おんざまゆげ

@スラッカーの思想

人間が怪物になるしくみ/「内藤朝雄」論(1)

「いじめの社会理論」(=中間集団全体主義

 私は社会学者の内藤朝雄さん(以下敬称略)を熱烈に支持している。『いじめの社会理論』や『いじめの構造』を読んで以来、完全に「内藤朝雄」論者になった。

 内藤が提示した「いじめの社会理論」(=中間集団全体主義)はいじめ問題だけにとどまらず、日本の共同体的な社会を分析するうえで欠かせない有効なモデルである。

 

いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体

いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体

 
いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

 

 

 

機能集団と共同体

 内藤の「いじめの理論」の説明に入る前に、まず「機能集団」と「共同体」のちがいについて簡単に説明しておく。組織集団は「大きさ」と「機能」によって以下のように分類することができる。

 

【大きさによる分類】

 ・「国家」

 ・「中間集団」~「家族」以上「国家」未満の集団(会社や学校など)

 ・「家族」

 

【機能による分類】

 ・「機能集団」~ある目的を達成するための手段的組織

 ・「共同体」~血縁や地縁によって営まれる家族的組織

 

 

中間集団全体主義

 会社や学校などの中間集団は機能集団である。機能的中間集団では、はじめにある目的があり、この目的を達成するために組織ができる。しかし、日本社会に存在するあらゆる中間集団は、機能集団ではなく共同体のような組織に変貌する。

 この「機能集団の共同体化」が全体主義のようになってしまうことを「共同体全体主義」あるいは「中間集団全体主義」と呼ぶ。

 

 

「空気」と「ノリ」が人間の心理を変える

 中間集団全体主義の最も大きな特徴は、集団内の秩序が「空気」や「ノリの同じさ」や「ムード」などによって作られるところにある。まるで村落共同体における「ムラのおきて」のように、集団内で発生した名状しがたい「空気の秩序」が共同体の成員すべての心理や行為を規範的に縛るようになる。

 中間集団全体主義が生みだす集団秩序は、この集団に属する人間の心理システムを変貌させる。家庭では「良い子」で「優しい子」が学校では陰湿な「いじめっ子」になり、家庭では「良き夫」で「優しいパパ」が会社では「ブラック上司」になる。

 なぜか。家庭には「家庭の秩序」があり、学校には「学校の秩序」がある。秩序Aにはそれに応じたリアリティAが形成され、このリアリティAが人間の現実感覚(あたりまえさ)を構成する。秩序Bにはそれに応じたリアリティBが形成され、このリアリティBによって人間の現実感覚が変容する。

 場の秩序によってつくりだされた現実感覚によって、人間の心理システムはいかようにも変容しうる。だから、家庭では「良い子」が、「優しいパパ」が、学校では「いじめっ子」に、会社では「ブラック上司」にいとも簡単に変貌する。

 

 

人間が怪物になるしくみ

 たとえば、戦場には戦場のリアリティがあり、このリアリティが「殺人はあたりまえ」という現実感覚をつくっている。戦場のリアリティは日常のそれとはまったく逆の現実感覚になっており、日常の現実感覚では人を殺せない人間が戦場では真逆の殺人マシーンになって人を殺しまくるようになる。

 アウシュヴィッツ強制収容所の所長だったルドルフ・ヘスは、娘によれば「家では物静かな優しい人」で「子ども達をこよなく愛し」「子ども達を抱き上げ、キスをしたり」「家族をとても大切にした人」だったという。アイヒマンも捕まえてみればただの凡庸な小役人であったことは有名だ。*1

 内藤の「いじめの社会理論」の主題は「人間が怪物になるしくみ」を明らかにする点にあった。人間はいとも簡単に別人になり、怪物になる。怪物になった人間は、虫けらのように人を殺したり、暴力をふるったり、いじめたりするようになる。

 

…日本の敗戦とともに、かつての隣組で怒鳴っていた迫害者は「ニコニコ愛想いいお店のおじさん」に戻り…、大日本少年団の「少権力者は社会が変わると別人のように卑屈な人間に生まれ変わった」…。

 

 また学校の集団生活で残酷ないじめにふけっている者ほど、市民社会の論理が優勢な場面では「おとなしく、存在感の薄い」少年に変貌する。マクロ環境の変化とともに、こういったことが社会のすみずみでいっせいに起るのである。

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (p189)

 

 

迫害可能性密度

 ある集団の秩序が「共同体の原理」(空気やノリの支配)によって作られると、この秩序が集団内の人間の心理を変貌させる。

 このような中間集団全体主義は人間を怪物化させやすい特徴をもち、学校の教室や会社の職場のような空間内の「迫害可能性密度」を高める。

 迫害可能性密度の高い空間では、いじめや暴力を引き起こす敷居が低くなり、「場の空気」や「場の雰囲気」に流されていとも簡単に人間を迫害してしまうようになる。

 

 

学校共同体と会社共同体

 中間集団全体主義の代表的な組織は「学校共同体」と「会社共同体」である。なぜかそのような集団では「勉強すること」や「仕事すること」と「仲良くすること」が抱き合わせになる。場の空気を読んでみんなと同調しながらみんなと仲良くしないと勉強(仕事)ができない。

 学校や会社が機能集団なら「勉強(仕事)すること」と「仲良くすること」は分離している。二つはまったくちがうことだからだ。しかし、機能集団が共同体化すると、「仲良くすること」が優先され、勉強(仕事)するためにはみんなが仲良くしなければならないようになる。

 日本のあらゆる中間集団はすべからく共同体化している。なぜ日本社会が生きづらい社会なのか。それは組織が共同体化しているからだ。日本社会の生きづらさは「共同体的生きづらさ」である。

 そして、そのような共同体化した組織は中間集団全体主義となって激烈ないじめを生みだし、人間を怪物に変貌させる。