おんざまゆげ

"感受性マイノリティ男子"がつづる日々の雑記・雑感… 読書、映画、アニメの感想など。

【小説】白石一文『私という運命について』/「ほんとうに不幸なのは出産できない女性」?

 2005年に出版された白石一文さんの長編小説。2014年にはWOWOWにてドラマ化もされました。

【内容】

 大手メーカーの営業部に総合職として勤務する冬木亜紀は、元恋人・佐藤康の結婚式の招待状に出欠の返事を出しかねていた。康との別離後、彼の母親から手紙をもらったことを思い出した亜紀は、2年の年月を経て、その手紙を読むことになり…。  

 女性にとって、恋愛、結婚、出産、家族、そして死とは? 一人の女性の29歳から40歳までの“揺れる10年”を描き、運命の不可思議を鮮やかに映し出す、感動と圧巻の大傑作長編小説。[アマゾンより]

 

私という運命について (角川文庫)

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 ドラマの公式サイト:連続ドラマW 『私という運命について』

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あまりにも保守的な小説

 主人公の冬木亜紀という女性は、いわゆる「男女雇用機会均等法 第ー世代」に属するキャリアウーマンとして描かれています。皇太子妃 雅子さまも均等法第一世代だったこともあり、この世代の働く女性は「雅子さま世代」などと呼ばれたりもしました。

 では、雅子さま世代である主人公の亜紀は、どういった人生を歩んだか...。

 結論から言いますと、最終的には「専業主婦」を選んだのです。しかも小説のなかでは、女性の幸せは結婚して子どもを産むことにある、という旧態依然の価値観を積極的に肯定しています。このことから、この小説はフェミニスト界隈だけではなく一般的な働く女性からも“不評”を買うことになりました。

 長々とした小説を読まされたあげく、女性というのはやっぱり結婚して子ども産んで男性に尽くすのが幸せなんだよ、という結論を男性の書き手によって見せつけられるわけです。こんな結末なら女性読者から不満が出るというのも必定と言えるのではないでしょうか。

 

贅沢な悩み? 】  

 この小説は、均等法第一世代の女性をわざわざ描いておきながら仕事ではなく専業主婦を選択するという盛大な梯子外しをおこなう「肩透かし小説」なのですが、ならば女性のリアルをちゃんと描いているかというとまったくそうでもないのです。

 亜紀が悩んでいるような悩みというのは、今ではほとんど「贅沢な悩み」に見えてしまう。(当時も一部の女性にしか通じない悩みだったのだが...)。

「仕事は順調だが恋愛に躓く」という90年代トレンディドラマ風の女性の悩みは、今ではまったくリアルではない。現代のリアルは非正規労働4割(そのうちの6割は女性)というものです。恋愛ドラマが凋落したのは、現実は「仕事に躓いて恋愛どころではない」というリアルが大勢を占め、それなのにいまだに恋愛、恋愛と言って恋愛ばかりに生きる主人公たちを描いていることがあまりにも滑稽に見えてしまうからです。

 

保守的な女性からの恐るべき手紙

 康のプロポーズを断った亜紀。その康の母である佐智子から亜紀あてに手紙がきます。はじめはとても謙虚な文面なのですが、途中から突如として厚かましくなり「どうか康との結婚をもっと真剣に考えてみてください」と説得しだします。

 佐智子の自分勝手な論理の流れだけを見ると、何かの新興宗教にでも入信させようとしているかのような恐るべきパターナリスティックな手紙になっています。その一端を下記に引用します。

 

… 亜紀さん。あなたはどうして間違ってしまったのですか?

 

 あなたのような賢い女性でも、時として過ちをおかすものなのですね。あらためて私はそのことを思い知らされています。

 

 亜紀さん。選べなかった未来、選ばなかった未来はどこにもないのです。未来など何一つ決まってはいません。しかし、だからこそ、私たち女性にとって一つ一つの選択が運命なのです。私とあなたとは運命を共にするものと私は信じていました。康は、自分に亜紀さんを引き留めるだけの魅力がなかったのだ、と諦めているようです。男の人というのは案外に弱いものです。でも私たち女性はそうではないでしょう? 子を生み育て、この世界を存続させていくのは私たち女性の仕事です。私たちが家を守り、子供を生まなくなったら、この世界は瞬く間に滅んでしまいます。

 

 亜紀さん。どうか目を覚ましてください。

 もう一度、自分自身のほんとうの心の声に耳を傾けてください。

 

 私も、若い頃に好きな人がいました。その人のことを忘れられぬままに現在の主人と一緒になったのです。でも、私のその選択は間違いではなかった。好きな人と結婚する未来はどこにもなかったのです。主人との結婚を選んだ、私の選択こそが私の運命でした。女性はそうやって運命を紡ぎながら生きていくのです。世界中の女性が一つ一つの決定的な運命に自らの身を委ね、この世界の全部を創り出していく。私たち女性はそのことに誇りと自信を持たなくてはなりません。

 

 あなたを一目見た瞬間、私には、私からあなたへとつづく運命がはっきりと見えました。あなたがこの佐藤の家に来て、この家を継ぐ子供を生んでくれるに違いないと直観したのです。

 

 もう一度言います。

 亜紀さん。どうか康との結婚をもっと真剣に考えてみてください。私は、きっとあなたが佐藤の家に嫁いで来てくれることを、いまも信じています。

 亜紀さん、私はあなたを心から待ち望んでいるのです。(p95−6)

 

 

出産できない女性は不幸?

「結婚、出産、幸福」の関係を亜紀がふと考えているくだりがあります。そこで出した結論は「ほんとうに不幸なのは出産できない女性」というものでした。

 

 子どもを持つというのは、女性にとってかなりの確率で幸福なのではないだろうか。「未婚=非幸福」という公式が揺るがないのは、「未婚=未出産」という通念がいまだに社会全体に罷り通っているからではないだろうか。要するに「結婚=出産=幸福」という公式と「未婚=未出産=非幸福」という公式があって、最終的に女性の幸福を論じるときに重要なのは、結婚・未婚の区別ではなく、出産・未出産の区別の方ではなかろうか。「出産=幸福」、「未出産=非幸福」というカテゴリーには確かにある種の説得力がある。その点に注目すれば、結婚できない女性が不幸なのではなく、ほんとうに不幸なのは出産できない女性なのかもしれない。

 

 そういえば、先月の十五日に皇太子妃雅子さまの御懐妊が宮内庁から発表された。雅子さま不妊治療で苦心されているとの種々の報道がこれまでなされていただけに、亜紀もこのニュースには心あたたまるものを感じた。同時に、亜紀とは同世代の女性の一人である雅子さまが懐妊されたことに、何か励まされるような気さえしたのだった。(p306−7)

 

 

何が問題なのか

 以前、さだまさしが作詞作曲した『秋桜』のなかにちょっとした女性差別の構造が隠されているということについて言及したことがあります。

 ・さだまさし・フェミニズム・天皇制 —— 山口百恵『秋桜』について

 この小説も同じです。社会のなかに女性差別の構造があるのに、その構造を問題にせずに女性の個人的なライフスタイルの是非を言ってしまっているのです。亜紀の個人的な人生は「結婚・出産=幸福」という価値観でいいのかもしれない。保守的で差別的な社会に順応できた人はさぞかしラッキーだったことでしょう。

 しかし、そうじゃない人の人生はどうなるのでしょうか。よく考えてみてください。雅子さまは幸せなのでしょうか。今でもずっと適応障害というご病気から回復されていませんが......。

「長男の嫁」になるために嫁ぐ女性、「男の子を産め」という理不尽な圧力、子どもを産むことが女性の幸せという価値観、家事や子育ての負担を一手に担わされる女性...。

 要するに、社会に根づいているそういう女性差別は問題である、ということです。

 

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