『嫌韓流』の作者が世代間格差を切り口に「若者の貧困問題」について論じたマンガ。
作者は、若者は高齢者の奴隷になっている(若者奴隷時代!)と主張。
マンガながらもデータなどを駆使してその論拠を説得的に示していく。
「若者奴隷」時代 “若肉老食(パラサイトシルバー)”社会の到来 (晋遊舎ムック)
- 作者: 山野車輪
- 出版社/メーカー: 晋遊舎
- 発売日: 2010/03/15
- メディア: 単行本
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高齢者=弱者?
たしかに作者が言うように、若者と一部の富裕な高齢者との間には著しい格差が存在する。作者の見立てでは、高齢者はそういった格差をいっさい問題視しておらず、むしろ自らが「弱者」の立場であるという「高齢者=弱者」という図式を巧みに利用し続けながら、若者を搾取し続けているとみる。
そして、「モンスター・シルバー」らに「世代間連帯」を呼びかけても無駄だと考える。なぜなら「モンスター・シルバー」たちはどこまでも自分のことしか考えておらず、未来世代のことなどまったく考えていないからだ。(ある年齢集団を「高齢者」とざっくりと切り取ってすべての高齢者が「モンスターシルバー」であると言う断定はできないと思う)
敵を叩いてスッキリ?
では、どうすればいいのか。
最終章で作者は、高齢者の政治的影響力に若者が対抗するには、ネットによる「直接民主制」を実現させるしかないと提案する。(おそらく「直接民主制」を導入したら格差は今以上に促進される方向へ向かうだけだろう。)
作者の主張に対しては、議論を喚起するという点ではよいと思うが、単に若者の敵が「大企業」や「ネオリベ」から「高齢者」になっただけで、「敵を探して叩いて終わり」、という観が否めない。(世代間論争を「嫌韓流ブーム」のように「炎上」させたかったのかもしれない。)
民主的に日本は変われるか?
今のところ世代間論争はそれほど「論争」になっていない。有権者の年齢構成を考えると、高齢者は圧倒的に多数派である。若者の政治的無関心も相俟って、子育て世代層の公的支出の少なさを改善するような動きを民主的に作り出すのはむずかしい状況である。
どうして高齢者層は未来の子どもたち世代のことを考えようとしないのか…。単に考える余裕がないのか。あるいは、自己の利益しか考えていないのか。
ダメな政治家を生みだすのは国民である。この最終的なツケは「生まれたかもしれないはずの子どもたち」ということになる。(もちろん実際に生まれた子どもたちも相当のツケを払わされる。)
形而上学的殺害
もし、ちゃんとした政策がなされていれば、生まれる子どもは増えたはずだ。
「生まれたかもしれない子どもたち」とは〈可能的な子どもたちの死〉である。
〈可能的な子どもたち〉に〈死んでもらう〉ことによって、今の現状のシステムが維持されているということだ。これは形而上学的な子殺しである。
また、〈可能的な子どもたち〉を殺害することは、「未来の死(=殺害)」だと思う。
未来なんてどうでもいい。
それよりも今日の株価は? 景気は?
私たちが貰える年金は?
病気になったときの医療は? 介護は?
そんなことで頭がいっぱいなのだ。