生物としての動物は、一日中なにもせずにじっとしていても呼吸をしているかぎり必ずエネルギーを消費する。これは生命活動を維持するための必要最小限のエネルギー(基礎代謝)であり、ヒトの場合一日約1400kcal 必要になる。もし、基礎代謝以上のエネルギーを食物として摂取できなければ、生命体はどんどん痩せ細り、やがて餓死する。
何もせずじっと静かにしているだけで自分の意思とは無関係にエネルギーを消費し、何らかの物質によってエネルギーを摂取しなければ餓死してしまう……。これはあまりにも理不尽ではないだろうか。何かするならエネルギーを必要とし、何もしないならエネルギーが消費しないなら合理的である。なのに動物はそうなっていない。仮に、クマのようにヒトも冬眠期間があるならそのような理不尽さはある程度は軽減できる。が、ヒトには冬眠はない。
そのような動物としての理不尽さと人間社会の資本主義的労働が組み合わさると、すべての賃労働は限りなく“奴隷労働”にちかくなる。生きるためには必ずエネルギー(食物)を必要とし、食物を得るには商品としての食品を購入しなければならない。食品を購入するためにはお金が必要になり、お金を得るには何らかの賃労働をしなければならないのである。これは、あたかも生まれた時点で莫大な借金(負債)を背負わされ、死ぬまでその借金を返すために働くことを強制されているようなものである。
社会が資本主義でヒトであるかぎり、そのようなメカニズムはすべての人間に平等に働いている。もちろん、生きるためには食費以外にも家賃や光熱費、医療費なども必要になる。これらすべてが自発的な奴隷労働の負債として作用することになるのだ。例外的にお金をたくさん持っているひとは奴隷労働を強制する負債から免れることができる。
もし、ベーシックインカムが政策として実施され、誰もやりたくないような仕事を人間のかわりにAIがやってくれるような未来がくれば、負債にもとづく奴隷労働から人間は解放されるだろう。しかし、そのような未来社会がくるまでは人間は永遠に奴隷労働を強いられることになる。