おんざまゆげ

@スラッカーの思想

「家族主義」の淵源 —— 「家族国家」と天皇制

 川島武宜の『イデオロギーとしての「家族制度」』、『日本社会の家族的構成』を読んで、改めて日本社会の「家族主義」の根深さを思い知らされた。

 あらゆる組織(会社や学校など)が「家族」のような共同体になってしまうのは、明治から始まる近代化=国民化政策にその萌芽がある。

 近代化の歴史において、西洋ではキリスト教(超越的な一神教の神)の存在が大きいが、日本にはそういうアイテムがなかったため「天皇」と「家制度」を利用して急速に近代的な国民国家をつくりあげた。

 明治政府は日本という国家を一つの大きな「家」(家族)と想定し、家制度における親と子の関係を「孝」、国家における天皇(君)と国民(赤子)との関係を「忠」という儒教道徳で“洗脳”した。つまり、親子の家族関係を天皇と国民の関係にスライドさせた「擬制的家族観」によって「国民」というアイデンティティを形成させたのである。国民にとって天皇は大きな父であり、天皇家(=本家)と国民が所属する家(=分家)という関係になる。

 教育勅語などによって、子は親に対して親孝行をするように教えられ、これと同じように、国民は天皇を敬うように教えられる。

 その結果が「天皇ファシズム」だ。敗戦後、天皇制は象徴天皇制として生き残り、家制度は家族主義として生き残った。川島武宜によれば、日本の家族主義はいたるところで「擬制的家族」を構成するという。学校共同体や会社共同体では、人間関係モデルの理想型として「家族」のようなべったりとした人間関係が唯一のモデルとされやすい。このへんに日本社会独特の生きづらさがある。