左の目から頬にかけてアザがある理系女子大生の前田アイコ。幼い頃から、からかいや畏怖の対象にされ、恋や遊びはあきらめていた。大学院でも研究一筋の生活を送っていたが、「顔にアザや怪我を負った人」のルポルタージュ本の取材を受けて話題となってから、状況は一変。本が映画化されることになり、監督の飛坂逢太と対談企画で出会う。
話をするうちに彼の人柄に惹かれ、作品にも感動するアイコ。飛坂への片想いを自覚してから、不器用に距離を縮めてゆくが、相手は仕事が第一で、女性にも不自由しないタイプ。アイコは飛坂への思いを募らせながら、自分のコンプレックスとも正面から向き合うことになる…。
遅い「初恋」を通して成長する女性の内面を瑞々しく描いた意欲作! (アマゾンより)
『ナラタージュ』とは違って……残念な仕上がり
島本理生さんの2013年に出版された恋愛小説です。
評価は、「うーん、微妙…」。
もしかすると、「読まなくてもよかったかも…」レベルです。
唯一よかった点は、改行や会話が多いのでサクッと読めるところ。
『ナラタージュ』が良かっただけに、読後、すごく残念な気持ちになりました。
非モテ女子の不器用なファーストラブ
純愛でプラトニックなところは『ナラタージュ』に似ていると思いましたが、『よだかの片想い』の方は、普通の恋愛で終わってしまうのです。恋愛の狂気的な部分がほとんどなく、ごく普通の非モテ女子のファーストラブの話を描いただけです。
とにかく、話がうまく進みすぎ…。
主人公のアイコにとっては高嶺の花のような存在である映画監督の飛坂さん。
しかしこの二人、なんとなくうまくいってしまうのです。
不器用な女性だがコミュ障ではない…ちぐはぐなキャラ設定
帯には「24歳、理系女子、初めての恋。不器用で一途なラブストーリー!」と書いてありますが、読んでみると、すごく違和感があります。
僕にとっての最大の違和感は、その不器用な女性は普段のコミュニケーションに悩んでいるフシがないところです。「顔にアザがある」という設定なので、周囲からの視線を必要以上に気にしていたりするのですが、いわゆる「コミュ障」ではありません。
わざわざ不器用なリケジョ設定にしているのに、コミュニケーション能力はそれなりに持っているという…。そして、非モテなのに憧れの存在に告白するとなんとなくOKになってしまうという…。
ってな具合に違和感ありありなのです。
まじめ純粋まっすぐちゃんのアイコ
主人公のアイコという女性は、まじめな「純粋まっすぐちゃん」で、少し天然が入っていて、しかし行動的でひきこもったりせず、グジグジ悩んだりしません。
『ナラタージュ』でも思ったことですが、島本さんが描き出す人物像はとにかく「いい人」が多くて、中島義道さんが敵視している「善良な人」が純粋に恋愛をする、みたいな展開になっています。
だからでしょうか…。ついつい「こんなに心の綺麗な人っていないんじゃない?」とツッコミを入れたい衝動にかられます。
ドロドロのグログロを描いて欲しい
そもそも人間というのはもっとドロドロな存在であって、人の心の闇や暗黒面というのは、凄まじく恐ろしい、汚くて醜いドロドロのグログロのはずなのです。
「恋愛」を描くならなおさらのこと。二者の排他性と独占性と支配性というエゴの極致が恋愛なのだから、もっと闇の深いドロドロになるはずです。
誰かをキレイに好きになってキレイに別れて「あなたを好きになって本当に良かった *1」みたいな、こういう偽善的な恋愛をわざわざ小説で描かないでほしい…。
もっと誠実に人間のドロドロのグログロを描いてほしいと感じました。