おんざまゆげ

@スラッカーの思想

『安心して絶望できる人生』/「生きづらさ」の当事者研究

 今回は「当事者研究」に関する書籍をご紹介いたします。ソーシャルワーカーの向谷地 生良(むかいやち いくよし)さんが2006年に出版した著書『安心して絶望できる人生』をひもときながら当事者研究の概要を以下にまとめてみました。

 当事者研究とは、北海道の浦河に存在する「べてるの家」(統合失調症などを抱える人たちが暮らす共同体)から生まれた実践活動です。

 この「当事者研究」という言葉に出会って以来、わたしが今まで行っていたことのすべては「当事者研究」だったのだと再認識することができました。

 

安心して絶望できる人生 (生活人新書)

安心して絶望できる人生 (生活人新書)

 

 

 

 以下は本書からの引用・要約を交えた「まとめ」です。

べてるの家の主な実践活動

べてるの家は1978年 日赤病院の精神科を退院した回復者2〜3名が教会の片隅で牧師婦人指導のもとに昆布作業をしたのが始まりです。今では精神病ばかりでなくいろんな障害をもった人が多数活動しています。》 べてるの家には共同住居4棟 グループホーム3棟が存在する(2006年現在)。

 べてるの家の主な活動は以下のようなものがあります。

「金曜ミーティング」〜 毎週金曜日に一週間の体調と気分、良かったことを一人一人語る。「苦労コーナー」では自分の苦労を語り同じような苦労経験者からアドバイスをもらう。

SSTソーシャルスキルレーニング)生活技能訓練認知行動療法。生活や病気、その背後にある認知や感情の苦労を課題としてあげ、ロールプレイを使いながらコミュニケーションの練習をする。

「SA(スキゾフレニクス・アノニマス統合失調症の仲間たちのミーティング。「回復への8ステップ」を使い、自分の気持ちを話す場。

「幻聴ミーティング」 〜 幻聴で苦労しているメンバーがその状況や対処方法を仲間と話し合い幻聴の研究をする。

当事者研究 〜 (以下で詳細します。)

 

当事者研究」とは何か 

《「幻聴さん」と一緒に暮らし思いが極まれば「爆発」する。そんな自分を「研究」してみると、いつもの苦労や絶望のお蔭で、何だか自分の助け方がわかるように思えるから不思議だね。弱いから虚しいから、絶望の裏返しの希望を見晴らせる。...》見返しより

 

当事者研究」の誕生 

 統合失調症を抱え、「爆発」を繰り返す一人の青年(河崎君)との出会いから当事者研究ははじまったといいます。(脚注:「爆発」=「暴れること」)

《『河崎君、この爆発のテーマは、君自身の欠点や弱さをいかに克服するかという問題ではない。極端に言えば、世界中の爆発に悩む仲間をいかに救出するかというテーマでもあるし、河崎君自身がこのテーマを通じて、多くの人たちとつながるチャンスでもある。そこで提案したいんだけど、仲間といっしょに爆発をテーマにした研究をしてみないかい......』》p63

 

 自分の「生きづらさ」に名前をつける

 当事者研究とは “生きづらさ”研究のことです。自分が抱えている固有の生きづらさを客観的に対象化し、分析し、研究する態度をもつ実践活動はすべて「当事者研究」です。最初のステップとしては、べてるの家の場合は「自己病名」(自分固有の生きづらさに名前をつけること)からはじまります。

《...「自己病名」という自分の実感を基につけたオリジナルな「病名」をかかげ、起きてくる症状や人間関係をも含む、さまざまな生活上の生きづらさについて、仲間と共に「研究」活動をはじめ、切実な問題を解明・解消していこうとする....》p65

 

当事者研究は「研究する」という態度から生まれる

《「当事者研究」という実践活動は、統合失調症などを抱える当事者が、仲間や関係者と共に、自らの抱える生きづらさや、生活上の課題を「研究者」の視点から解き明かしていくという試みで、浦河という地で生まれた世界で唯一?のユニークなプログラムです。》p3

《 誰もが「自分の専門家」となって、身近な人たちと「当事者研究」に関心を持ち、「研究者」の眼を持って、自分自身と社会に眼を向け、暮らしやすい場を創っていこうとする人と人とのつながり...》が当事者研究です。p4

 

当事者研究の理念...「自分自身で、共に」

当事者研究の意義とは、統合失調症など精神障害を抱えた当事者自身が、自らの抱える固有の生きづらさと向き合いながら問い、人とのつながりの中に、にもかかわらず生きようとする「生き方」そのものということもできます。それが「自分自身で、共に」という当事者研究の理念に反映されています。

 つまり、当事者研究とは、生活の中で起きてくる現実の課題に向き合う「態度」であり、「人とのつながり」そのものであるといえます。ですから「当事者研究」という営みは、決して、単一の問題解決をめざす方法論——問題解決技法——ではありません。そして、毎日、どこでも、どの場面でも「当事者研究」は取り組むことができ、形や方法に縛られることなく、一人でも、ワークショップのような大人数のグループでも、可能になってきます。》p53−4

 

当事者研究の“効能”

 当事者研究は社会に何かを訴えかける「当事者運動」とは違います。当事者研究は生きづらさに対する認識の変換(再−意味化)によって生きづらさを低減する活動実践だと言えます。自分固有の生きづらさが世界の構造へと接続され、「人と人のつながり、つまり人間の生きた歴史を取り戻す」ことによって「個人苦」が「世界苦」へ...「苦悩」が「苦労」へ...「苦労」が「テーマ(課題)」へと変換されるのです。この過程を経ることによって「生きづらさ=苦悩」は受け入れ可能な〈生きづらさ=苦労〉へと組み替わるわけです。

《 単純に病気だけを治したり、悩みをなくしたりするのではなく、生きづらさを抱えたときに、人とのつながりの中で意味を持ってくる。病気そのものはなくならないかもしれないが、その苦労が意味を持って、全く違った価値を持ってくるという可能性が、当事者研究という活動の中にはあるのです。》p38

 

「個人苦」から「世界苦」へ 

当事者研究の持つ力の一つに、「個人苦」が「世界苦」へと広がる経験を当事者がするということがあると思います。当事者の感じる孤立感の一つに、自分の抱える生きづらさが、周りの人との間で共有されないという苦しさがあります。》p36

《...私の行き詰まりは、私個人に偶然起きた身の不幸ではなくて、私自身を越えた「人間のテーマ」として私は受け止めることができた...自分の行き詰まり感や苦労はある意味、世界が抱える現実の行き詰まりにつながっていたのです。》p37

《「世界の抱える苦しみに自分はつながっている」。その感覚によって、人を活かすという実感をそのときに見出すことができました。それは、別な言い方をすると、人と人のつながり、つまり人間の生きた歴史を取り戻すということです。》p37

 

“悩み”から“課題”へ 

《 中学生のころ、同級生や教師との人間関係に行き詰まり、とことん追い詰められた気分になったとき、「自分は“悩み”を抱えているのではなく、人間関係という大きな“課題”に直面しているのだ」と考えるようにしたのです。自分は“悩み”を抱えているのではなく、大きな“テーマ”を与えられているのだと考えると、不思議なことに行き詰まりを抱えている自分自身に対して、誇りを感じるようになったのです。

 態度を変えただけで、何も問題は解決せず、相変わらず苦労が続いていながらも、自分が損なわれない感覚を覚え、「行き詰まり」という自信を持つようになったのです。そして、人間関係という人とのつながりの上で起きてくる予想外のさまざまな軋轢や行き詰まりの延長上に、政治や経済の仕組みやルールがあり、その究極の破綻が戦争であると考えるようになりました。》p55

 

“悩み”を“苦労”に変え、“苦労”を“テーマ”に変える

当事者研究とは、歴史性の取り戻しの作業へのお手伝いでもあります。自分という人間が、今、ここに生きてあることを支える具体的な人のつながりを蘇らせていく歩みでもあります。当事者研究とは、まさしく悩みを苦労に変え、苦労をテーマに変えていく作用を持っています。》p38

《... 私は「悩み」を「苦労」として受け止め、「問題」を「テーマ・課題」として考える習慣を持つようになりました。》p58

 

当事者研究の大切なエッセンス ...根拠なき信頼...

《...私たちは、自分たちが弱い者であることを知っています。同時に、人との出会いや与えられたものの確かさを私たちは知っています。

 ですからそれを信じる形で、そしていろんな壁にぶち当たったときにも、どんな行き詰まりを感じたときにも、どんなに目の前の現実に希望を見出せなくなってしまうようなときでも、きっとそのことが何かまた新しい意味を生み、新しい人のつながりを生むはずだということを、もう先に信じてしまう

 決して心の底から信じなくてもいい、いい加減でもいい。もうほんとに口先だけでもいいから、信じてしまったほうが勝ちみたいな、そういういい加減な信じ方、確信のない信じ方、決して実感のない信じ方、そのようないい加減な信じ方をしてしまうということを、私たちは大切にしてきました。実は、当事者研究も一つの信じ方だといえるし、当事者研究の大切なエッセンスだといえます。》p50

 

「人の評価」への依存問題 

《「人とのつながり」というテーマは、実は裏側にもう一つの問題をはらんでいます。それは、人とのつながりを求めている人たちの多くは、「人の評価に飢えている」という側面もあるからです。つまり、私たちは、知らず知らずのうちに「人にどのように評価されるか」という基準の中で生きてしまっているからです。》p34

《 親の顔色をうかがい、周りの評価にとらわれ、自分を殺し、自らの感情を見失ってきたという経験を持っています。》p34

《「評価」をめぐる一番の問題は、その評価が一人の人間の価値や可能性までをも支配していしまうことです。知らず知らずのうちに、「人が人の価値を決める」という構造ができ上がってくるのです。》p34

 

べてるの家のシステム

べてるの家のシステムの一番大切なところは、問題探しをして、改善しようとするシステムではなく、「人を信じるシステム」「人を活かすシステム」「他者の評価からの自立のシステム」によって培われていることです。

 その場の中では、一人ひとりがいろいろやってつまずいたり失敗しても、そのことに学ぶ主体として尊重されます。必要最低限のルール以外は、支配や管理のない場だということもできます。「変わること」に対して他人が干渉したり、管理しないという仕組みをつくっただけで、人の中に入れなくて、自罰的で自虐的な生きづらさを抱えた当事者が、イキイキと活動をはじめるのです。まるでマジックみたいなものです。》p35−6

 

当事者研究の「問い」という営み 

《 精神科の病気を抱えながら、爆発をくり返したり幻聴さんにジャックされたりして、色々なエピソーが起きてしまったとき、「研究」という切り口で楽しく仲間とそのメカニズムを考えたり対処方法を研究したりします。「研究」のためには「実験」が欠かせません。その成果を検証する機会と実際に応用する技術が必要ですが、その意味で当事者の日常とは実に数多くの「問い」にみちた実験の場です。この研究で大切なことは「問い」という営みを獲得することです。 》

《 テーマを持つということは、そこに「問い」が生まれます。究極の問いは、「自分が何のために生きているのか」という問いです。》p56

 

べてるの家の活動理念

当事者研究」という営みは、いきなり突然ポッと出てきたわけではなく、もともと「べてるの家」がもっていた活動理念が苗床となって生まれてきた実践活動です。

 

べてるの家の「理念集」

 べてるの家のユニークな活動理念(キャッチフレーズ集)には以下のようなものがあります。

「三度の飯よりミーティング」「安心してさぼれる職場づくり」「自分でつけよう自分の病気」「幻聴から幻聴さんへ」「そのまんまがいいみたい」「弱さを絆に」「場の力を信じる」「手を動かすより口を動かせ」「それで順調」「弱さの情報公開」「利益のないところを大切に」「偏見差別大歓迎」「昇る人生から降りる人生」「苦労を取り戻す」「降りていく生き方」「安心して絶望できる人生」「苦労は人生の大切な宝物 そこには自分を助けるヒントがある」...等々。

 特に重要だと思われるのは、「弱さを絆に」「弱さの情報公開」「昇る人生から降りる人生」ではないかと思います。

 

「昇る人生」から「降りる人生」へ

 べてるの家では以下のようなヘンな会話が日々くり広げられているそうです。

「自分の行き詰まりに手ごたえを感じる」「この困り方は、いい線をいっているね」「悩み方のセンスがよくなってきた」「自分の悩みや不安に誇りを感じる」「最近、落ち方がうまいね」「あきらめ方がうまくなってきた」「悩みの多さに自信が出てきた」「病気のスジがいいね」...等々。

 以上の会話からわかるように、べてるの家は「病気克服系」(昇る人生)ではなく「あきらめ系」(降りる人生)を理念とした共同体です。

「昇る人生」から「降りる人生」へのシフト...《 その背後にあるのは、終始生活上のリスクを軽減し、不安や悩みを回避して生きることが、決して安心をもたらさないという経験です。子どものころから、私たちは知らず知らずのうちに勉強をして、いい成績をとって、病気に気をつけて、交通事故にあわないようにと、リスクを回避することが、自ずと将来の安心を獲得できる暮らし方であるような習慣を植えつけられてきました。その意味でいうならば、それから外れた人生は、すべて失敗と挫折の人生ということになります。》p17−8

 つまり「勝ち組/負け組」などという二項対立を生みだす「リスク回避的人生」とは正反対の生き方の選択がなされるわけです。こういう生き方の態度や構えは「受動的能動」宮台真司あるいは「中動態」國分功一郎と呼ばれていたりします。

 べてるの家が注目される理由は《 精神障害をはじめとするさまざまな障害を持った人が、病気や障害を克服し、生きいきと暮らしている理想の場所だからではありません。》 べてるの家では《「今日も、明日も、あさっても、順調に問題だらけ...」といい放つほど、いろいろな苦労が起きています。》

《 決して成功とは無縁で、ずっと行き詰まりや苦労の多い人生でも、にもかかわらず安心して生きていこうというべてるの家の歩みの中から培ってきた暮らし方 》——すなわちそれが「安心して絶望できる人生」——から生まれでたのが「当事者研究」だったわけです。

 

弱さの情報公開

《「弱さ」という情報は、公開されることによって、人をつなぎ、助け合いをその場にもたらします。その意味で、「弱さの情報公開」は、連携やネットワークの基本となるものなのです。それをプライバシーとして秘匿してしまうことによって、人はつながることを止め、孤立し、反面、生きづらが増すのです。》p27

 

 弱さの強さ 

《「べてるの法則」では、「弱さと弱さ」が集まると「強さや優しさ」が生まれます。強さと強さの結合は、最も脆い組み合わせです。強さと弱さが集まるとちょっと“いい加減”になります。私たちの非援助論の根底に流れる私たち一人ひとりが持つ無力さ、専門家の無力、家族の無力、当事者の無力、これらがうまくつながり合ったときに、大きな力が生まれるのです。》p45

 

「あきらめる」こと ... 生き方の高等技術

《『ダメなままの自分を受け入れよう』とこだわることもやめ、『あきらめるしかない』と思い、いままで自分が必死にしがみついていた手綱を手放したとき、手放したことで自分にマイナスになるものが何ひとつないことがわかったのである。

 “あきらめる”というと、すごく大切なものをいろいろと捨てるような感じがする。苦しんでいるときは、『ダメな自分のままでいいんだ』ということを受け入れられない自分に、無性に腹が立っていた。しかし、『ダメなままの自分を受け入れられない』ので、悪戦苦闘の結果として『悩むことをすべて放棄する』ことにしたのである。そういう遠回りをして、やっと『ダメな自分のままでいいというのは、こういうことか!』とわかるようになった。

 あきらめること——それはべてるでは、生き方の高等技術としてとても大切にしている。いまでは、現実に起きていることを明らかにしてそれをすべて受け入れることなのだと思っている。あきらめることは、はじめの一歩に立つことである。...》(清水里香さん『べてるの家の「当事者研究」』より)p48−9

 

エンパワーメント

《 私たちソーシャルワーカーの援助の基本的な考え方の中に「自助の援助」という言葉があります。これは病気や障害を抱えた人たちが「自分を助ける——セルフ・ヘルプ」ことを助けるという原則です。》p66

統合失調症を抱える当事者を助ける主役は、「当事者自身」であるとするエンパワーメントの視点に立ったスタッフの姿勢...》p70

 

当事者研究の事例

Bさん(男性、年齢20代) p76より

〈苦労のプロフィール〉中学二年生のころより幻聴が聞こえはじめ、不登校を経験。幻聴と現実の見極めに苦労し、悪口が聞こえてきたときには、近くにいる人に大声を出すこともある。

〈自己病名〉統合失調症暴走型 “もう誰にも止められない”タイプ」

〈研究テーマ〉 幻聴さんの声と現実の声の見極め方の研究

〈研究の目的〉デイケアに来ると、“馬鹿にされるぞ”という声が聞こえて、カッとなって家に帰ってしまったり、机を蹴飛ばしたことがあるので、それを見極めできるようになりたい

 

「本当の自分」と評価の問題 「他人の評価依存型人間アレルギー症候群」

《...〈本当の自分〉を見せたら嫌われると思いこむようになっていた。〈本当の自分〉とは怒りを抱え、悲しい、淋しいと思っている自分だった。反面「いい人」でいることで周りからはよく評価されていた。それは〈本当の自分〉への評価ではなかったが、他に自己を肯定する要素が何もない以上、周りからの評価によって肯定感を得るより他になかった。》p109

 

秋山里子さん「人間アレルギー症候群」の研究

《「人間アレルギー症候群」とは、自分も含めた「人間」に対して起きるアレルギー反応である。抗原=アレルゲンと化した人間に接するとさまざまな症状が出現し、生きていくことが困難になる。》p134

《 今、ようやく安心を得て「自分の存在もありなのかな」という感じを確かめている。「生」と「死」は両極端のようでありながら、同じ方向を指している。「死ぬために生きる」。この矛盾した感覚がどうも落ち着かない。人として生まれたからには、やっぱり人と人とのつながりを感じていきたい

 目を閉じたときに、暗闇の中にポツンと存在する自分を見ると「何て儚いんだろう」と思う。物や情報の中に存在していると、何だか力を得たような気分になる。でも、そういうものは幻の感覚なのかもしれない。...  

...ここでは、自分の気持ちを当たり前に公開できて、自分の気持ちを語れる場がある。そして、それを聞いてくれる仲間がいる。

 気持ちを言葉にする......そんな当たり前のことがどんなに大切なことであったのか、ここに来て改めて気づかされた。人と人が触れ合えるあの感覚。浦河に来てそういう人から感じるやさしさに触れ、幸せを感じている。

 みんな、弱さを持っているからこそ、心と心のコミュニケーションが成立するのかもしれない。人は人の中で存在し、死を迎える。だからこそ、人として生まれた意味を追求したい欲求が消えることはない。》p143−4

 

「話すこと」からはじまる回復

《 結局私は寂しがりやで、一人では生きていけない弱い生き物だ。高校時代から現在に至るまで、かなり自分の世界だけで生きてきた私が、最終的に求めたものは「人」だった。「人と一緒にいたい」「人とわかり合いたい」。...

 周りに人がいるときといないときは別世界だ。空気の色も湿度も一人ひとりの持つ個性が生み出していく。言葉を使ってコミュニケーションすると、心も体も健康になっていくと思う。ネガティブな思考もそれ以上悪化することはなくなると思う。回復は話すことからはじまる。》p157−8

 

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