おんざまゆげ

@スラッカーの思想

2020-01-01から1年間の記事一覧

「かつら」をファッションに!——男性学的「かつら」論

「かつら」はファッションである ぼくはファッションにはあまり興味がないが、「かつら」(あるいはウィッグ)には興味がある。 「かつら」はファッションとして使用されるときは「つけ毛」「ウィッグ」とよばれ、「薄毛」を隠す目的で使用される場合にかぎ…

トランス女性とシス男性の性愛は異性愛か?——トランスジェンダーのセクシュアリティについて

GIとSOは分離できるか セクシュアルマイノリティの問題を一言で示そうとして使用された「LGBT」という括り方にはいろいろと問題があった。そのあとできた「SOGI」という括り方にも問題はある。ジェンダー・アイデンティティ(GI)とセクシュアル・オリエンテー…

トランス差別と「性という存在形式」—— サンディ・ストーンの“ポスト・トランスセクシュアル宣言”について

私たちは「見た目」で性別判断してしまう“クセ”がある トランスジェンダーを差別することは、容姿や見た目による差別と通底している。これは、年齢差別、女性差別、人種差別、障害者差別、ハンセン病差別などにも見いだせる。「見た目」から判断して分かるよ…

「複層的現実」で生き延びる

ネットとリアルを使い分けるひとたちがいる。こういう人たちを「デジタルネイティブ」と呼ぶ。いまではネットと現実の「複層的現実」(Multi-Layered Reality)を苦もなく生きる人たちは「当たり前」になった。 「オタク」というレイヤー 先ごろ海外の「アニメ…

「二重の排除」と「マイノリティ」—— 変革者としてのクィア的存在

「意味/無意味」が成り立つためにはホモ・サケル的な第三項排除としての「非意味」が必要になる。同じように、「優者/劣者」という価値序列が成り立つためには、価値評価の対象外(優者にも劣者にもなりえないもの)が必要になる。 「優/劣」のような社会的評…

他者を「尊重」すること —— 「尊重」という態度は歴史的に“発明”されたもの

・「尊重」とは「否定しない」こと 私の理解では、「尊重」(=respect)というのは、「個人の尊厳を尊重する」ということ。どんなことがあっても他者をバカにしたり貶んだり蔑視したりしない態度のことです。ひとことで言うなら「個人の存在を否定しない」こと…

「家族主義」の淵源 —— 「家族国家」と天皇制

川島武宜の『イデオロギーとしての「家族制度」』、『日本社会の家族的構成』を読んで、改めて日本社会の「家族主義」の根深さを思い知らされた。 あらゆる組織(会社や学校など)が「家族」のような共同体になってしまうのは、明治から始まる近代化=国民化…

「家父長制(=家族主義)」から「親密圏(ジェンダー平等)」へ ——「資本の論理」に汚染されない場所が必要

「システム」と「生活世界」という区別がある。「システム」は「市場社会=等価交換の世界」に、「生活世界」は「親密圏=贈与の世界」に対応する。 具体的に言うならこうなる。家族的なホームから「行ってきます」と言って市場社会へと出撃し、労働者としてボ…

男性性と性的興奮——「政治的に正しい勃起」はありうるか?

【ヘテロ男性の性的興奮について】 ポルノグラフィ規制派でアメリカのラディカル・フェミニストであるキャサリン・マッキノンやアンドレア・ドウォーキンは、「異性愛者のセックスはすべて男性による強姦である」という強烈なテーゼを主張した。しかし一方で…

「強い当事者主義」問題——セクマイ問題の“ややこしさ”について

セクマイ問題はどうして“ややこしい”のか——。最近だったら社会学者の千田有紀さんが「トランス差別」に関するツイートで炎上した。のちに千田さんは『現代思想』(2020年)で『「女」の境界線を引きなおす—「ターフ」をめぐる対立を超えて』(=千田論文)を書い…

絶対的な生きづらさ——「個体化の不条理」について

哲学の分野には「他者問題」とか「他我問題」というのがあります。ぼくが考える「個体化の不条理」というのはそれに関係します。人間の場合は「身体化の不条理」とよんだほうが近いかもしれません。 たとえば、頭痛になったときに症状(痛み)を他者に訴える。…

「正しさ」ではわりきれないもの

「正しさ」だけではわりきれないことがある。人間は感情的な生きものだから...。 ぼくはYouTubeの犬や猫の動画に癒やされる。その一方、5分程度の動画でサラリーマン年収を超えてしまう「動物YouTuber」に嫉妬する。自分はこんなに苦労して働いているのに、…

「日本的生きづらさ」と「トレース問題」——「生きづらさ」を三つの次元で考える

「生きづらさ」の淵源には二つの源流がある。「社会」と「世界」、あるいは「社会的アイデンティティ」と「実存」。 社会的な生きづらさには「苦痛」という言葉が、実存的な生きづらさには「苦悩」という言葉が合っているように思う。 実存的な生きづらさ(=…

SEALDs系の運動に参加して感じた違和感

脱原発デモに参加したことがきっかけでSEALDs系のデモに参加したことがあった。違和感だからけだった。ぼくが参加していたのは小規模のものばかりだったけど、小規模だからこそ周囲の人間の「顔」がよく見えた。生活には困っていない「明るい学生」ばかりだ…

「左翼」や「リベラル」のクソさについて

1.ほんとうの左翼・リベラルとは... 2.赤木智弘氏の「希望は戦争」論 3.左翼・リベラルのクソさが「日本会議」を生んだ 4.「反天皇制運動」も日本会議と同じ 5.「ネトウヨ」も左翼・リベラルのクソさが生んだ 1.ほんとうの左翼・リベラルとは...…

真実と嘘

「真実」を言ったのに誰も信じてくれない...聞いてくれない...ということがある。これは聞く側に「聞く耳がない」ということではなく、「語り方」に問題があると言われている。真実を語るにもある程度のウソ(演技・脚色・演出)が必要であり、真実をそのまん…

結局、「私はこう思う」としか言えない

誰かに何か相談されたとき、その相談に直接答えるかたちで「それはやめたほうがいい」とか「こうやったほうがいいと思うけどな...」みたいに言ったとする。これってアドバイス的でコントロール的になるのではないか? そういうときは、「私だったらやめると…

「感じない官僚的人間」になりたくない

ぼくは「知ることよりも感じることのほうが大切だ」という命題(レイチェル・カーソンの言葉)に賛同している。これは真理だと思っている。知識より感情。何かを知ることは重要なことだけど、そこに何らかの思いや感情がなければ知識はたんなる上辺だけの知識…

本当に「救われない」と覚悟したとき、逆に救われる気がする —— 死・意味・価値について

「死」について考えるとき、いつもふたつの感慨にとらわれます。ひとつは、「人間はいつか必ず死ぬ。人生は有限である。残された時間は少ない。なのに、自分は今、とてもくだらないことをしている。こんなことをしていていいのだろうか...」という感慨。もう…

選挙に乗れない理由 ―― ルーマンの「冷めた理論」

前回の参議院選挙(2019)では、「れいわ新選組」を支持した。でも、ぼくはまったくもって選挙というものを信じていない。 もともとノンポリだったこともあり、選挙には熱狂できない体質である。山本太郎の演説には感動するが、だからといって何かが変わると思…

「二種類の人間」

自動車教習所に通っていた頃の話です。 空き時間に教習コースをボーッと見ていました。自動車コースで複数台、バイクのコースには2台走っていた。ザァザァと雨が降っており、バイク教習のジグザク運転はすごく大変そうでした。 ぼくの他にもボーッと見ている…