おんざまゆげ

@スラッカーの思想

内なる差別感情/「障害者になりたくない」という差別心について

「障害」は嫌だ

「目が見えるのと、目が見えないのと、どちらがいいですか?」と言われたら、私は「目が見える方がいい」と答える。目が見えなくなるのは端的に「嫌だ」と思う。その方が不便だからだ。

「目が見えないのは嫌だ」(目が見える方がいい)と答えることは、「視覚障害者になるのは嫌だ」(目が見える健常者の方がいい)と言ってることに等しい。ということは、「目が見える方がいい」→「目が見えないのは嫌だ」→「視覚障害者になるのは嫌だ」→「視覚障害者になりたくない」と言うことになる。

 従ってこれは、「視覚障害者」を否定していることになるのではないか…。

「障害者を差別してはいけない」と思っていながら「自分は障害者になりたくない」とも思っている。これは矛盾していると思う。前回述べたように、「ヘイトスピーチは差別だ」と言いつつ「ヘイト感情」を抱いているのと同じである。

「自分は障害者になりたくない」と思っていることと「障害者を差別してはいけない」と思うことは、いったいどのように両立可能なのか。

 相模原殺傷事件が起こった一年前、私は以下の記事でそのことについて考えてみたのだが、絶望的にまったく答えが出せなかった。

 

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