おんざまゆげ

"感受性マイノリティ男子"が綴る日々の雑記・雑感… 読書、映画、アニメの感想など。

本田由紀『軋む社会 教育・仕事・若者の現在』/「社会は、変えられる」

あらゆる媒体に寄稿された文章をまとめたもの。

 その中身は教育社会学者らしいデータ重視の固めの論文から軽いタッチでドラえもん批判を展開するエッセー風のものまで幅広いスタイルで書かれている。

 そのほかに阿部真大さん(『搾取される若者たち―バイク便ライダーは見た!』)湯浅誠さん(『貧困襲来』)との鼎談がある。

 問題点は、仕事の格差——家庭格差——教育の格差が緊密に連動していること。仕事の格差は家庭の格差になり、家庭の格差は教育の格差を生みだす。この教育格差は仕事の格差へとつながり、格差は貧困になり連鎖する。この連鎖を断ち切る方法は教育しかない。

 

軋む社会---教育・仕事・若者の現在 (河出文庫)

軋む社会---教育・仕事・若者の現在 (河出文庫)

 

 

 ハイパー・メリトクラシー化した社会

 本田由紀さんといえば何よりもまず、「ハイパー・メリトクラシー」というオリジナル概念を駆使した「人間力」批判、「若者バッシング」批判が説得力大だ。そのデータ重視の説得力ある展開は読んでいてとても分かりやすい。

 近代社会では、主にメリトクラシーによって社会的地位選別が行われていたが、ポスト近代社会では、客観的評価基準の曖昧な「人間力」や「コミュニケーション能力」などによって選別される傾向にある。これを本田由紀さんは「ハイパー・メリトクラシー化」とよんで批判している。

 ハイパー・メリトクラシーとは、非認知的で非標準的な、感情操作能力とでも呼ぶべきもの(いわゆる「人間力」)が、個人の評価や地位配分の基準として重要化した社会状態を意味している。

 

 ハイパー=「超」とう言葉を冠している理由は、従来のメリトクラシーよりもむき出しで苛烈なメリトクラシーだと考えるからである。なぜなら、ハイパー・メリトクラシーは、認知的な能力(頭のよさ)よりも、意欲や対人関係能力、創造性など、人格や感情の深部、人間の全体におよぶ能力を、評価の俎上に載せるからである。(53)

  

 また、『若年労働市場における二重の排除―<現実>と<言説>』では、現実面(データ)と言説面という二つのレイヤーによって「若者バッシング」分析が行われ、現実面で排除された若者が言説面においても排除されるという「二重の排除」問題を指摘している。

 

「軋みつづける社会」

 今もなお「軋み続ける社会」において、生きづらさ(社会の苦しみの総量)は増大し続けている。

 家族―教育―仕事という三つの領域(教育の出口としての仕事、教育への入口としての家族)の研究をライフワークにしている教育社会学本田由紀さんは、本書を編んだ動機を次のように説明している。

... 夢を持てない。将来の展望が見えない。希望が見いだせない。そんな若者の声が聞えてくる。こんな社会に、誰がしたのか? 社会の軋みをなくすための糸口はあるのか? あきらめと失意、そして絶望が渦巻くこの社会を変えていきたい。未来を支える若者が、生きやすい社会をつくりたい。そんな思いで、この本をつくりました。…

 

以下、熱いメッセージを引用します。

 

「他者のつらさ」と「自分のつらさ」は通底する

… 他者のつらさと自分の(いつか遭遇するかもしれない)つらさを通底したものと感じ、たがいに手を差し出すことができる人間を育てていく教育と社会の必要性を切に思う。(80)

 

… 必要なのは、他者のつらさに思いを馳せ、それが自分のつらさとは違っていても、つながりのあるものと感じることである。(190)

 

 

「軋みの音」をしっかり聞くこと

… 苦しみの総量の増大が、さまざまな対象への攻撃や呪詛を生んでいる。比較的苦しみがすくなくてすんでいる者たちは、自分の生活を守るために、そうした現実からできるだけ身を引きはなして、遠巻きにやりすごしている。社会を立て直す責任を担っているはずの者たちは、手をこまねいていたり、ただ対処のそぶりのみを見せるにとどまっていたり、苦しんでいる人々自身へと責任を転嫁しようとしたりしている。

 

 むろん私も、確実な策などわかっているわけではない。わかっているのは、この軋みの音をしっかり聞くこと、そしてさまざまな陥穽をできるだけ避けながら、すこしでもよい道を探すことの必要性だけである。(253)

 

 

社会は、変えられる

... わずかな希望は、逆説的にも、その「軋み」の音が大きくなったことによって、それにかなりの人々が気づきはじめていることにあるのです。それでも、その気づきはまだたりないし、いまさら気づいても遅いのかもしれない、とさえ思うときもあります。しかし、「これではあまりにおかしい」「これではひどすぎる」という思いが多くの人々に共有され、はっきりとした声や動きとなってあらわれない限り、何も変わらないのは確かです。

 

社会は、変えられる。問題には、対処することができる。そう信じて動くこと、答えはそこにしかありません。(7)

 

 

… 変わるか変わらないかはわからないけど、どうせ変わらないと思ってやらなかったら、絶対変わらない。それだけはまちがいないと考えています。湯浅誠氏)(150)

 

 

 

 

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