- 作者: フロレンスナイチンゲール,Florence Nightingale,湯槇ます,薄井坦子,小玉香津子,田村眞,小南吉彦
- 出版社/メーカー: 現代社
- 発売日: 2011/01
- メディア: 単行本
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この『看護覚え書』は1860年に出版された本だ。
プロの看護師のための本ではない。
《他人(ひと)の健康について直接責任を負っている女性たちに、考え方のヒントを与えたいという、ただそれだけの目的で書かれたものである。》とナイチンゲールは述べている。
目次を見ただけでふつうの看護本とは違うということがわかる。
序章
(1)換気と暖房
(2)住居の健康
(3)小管理
(4)物音
(5)変化
(6)食事
(7)食物とは
(8)ベッドと寝具類
(9)陽光
(10)部屋と壁の清潔
(11)からだの清潔
(12)おせっかいな励ましと忠告
(13)病人の観察
(14)おわりに
補章
この本は「ナイチンゲールのメモ」であり、箇条書き的に書かれている。たとえばこんなふうに。
…「癒(なお)らないものは我慢せよ」という格言ほど、看護婦にとって性質の悪い、およそ危険きわまる格言はない。我慢と断念という言葉が、看護婦の口にのぼるとき、それは怠慢と無関心の言いかえに他ならない。それは、自身に対しては恥を表わし、病人に対しては無責任を表わす。
副題は『看護であること・看護でないこと』。
この「看護でないこと」というポイントについて着目したのがこの本の特徴である。たとえば12章の「おせっかいな励ましと忠告」がそれだろう。そのことについてナイチンゲールはとても辛辣な調子で書きなぐっている。この部分だけを読んでも勉強になる。
病人に「元気」をつけようとする、そのような軽薄な行為を厳に慎んでいただきたい
「おせっかいな励まし」とは、まことに奇妙な標題であると思われるであろう。しかし私は固く信じているが、友人たちの悪いくせである元気づけの言葉ほど病人を痛めつけるものは他に類がない。それは一種の儀礼的な習慣であろうが、私は、自分自身も含めておおぜいの病人たちを観つづけてきた長い経験から、声を大にして叫びたい。こんな習慣は絶対反対すると。親族や友人、見舞客や付添い人など、病人をとりまくすべての人びとに向かって私は心から訴えたい。病人が直面している危険を、わざと軽く言い立てたり、回復の可能性を大げさに表現したりして、病人に「元気」をつけようとする、そのような軽薄な行為を厳に慎んでいただきたいと。
病人は「陽気になる」どころか疲れ果ててしまい、結局、ひたすら自分の病気のことばかりを思い煩うことになってしまう
現実には、善意はあるが厄介きわまるこの種の友人たちに励まされて、患者がすこしでも「陽気」になったりすることなど皆無なのである。それどころか反対に、病人は倦み疲れて気が滅入ってしまう。これは二つの場合がある。その一つだが、もし病人が、この善意の陰謀を胸に抱いて入れかわり立ちかわり押し寄せてくるとてつもなく多勢の人びと——なにしろその名はローマ大軍団(古代ローマの歩兵軍隊)なのである——のひとりひとりに向かって、なぜ自分にはそう思えないか、どういう点で自分の病状は彼が思っているよりも悪いのか、他人には見えないどんな症状があるか、などをいちいち説明する努力をしたとすると、病人は「陽気になる」どころか疲れ果ててしまい、結局、ひたすら自分の病気のことばかりを思い煩うことになってしまう。
患者の骨折を知りもしないで運動を勧めるのと同じ
のこのこと病室にまで出向いてきて、その実行の可能性はおろか、患者にとっての安全性についてさえ知らないことを、患者に勧めて患者を悩ます素人や医師の友人知人たち。彼らのずうずうしさは驚嘆に値する。それはちょうど、患者の骨折を知りもしないで運動を勧めるのと同じである。(中略)思えば人類はこうしたことに関して、二、三百年昔とちっとも変わっていない。これは奇妙なことであるが事実である。
病人がいうことを何でも自分の理屈に都合のよいように捻じ曲げる
この世で、病人に浴びせかけられる忠告ほど、虚ろで空しいものは他にない。それに答えて病人が何をいっても無駄である。というのは、これらの忠告者たちの望むところは、病人の状態について本当のところを知りたいというのではなくて、病人がいうことを何でも自分の理屈に都合のよいように捻じ曲げること——これはくり返し言っておかなくてはならない——病人が現実の状態について何も尋ねもしないで、ともかくも自分の考えを押しつけたいということなのである。「しかし自分としては、そんなことを病人に聞くなど、不躾で失礼なことはできない」と忠告者たちはいう。なるほど、しかもそれを尋ねることはできないと自認しながら、それでいて忠告を与えることのほうが、いっそう失礼ではないか。
こういったことが実はまだまだ延々と書かれているのが「おせっかいな励ましと忠告」の章である。一言で述べるなら「善意あるものが無自覚に押しつけてくるやさしさや思いやりという暴力」がいかに弱っている人を痛めつけるか、ということだ。
この章を読んでつくづく感じたのは、相手の立場に身を置いて想像することのむずかしさである。患者にとっていったい何がよきことなのか。むずかしい問題である。