おんざまゆげ

"感受性マイノリティ男子"が綴る日々の雑記・雑感… 読書、映画、アニメの感想など。

「いじめ自殺」について/「学校は死にたくなるような気持ちを抱えてまで行かなければならない場所ではない」

「魔の夏休み明け」

 おそらく「魔の週末明け(月曜日の憂鬱)」の比ではない「魔の夏休み明け」が近づいています。子ども(特に小学生)にとって夏休みとは「お祭り期間(ハレ)」のようなもの。あの憂鬱な日常には戻りたくない。しかも「学校的日常」なんかうんざりだ…。これが平均的な子どもたちの実感ではないでしょうか。

 だとしたら、いじめの被害に遭っている子どもはなおさらのこと。学校なんかに行きたくないと思うのは当然です。

 今回は「いじめ」について考えてみました。

 

夏休み明けは子どもの自殺が増える時期

 魔の夏休み明けが近づいてきたわね。そう、子供の自殺が増える時期。以前は九月一日が危険だったけど、最近は八月最終週から始まる学校が増えてるから、この雑誌(週刊文春8月31日号)の発売日から一週間位が勝負なの。

 

blogos.com

 

 

 9月1日は突出して子どもの自殺が多い

 夏休みや春休みの終わり頃に子どもの自殺が増えるのは、子ども支援に関わる人たちの長年の実感だ。6月、内閣府が「自殺対策白書」で過去42年分のデータ分析を公表。9月1日は突出して子どもの自殺が多いことが裏付けられた。

(2015年8月28日朝日新聞デジタルより)

 

 

 学校に行きたくないあなたへ(緊急メッセージ)

 明日、学校に行きたくないと思っているあなたへ、一つだけお願いがあります。「学校に行けない自分はもう死ぬしかない」と、自分で自分を追い詰めないでください。身も心もボロボロになるまで頑張り続けたあなたに必要なことは「休むこと」です。

 

futoko.publishers.fm

 

 

「いじめられている君へ」

 朝日新聞から出ている『いじめられている君へ いじめている君へ いじめを見ている君へ』では、著名人の方々がいじめについて助言されています。タイトルからも分かるとおり、いじめに対するポジション別に「いじめ被害者」「いじめ加害者」「いじめ傍観者」の三つのパートに分かれています。

 

完全版 いじめられている君へ いじめている君へ いじめを見ている君へ

完全版 いじめられている君へ いじめている君へ いじめを見ている君へ

 

 

 「いじめられている君へ」(いじめ被害者への助言)の部分をざっくりと要約してみると、概ね以下のようになります。

 

相談はカッコ悪くない内藤大助 著)

 ・自分だけで抱え込まず親や先生に相談する

 ・チクったと言われてもカッコ悪くない

 

人生が輝く日必ず来る乙武洋匡 著)

 ・学校を休んでも転校してもいい

 ・いじめられたことをノートに記録する

 

上手にうそをついて西原理恵子 著)

 ・仮病を使って学校を休む

 ・16歳まで生き延びれば、その後は通信制高校フリースクール高卒認定試験などの選択肢がある

 

僕は夏休みに家出した姜尚中 著)

 ・家出をする

 ・環境を変えて「今いる世界がすべてじゃない」ことに気づく

 

逃げてまず自分が大事中川翔子 著)

 ・無理して学校に行く必要なんてない

 ・学校の外側で楽しいことを見つける

 

話せば味方増えますよ(白石昌則 著)

 ・悩みを誰かに打ち明ける

 ・生き続けていじめた人たちを見返す

 

主役は自分 夢を持って押切もえ 著)

 ・夢と希望を持つ

 ・学校の外にはもっと広い世界がある

 

友達づくり苦手でいい土井隆義 著)

 ・相手と同じ土俵から下りる(逃げる)

 ・中学校でつらくても高校に進学すれば世界は変わりうる

 

一人になって読書しよう齋藤孝 著)

 ・まず親や教師に話し、それがだめなら校長、教育委員会文部科学省に訴える

 ・読書をする

 

一度、抵抗してみたら森永卓郎 著)

 ・抵抗してみる

 ・戦ってみる

 

相手は強くもない連中安西水丸 著)

 ・自転車で体当たりする(攻撃する=肉体的な恐怖心を与える)

 ・いいところを見つけてほめる

 

夢中な「何か」見つけて辻村深月 著)

 ・夢中になれるものを見つける

 ・読書やゲーム、アニメのようなフィクションの世界を楽しむ

 

気持ち伝え話し合って秋元才加 著)

 ・一人で悩まず自分の気持ちを伝える

 ・話し合う

 

味方に会いに行こうよはるな愛 著)

 ・学校に行きたくなければ行かなくていい

 ・家族に打ち明ける

 

学校休んだっていい三浦雄一郎 著)

 ・1学期でも1年でもいいから学校を休む

 ・それでためなら転校する

 

外の世界とつながろう茂木健一郎 著)

 ・世界の広さを知る(学校外の世界につながる)

 ・「学校がすべて」ではない

 

考え方を私は変えたよ (LiLiCo 著)

 ・心を強くする

 ・自分を変える

 

弱虫なんかじゃないよ (川渕圭一 著)

 ・いじめに耐えることができるのは強い人間の証

 ・だから君は弱虫じゃない

 

すばらしい瞬間必ず来るあさのあつこ 著)

 ・生きていれば必ず素晴らしい瞬間が来る

 ・「あなたがいなくなれば、あなたに支えられるはずだった大勢の人を悲しませることになる」

 

それでも、話してみよう林家正蔵 著)

 ・気持ちを人に伝える

 ・君の話を聞いてくれる人は必ずいる

 

死なないで、逃げて逃げて鴻上尚史 著)

 ・学校から逃げる

 ・「遺書」を書いて外出し、1日ブラブラ遊んで大人に心配をかける

 

世の終わりと思わないで小柴昌俊 著)

 ・夢中になれるものを見つける

 ・いじめられたとしても「この世の終わり」ではない

 

自分支える足の声、聞いて(高史明 著)

 ・手をひらいて相談する

 ・「自分」を支えている足の裏の声に耳を傾けてみる

 

明るく笑い生き抜いて久保純子 著)

 ・自分を変える

 ・いつもニコニコと道化になる

 

「ひとり」になってもいい (華恵 著)

 ・没頭できる何かを見つける(読書など)

 ・いじめは「ひとりになれるチャンス」

 

広い海へ出てみようさかなクン 著)

 ・いじめは狭い環境でおこる

 ・広い海(世界)へ出よう(⇒ いじめられている君へ)

 

人生は学校の外にも野口健 著)

 ・人生は学校の中だけではない

 ・悩みを誰かに話してみる

 

家族は最高の味方だよ横峯さくら 著)

 ・話すことは大切

 ・家族は味方

 

決して独りぼっちじゃない高木ブー 著)

 ・仲間が大切

 ・いじめられても一人じゃない

 

無理に変わらなくていい川嶋あい 著)

 ・心から打ち込めることがあれば、傷つけられても小さなことだと思える

 ・追いつめられた時は絶対に相談して

 

立ち向かわなくてもいい松井秀喜 著)

 ・立ち向かう必要はない

 ・居心地のいい場所で自分の好きなことに熱中する

 

だれかに甘えていいよ中村俊輔 著)

 ・ひとりでがんばらない

 ・誰かに甘える

 

違う出会いが待っている鳥越俊太郎 著)

 ・いじめは長い人生のほんの一点にすぎない

 ・学校外には違う世界がある

 

大きな夢が支えてくれる松本零士 著)

 ・あなたの人生はまだはじまったばかり。いつか笑う日が必ず来ると信じる

 ・人にはそれぞれ果たすべき役割=夢がある

 

自殺すること禁じます石田衣良 著)

 ・自殺をしてはいけない

 ・苦しい時間を生きのびて

 

勇気出して大人に知らせて川上未映子 著)

 ・大人に知らせる(助けを求める)

 ・学校にいく必要はない

 

以上。

 

 

「的外れな善意」に注意!

 助言者のなかには明らかにトンチンカンなことを述べている方もいます。

 いじめ問題に関してこれ以上にないと思うほど素晴らしく参考になる名著『いじめの直し方』には、助言者の「的外れな善意」について注意を喚起しています。*1

 

 いじめられっ子を救おうとすること。確かにそれは、すばらしいこと。でも、そうした助言のすべてが、すばらしい内容であるとは限らない。なかには、とても的外れなことを言ってたりすることもある。そうした「的外れな善意」によるアドバイスが、本人をより追い込んでしまうことだってあるんだ。…

 

 ただでさえ人は、他人にアドバイスをするとき、「優位に立っている」ことによっていい気分になったり、自分が大きな力をもっているように思いこんだりする。アドバイス「してあげている」という感情は、他人をコントロールするという欲求ともつながっている。…(60-2)

 

いじめの直し方

いじめの直し方

 

 

 

 

「学校は死にたくなるような気持ちを抱えてまで行かなければならない場所ではない」川上未映子さん)

 先ほど要約した著名人のなかで一番参考になると思ったのは、小説家の川上未映子さんが書かれたもの(「勇気出して大人に知らせて」)です。

 川上さんはいじめをテーマにした『ヘヴン 』という小説を書かれています。

 感動すら覚えるほどの完璧にして簡潔なアドバイス。その一部分を以下に引用します。

 

…もしいま君が、学校に行けないほどの苦痛を味わっていたり、暴力を受けていたりするなら、それはもう、君が我慢したり、耐えたり、相手の改心を期待したり、いいなりになったりすることで何とかなるような問題じゃありません。親や、教師や、警察といった、君をいじめている人間たちよりも強い人間が介入して、彼らを罰して、力ずくででも、やめさせなければならない問題なんです。

 

 病気になったら病院へ行き、大きな怪我をしたら救急車を呼ぶように、堂々と、当たり前のこととして——とてもむずかしいことだけれど、どうか勇気をだして、助けを求めてください。…あきらめないで、助けを求めてください。

 

直接言えないのなら、ネット相談や相談ダイヤルなど、方法はいくつかあります。おおごとにして、まったくかまいません。外の世界には君の味方が大勢います。その人たちに、どうにかして知らせてください。君はまだ子どもで、大人に守られて当たり前の存在だってことを、大人は君を守らなければならないんだってことを、どうか、忘れないで下さい。

 

 それでも万が一、誰も力になってくれなかったら。

 そのときは——これもむずかしいけれど、学校へ行かない選択をしてください。学校は死にたくなるような気持ちを抱えてまで行かなければならない場所ではないです。ある時期にしばらく学校に行かなかったからといって、これからの人生の大事な部分がダメになるようなことは、決してありません。

 

なんとか、完全な場所を見つけてください。ひとりでだって、学ぶことはできます。本やネットでちょっと調べるだけで、色々な方法を見つけることができます。いちばん大切なのは、君が安心して毎日をふつうに過ごせること。これより大事なことはないよ。

 

 つらい今日が精いっぱいで、先のことなんか考えられないかもしれない。でも、生きていさえすれば、かならずいまとはまったくちがうところへ出ることができます。これは本当。16歳になれば選択肢がいっきに増えて、いまとはちがう人間関係ができて、いまとはちがう考えだってもてるようになる。ぜったいに、よくなる。何もかもが変わったんだと感じるときが、かならずきます。(88-90)

 

 

「逃げるんじゃない。自分から好きな世界を選ぶんだ。」松井秀喜さん)

 いじめ問題でよく耳にする「学校から逃げろ」という「逃げろ」論。これは「いのち」に比べたら…という文脈で語られています。だから「逃げろ」の意味は、最悪な事態を想定した緊急避難です。

「逃げる」というのはすごくネガティブな響きがありますが、松井秀喜さんに言わせると「逃げる」というのは「何かから逃亡する」という意味ではなく、「自分から好きな世界を選ぶ」ということ。つまり「逃げる」とは、Aという小さな世界から逃亡することではなく、Aという小世界ではないB、C、D…といったまったく別の世界(居心地のよい場所)へと移行することです。

 

 君は、無理して立ち向かわなくていいんだ。

 学校やクラスにいても楽しくない。仲間にうまく入れない。それなら、それで、別にいいんじゃないかな。だれかがつくった世界に君が入らなければいけない、ということはないんだよ。

 

 それより、君には、居心地のいい場所で、自分の好きなことに夢中になってほしい。何かに没頭することによって、いやなことが気にならなくなることって、あると思うんだ。逃げるんじゃない。自分から好きな世界を選ぶんだ。その中で同じ夢を持った友だちに出会うこともあるだろう。新しい仲間ができるかもしれない。(78)

 

 

「居場所」問題

 最悪事態を想定した緊急避難的な意味の「逃げろ」論。もし、家庭に居場所がない子どもが学校でいじめられていて「死にたい」と思っていた場合、それはどうなるのか。学校にも家庭にも居場所がない場合、「逃げろ」論は必然的に「家出」になります。そのときに重要になるのが「第三の居場所」。

 以前、鎌倉市図書館のツイートが話題になりました。

 

 ツイートの趣旨を次のように語っています。

 図書館が学校教育を否定しているわけではなくて、学校に行くことに対して、自殺しようかなと不安を持った時に、『緊急的な避難場所として図書館もあるよ』という意味合いで出した…

www.huffingtonpost.jp

 

 とある学校では、家出した生徒が病院の待合室で発見されたというケースもあります。大きな病院のなかにあるテレビが設置されているような広めの待合室に朝からずっと居たそうです。通院が目的なのではなく、ただ「学校に行きたくなかったから」という理由で患者たちのなかに混じって待合室でテレビを観ていたわけです。

 病院の待合室のようなところは、平日の昼間に生徒がいても特に怪しまれない。病院内には身体のどこかに「エラー」を抱えた人たちがたくさんおり、その人たちが発するオーラがとても親和的だったそうです。

 都会には比較的安全な「第三の居場所」(ネットカフェとか映画館など)がたくさんあると思いますが、田舎にはそう多くありません。そう考えると、「とりあえず図書館に行く」というのはよい選択肢の一つだと思います。

 

  

「学校は人生の一つの通過点」でしかない

 ノンフィクションライターの藤井誠二さんは『学校は死に場所じゃない』のなかで以下のように述べています。とても参考になる部分です。

 

 ぼくは、「学校でいい思い出なんかつくらなくてもいい。うまく『通過』できればいい」と思っています。(34)

 

…学校を楽しまなくてはいけない、あるいは学校生活を満喫して、いい青春を送らないといけない、友達をたくさんつくらないといけない、いい思い出を残さないといけない、いい先生に巡り合わなくてはいけない、そういった強迫観念が生徒に蔓延しているのではないかと思うのです。人生の大きな1ページとして学校生活に意味を置きすぎているのではないか。…

 

 もちろん、学校生活に大きな意味を置いている生徒たち自身に問題があるのではありません。問題があるのは、学校を子どもたちにとって大きな場として意味づけてしまう、今の教育や学校や先生たちです。

 

 学校は人生の一つの通過点であって、その後の人生のほうがずっと長いのですから、学校にあまりにも大きな意味をもたせすぎるべきではない。…(106)

 

学校は死に場所じゃない

学校は死に場所じゃない

 

 

 

長い人生や「いのち」に比べたら学校なんて「たかが学校」

 やはり重要なのは「たかが学校」だと思えるかどうかです。子どもというのは学校の世界しか知りません。だから得てして「学校がすべて」になってしまいます。しかし、学校というのは長い人生に比べたらほんの僅かな期間、所属する場所にすぎません。

 

…いじめのスパイラルにはまりこんでしまうと、すごく狭い「世界」で生きていて、学校にしか自分の世界はないと思うようになります。

 

21世紀の今は、ぼくが子どものころに比べたら、タコ足状に軸足をあちこちに延ばすことができます。「世界」を広げて、学校の比重を小さくしていけばいじめられても、いじめる側がバカに見えてきます。なぜなら彼らこそ、狭く苦しい学校のなかでしか生きることができない人たちなのですから。

(学校は死に場所じゃない)

 

 学校という小さな世界から「外の世界」へと目を向ける。そして、学校の比重を小さくする。そうなれば「いじめる側がバカに見える」はずです。

 

 

山田風太郎の「それがどうしたんだ」の世界

 最後に「たかが…」という捉え方(価値観)について述べたいと思います。これは「いじめ自殺」だけでなく「過労自殺」にも当てはめることができると私は思っています。

 まず、山田風太郎の未公開日記の次の部分が参考になります。

 

昭和41年9月1日(木)晴れ

 

それがどうしたんだ、と言いたくなり、かつ、それでおしまいという事象がある。

 

 巨人が勝った… それがどうしたんだ。

 面白い推理小説を書いた… それがどうしたんだ。

 金が入って大きな家に住んだ… それがどうしたんだ。

 

 ただ、世には「それがどうしたんだ?」といいきれぬこともある。

 このことのみが恐るべし。

 

山田風太郎が見た日本」より

 

 風太郎はある日、突然気づいたのです。

 世の中で重大事項とされているものの末尾に“So what?" 的な「それがどうしたんだ」を付け加えると、ただちにそこで終わってしまう事象がある。そして、重大事項とされていることのほとんどが実は「それでおしまい」になってしまうのではないか…。

 風太郎にとって「それがどうしたんだ?」といいきれぬこと、すなわち《恐るべし》と思うことは、「死」と「戦争」だったと思います。(のちに風太郎は『人間臨終図鑑』を執筆している)

 風太郎が述べている「だからどうしたんだ」という物事の捉え方は「たかが…」という捉え方と同じなのではないでしょうか。

 悪循環のスパイラルにハマってしまっている人というのは「たかが…」の地点に立つことができない。あるいは、「たかが…」だと思ったとしてもすぐさま「されど…」の圧力にはね返されてしまう。

 過重労働で死ぬほどにまで追い詰められた人を見たとき「だったら辞めればいいのに」と思う。この「辞めればいいのに」と思える人というのは「たかが…」の地点に立てるから言えるのであって、「たかが…」という捉え方ができずに悪循環スパイラルにハマってしまっている人というのは自力で「たかが…」に行けない人なのです。

 「いじめ自殺」も「過労自殺」も、もし当事者が「たかが…」の世界に立てていたのなら、おそらくそのような選択をせずにすんだはずです。

 ハマってしまった人は自力で「たかが…」の世界には行けない。だから「たかが学校じゃないか」とか「たかが仕事じゃないか」と言ってくれる人がハマってしまった抜け出せない世界から「たかが…」の世界へと連れ出す必要がある。そして「たかが…」の世界に立てたとき、今までハマっていた世界がいかに「たかが…」だったのかがはじめて分かるのです。

 

「たかが…」と思えることの重要性

「たかが学校」「たかが仕事」と思えることと、本当に学校や仕事が「たかが…」なのかどうかは別のことです。重要なのは一瞬でもいいから「たかが…」と思えるかどうかです。*2

 戦争に行ったことのある人は苦境に陥っても「命までは取られない」ということをよく言っています。命に比べたらその他のことは「たかが…」に見える。そういうリアルを生きている人もいるわけです。

 子どもは学校という小さな狭い世界でしか生きたことがありません。ということは、子どもは常に学校世界にハマることを強いられている。そんな狭い世界で人生が終わってしまうなんてことは絶対に防がなければならない。子どもにとって自力で「たかが…」の世界に行くことができない以上、大人が「たかが…」の世界に立って子どもを学校世界から連れ出すしかないと思います。

 

 

ネットで読めるいじめ関連記事

 

●「いじめ自殺」のマスコミ報道について

 

 

●「いじめ」と日本の学校問題

 

 

●いじめトラウマ


 

●学校共同体といじめのメカニズム

 

 

●学校のいじめ隠蔽体質について

 

 

 

●いじめと貧困問題との関係

 

 

●いじめに関する統計データなど

 

 

●いじめ相談情報

 

 

*1: 引用のカッコは頁数、改行は適宜読みやすいように挿入した箇所があります。

 

*2: 長渕剛の「STAY DREAM」には、

たかが こんな自分は!と  一度だけからかってみなよ

という部分があります。これには激しく同感するところです。

 あまりにも「自分」にハマってしまったときに卑屈な態度で「たかがこんな自分は…」と思うのではなく「一度だけからかってみる」のです。一度だけ「たかがこんな自分は…」とからかっただけでもハマっていた「自分」から脱することができるのかもしれません。

 

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