいるわよ。誰もが“変人”ばかりのこんな病院ならね」 [p158]

 

 

【 ベロニカの “変態プレイ” がすべてを変える! 】

 この小説のすごいところは、ここからなんですね。単にベロニカとエドアードが恋に落ちて精神病院を脱出するというような綺麗なストーリーになっていない。

「精神病院=異世界」に送り込まれたベロニカは、あることをきっかけにアップデートされて「死にたい」から「生きたい」に変わるわけですが、そのアップデートのされ方が凄まじい"変態プレイ"がきっかけなのです。

 ベロニカは今までに一度もやったことのない「未知の領域」(変態プレイ)に一歩踏み出し、圧倒的な「異世界体験」(=オルガズム)を獲得します。そしてここから、ベロニカが日常世界で抑圧していた性的エネルギーが解放され、生の欲望(生きる意欲)も回復するという流れです。

 ベロニカの変態プレイはすべての人に読んでほしいほどに熟読に値する内容だと思われますので、長くなりますが以下に引用いたします。

 

 彼女は外の庭にいたマリーを見た。そして彼女の言葉を思い出した。そして再び、自分の前に立っている男を見つめた。

 

 ベロニカはセーターを脱ぐと、エドアードに近づいた。もし何かするなら、今しかなかった。マリーはまだしばらく外の寒さに耐えていられるだろうし、それまでは入ってこないだろう。

 彼は後退りした。その目に浮かんでいたのは、こんな疑問だった。いつ、彼女はもう一度ピアノを弾くんだろう? その作品群が世代を越えて愛されてきた、狂気の作曲家たちと同じ色彩、痛み、苦しみ、喜びで、彼の魂を満たしてくれる、あの新しい音楽を。

 

「あの外にいる女性がわたしに、マスターベーションしてみて、自分がどこまで行けるのか試してみろって言ったの。今まで行ったこともないほど遠くへ、本当に行けるのかしら?」

 彼女は彼の手を取って、ソファの方へ引っ張っていこうとしたが、エドアードは礼儀正しく断った。彼はピアノの横で、また彼女が弾き始めるのをじっと待ちながら、その場に立っている方がよかった。

 

 ベロニカも最初は戸惑っていたものの、すぐに、何も失うものはないことに気づいた。彼女はもう死んだも同然だったし、自分の人生を制限してきた不安や先入観に従う意味がどこにあるのか? 彼女はブラウス、パンツ、ブラ、パンティを脱ぐと、彼の前に真っ裸で立っていた。

 エドアードは笑った。彼女にはどうしてだか分からなかったが、ただ笑ったとしか思わなかった。彼女はやさしく彼の手を取るなり、自分の性器へと運んだ。彼の手はぴくりとも動かず、そこに置かれていた。ベロニカはその考えを諦めて、彼の手を外した。

 

 何かが、男との身体的な接触よりも、ずっと彼女を興奮させた。何でもやりたいようにでき、何の制限もないからだろう。外にいる女性以外は、誰も起きていないだろう。

 

 彼女の血は逆流し、彼女は素っ裸で、彼は洋服を着たままで、ただ向き合っていた。ベロニカは自分の手を性器へ滑らせると、マスターベーションを始めた。前にも、一人か、パートナーと一緒の時にしたことはあったものの、こんな状況では初めてだった。男が、起こっていることに何の興味も示さないような時には。それはとても興奮した。立ったまま両脚を開いて、ベロニカは自分の性器と胸と髪を触り、今までしたことがないように自らに身を委せたが、それはその遠い世界からエドアードを引っ張り出したいからではなく、彼女が一度も体験したことのなかったことだったからだ。

 

 彼女は何かしゃべり始め、信じられないようなことを口走った。彼女の両親も友だちも、祖先も、完全に猥褻と思うようなことを。最初のオルガズムがくると、彼女は悦びで叫んでしまわないように唇を噛みしめた。

 

 エドアードは彼女を見ていた。その目には今までと違う光が宿っていた。彼女の身体から放散されているエネルギーと熱と汗と匂いに反応しているだけだったとしても。ベロニカはまだ満足していなかった。彼女はしゃがみ込んで、もう一度マスターベーションを始めた。

 

 彼女は自分に禁止されてきた全てのことを考えながら、圧倒的なオルガズムの悦びで死にたかった。彼女は彼に自分を触ってくれるよう、無理矢理してくれるよう、彼のやりたいように利用してくれるように懇願した。彼女はまた、ここにゼドカもいてくれたらいいのにと思った。女の方が、どんな男よりも、女性の身体にどう触れればいいか分かってるから。身体の秘密を全て知り尽くしているから。

 

 立ち尽くしていたエドアードの前に跪いて、彼女はすっかり取り憑かれ、感動し、彼にどうしてほしいかを卑猥な言葉で説明した。またオルガズムを迎えた。まるで周りの全てが爆発するんじゃないかと思うような、今までで一番強いものを。彼女は午前中の心臓発作を思い出したが、そんなことはどうでもよかった。彼女はものすごい快感の大爆発の中で死ぬことになるわけだから。彼女は、エドアードに触れたいと思った。彼は目の前にいたから。でも、その瞬間を壊すような危険を冒したくはなかった。彼女は、マリーの言ったように、遠く、さらに遠くまで行っていた。

 

 彼女は女王様にも奴隷にも、支配する側にも犠牲者にもなっている自分を想像した。想像の中で、彼女は、白、黒、黄色と、あらゆる肌の色の男たちとも、ホモセクシャルとも、ホームレスとも愛を交わした。彼女は誰のものでもあり、誰でも彼女に何をしてもよかった。彼女は次から次へ、さらに一回、二回、三回のオルガズムを迎えた。彼女は今まで妄想を描いてきたことを全て想像して、最も下品で最も純粋と思えるものに身を委ねた。そして最後には、もうそれ以上、我慢できずに、たくさんのオルガズムによる苦しみと、彼女の意識の扉から身体に入っては出ていったたくさんの男と女からのあまりの悦びに、叫んでしまっていた。

 

 彼女は床に寝転んだまま、全く身動きもとれずに汗に塗れていたが、心は完全に満たされていた。どうしてかは言えなかったものの、彼女は自分自身にもその秘密の欲望をひた隠しにしていた。でももう答えは必要なかった。彼女が今したことを、すでにやり遂げてしまっただけで十分だった。彼女は自分を完全に捧げてしまった。

 

 世界は少しずつ元へ戻っていき、ベロニカは立ち上がった。エドアードは、その間も全く手を出していなかったが、前とは何かが違っていた。その目はやさしさに溢れていた。とても人間的なやさしさに。

 

「あまりによくって、全てに愛を感じるわ。多重人格者の目にもね」

 その部屋に第三者の存在を感じた時には、彼女はもう洋服を着始めるところだった。

 そこにはマリーがいた。ベロニカは、彼女がいつ入ってきたのか、何を聞いたのか、見たのかも分からなかったが、それでも、何の恥ずかしさも不安も感じなかった。彼女はただベロニカを遠い目で見ていただけだった。予期せずして、近くに来すぎてしまった人みたいに。… [p159-63]

 

 

 どうでしょう?

 時代が時代ならベロニカのやったことは「犯罪」になるのかもしれない。(ですが、文学にタブーなし!関係ありません。)

 すごいですよね。だって、好きになった男性の前でいきなりマスターベーションを始めるのですから。相手の同意もまったく得ていない状況で二回くらいエドアードに強要しています。エドアードが無反応だったので、今度は仕方なく見ている前で勝手にマスターベーションを始めるわけです。

 ベロニカの逆バージョンを想像するとその凄さがわかります。

 好きになった女性の目の前で男性がいきなりマスターベーションをし始めたとしたら…。こうなると完全に犯罪でしょうね。これは文学でも描きづらい。

 しかし、不思議なことに、マスターベーションを見せつけられたエドアードの方も何かに目覚めるんです。覚醒されます。

《 … エドアードは、その間も全く手を出していなかったが、前とは何かが違っていた。その目はやさしさに溢れていた。とても人間的なやさしさに。 》

  ベロニカが突発的に行った変態プレイがきっかけで、行為者のベロニカ、それを見せつけられたエドアード、それを目撃してしまったマリーの三人は、これ以降、転生していくのです。

 

【 現実的な「異世界転生」への道 】

 ベロニカは「好きになった男性の前でマスターベーションをする」という変態プレイによって《遠く、さらに遠くまで行っていた》のでした。オルガズムの瞬間に遠くに「行く」わけです。どこへ? 異世界のほうへ… 。

 なぜそれほどまでに異世界が渇望されるのか。

 私が思うに、社会(特に資本主義社会)というのがかなりの程度「異常な世界」だからではないでしょうか。前近代社会では定期的に「祭り」が行われていたと言われています。そのような社会では、「日常」というものはかなりの程度「異常」な状態であり、祭りのような非日常体験によるガス抜きをしていかないと人間精神がダメになる(持たない)という認識が共有されていたと思います。

 しかし、近代社会になると「日常=異常」という認識がなくなって「日常=正常」という逆転が起きる。もし、日常が本当は「異常」なのだとしたら、この異常な状態にさも正常であるかのように適応しきっている人間は本当に「正常」なのでしょうか。そう考えると、むしろ狂っている人間の方が正常なのかもしれません。

 小説も実はその点について言及しています。異常に見えるものが本当は正常で、正常に見えるものこそが異常。正常と異常の図地の反転。この図地の反転(=体験構造がガラッと変わること)をもたらしてくれるのが「異世界体験」なのだと思います。

 では、私たちはどうやったら異世界へ行けるのか。

完全自殺マニュアル』を書いた鶴見済さんは、その後『人格改造マニュアル』を書き、次に「レイヴ」に関する本を書いています。実はこれらはすべて異世界へのアクセス方法を論じていたということがわかります。異世界体験によるアップデート(=転生)によって生きづらさを軽減するわけです。

 しかしながら、ベロニカのやったような変態プレイはハードルが高すぎる。また、自死やドラッグ(薬物)のような取り返しのつかない方法はさすがにマズイ(と思う…)

 世俗にマッチしている異世界体験というのはあるにはあります。

 たとえば、山に登ること、海に潜ること、滝に打たれること、屋久島の縄文杉を見たり四国のお遍路を巡ること...等々。こういうのはすべて異世界体験が目的です。また、神社やお寺巡り、パワースポット巡り、どこか遠くへ旅行に行く、映画館で映画を観る...... というのも異世界体験です。

 漠然とした思いで富士山に登るよりも、富士山頂が異世界だと妄想したうえで「下山したら自分は転生している!」と思って登ったほうが面白いし、だからこそわざわざ山に登る意味があるというものです。山に登る理由は「そこに山があるから」ではなく「異世界転生」だと考えたほうがわかりやすい。登山者はすべて異世界転生の願望者で、山ガールは自分探し系。こういうのにハマった人たちがクレイジージャーニー化する。

 しかし、クレイジージャーニー化もハイリスクで困難な道です。たとえば、フリーダイビングの世界記録保持者だったジャック・マイヨールは「イルカ人間」を夢見て74歳で自殺しました。また、女優だった高樹沙耶さんもフリーダイビングにのめり込んだあたりから少しずつ方向性が変化したと言われています。つまり、クレイジージャーニー化すると「向こうの世界」に行ったまま戻ってこれないリスクが常にあるのです。この辺は薬物依存と同じ構造なのかもしれません。

  とにかくまずは、自分に合った異世界を発見すること——。それしかありません。そして、何よりも大切なことは、「異常は正常であり、正常は異常である」ということを忘れずに生きることだと思います。ある宗教学者の方が『「狂い」のすすめ』という本を出していましたが、狂っているのはむしろ社会の側なのであって、この狂った社会のなかでぜんぜん狂わずに生きることの方がむしろ異常な状態なのだと思います。

 

 

*1:引用は読みやすいように改行したところがあります。

 

*2:ここで言う「異世界転生」の異世界とは「非日常」のことを指し、転生とは「生き方が変わること」を指します。よってラノベ異世界転生モノとは一切関係ありませんのであしからず。