おんざまゆげ

@スラッカーの思想

来年に向けて!

 9月以来、ブログを放置していました。

いろいろ理由はあるのですが、3つあげるなら、1) モチベ低下 2) 精神的な気力低下 3) 読書時間低下......といったところです。

 振り返れば2016年、2017年は年間で60記事以上は書いていました。最低でも週に1回は更新していた計算です。しかし、今年はこれを含めて27記事と半減...。

 といっても、落ち込んでいるわけではなく、「書く」という行為が減ったのがちょっと残念だなぁと思っているだけです。

 

ただ適当に本を紹介する企画なのに...すごく大変だった件

 今年の新たな試みとして「興味ありがちな本をただ適当に紹介する」という変な企画をやってみました。(まだ読んでいない新刊を「あたり」だけで紹介する!)

 Amazonよりも楽天よりも知名度の低いhontoというサイトがあるのですが、ここで本をチェックして面白そうな本を紹介する。ただし、リンク先はAmazonです(リンクはアフィリエイトになっています)。

 儲けようと思ってやったわけではなく、ただ純粋に「読書ブロガー」みたいなことをやってみようと思い何気なくはじめた企画でした。結果、1000円くらいの収入になり、ギフト化して本を一冊買うことができました。ご協力してくださった方々にこの場を借りて感謝いたします。

「興味ありがちな本をただ適当に紹介する」という企画、当初はサクッと簡単にできると思っていましたが、今回やってみて意外と面倒臭い作業だとわかりました。適当に紹介するといっても、やっぱり興味のない本は紹介したくない。だから選定作業が必要になります。そうなると、今度は本の目次を調べたり、出版社のサイトに行って調べたり、著者の経歴を調べたり...と作業が膨大に膨れ上がります。それで「まあ、この本ならよいだろう」と“当確”が出るまでに1時間くらいかかったケースもありました。この水準で本を選んでいくと簡単に2時間ほどはあっという間に過ぎていきます。それに加えて、記事化するときの作業(タイトルを書いたりリンクを貼ったり文字を大きくしたり強調したりする繰り返し作業)が面倒です。思いのほか時間がかかりました。

 で、結論を言いますと、もうやりません。

 来年からは「読書ブロガー」なんて目指さずに、今まで通り「生きづらさ」を訴える記事を中心にやっていきたいと思っています。

 

来年に向けて

ジェンダーとかセクシュアリティとか...

 今年はジェンダーセクシュアリティに関する記事を少し書きましたが、やはり調べれば調べるほどジェンダーセクシュアリティは私たちの生きづらさを生みだしている「主犯」だということがわかりました。来年もこのテーマを引き続き追っていきたいと思っています。

 軸としては、 1) 男らしさ問題 2) セクシュアリティクィアなど) 3) 上野千鶴子の3つを立てたうえで、それらに関連する本を読んでいきたいと計画中です。(関連する文献については長くなるので後日「ジェンダーセクシュアリティにかんする読書計画」みたいな感じで記事化してアップする予定です。)

 

「労働」について  

 これはずっと書いていきたいテーマです。今年はまったく書けなかったので来年は「労働」に関係する生きづらさをテーマの中心に据えたいと思っています。

 軸としては2つあります。1) 労働による隷属化 2) 労働による社畜です。

「労働の社畜化」とはいわゆる「ブラック労働」のことを指します。ブラック企業が問題になったときにある経営者が開き直って次のように言ったのです。「労働というものはそもそもがブラックなんだ!」。

 その発言は 1) によって 2) を正当化している。私はこれはちょっと違うと思いました。労働の本質は(資本主義のもとで行われる賃労働である以上)隷属化=奴隷化にあると私は考えます。でも、隷属化=奴隷化を緩和する方法、たとえば、福祉の強化・労働の脱商品化・ディーセント・ワークなどは可能なはずなのです。だから、2) というのは完全に防ぐことはできるし、防ぐことこそが経営者の責任となるはずです。

 つまり、労働の本質に関係する 1) の問題性と、1) の問題性を緩和しようとせずにむしろ悪化させている 2) の問題性は次元が違うということです。順番としては 1) の問題性を歴史的に明らかにすることによって 2) の悪質さが分かってくるだろうと思います。

 具体的にいうと、1) は「労働の本質」の問題、2) は「日本企業がいかにブラックなのか」という日本の労働社会固有の問題になります。(これに関しても文献情報は後日に別途記事化したいと思っています。)

 

その他... 

 オープンダイアローグ、物語論(ナラティブ・アプローチ)、社会構築主義構成主義)を勉強したいと思っています。これらの方法論や言説は生きづらさ軽減のためのツールとして有効だろうと思っています。

アルコホリズムの社会学アディクションと近代

自己への物語論的接近―家族療法から社会学

物語としてのケア―ナラティヴ・アプローチの世界へ

オープンダイアローグとは何か

リフレクティング: 会話についての会話という方法

あなたへの社会構成主義

構築主義とは何か

 

 あと、ニクラス・ルーマンについて(理解できる範囲でいいので)勉強したいと思っています。ルーマン理論も社会構成主義(ラディカル構成主義)なので上記の系列に位置づけることができるかと思います。

 しかし、ルーマン理論は難解で知られており、今までも挑戦しては挫折するの繰り返しでした。以前、吉澤夏子さんの『世界の儚さの社会学―シュッツからルーマンへ』を読んだときに、ちょっとだけルーマン理論の世界観が分かった気がしたのです。私はルーマン理論のこまかい学術的な知識はぜんぜん好きでもないし、理解できる頭脳もないのでどうでもいいと思っています。が、ルーマン理論の世界観は自分なりに分かりたい...。

 なぜかというと、ルーマン理論は社会や人間のデタラメさを教えてくれるからです。まったくもってデタラメなものが偶然にも噛み合っているだけ......必然性ではなく偶然性......きっちりした因果関係など存在せず、ただ確率論的な偶然が支配しているだけ...。ルーマン理論の世界観はそんな感じです。

 だから、ルーマンは「今よりも社会を良くしよう」と思っていたかもしれないけど、「今よりも社会を良くできる」とは微塵も思っていないのです。「社会を良い方向へと変えることができる」という発想社会改良主義的な構え)と「人間はもっと知識的にも道徳的にも向上できる」という発想啓蒙主義的な構え)が組み合わさると、「人間がもっと賢くなれば人間が社会を操縦して今よりも良い方向へと変えることができるだろう」という発想啓蒙主義的社会操縦主義)のようになります。この路線はカントあたりから脈々と受け継がれきた啓蒙主義の流れです。有名どころで言えばマルクスアーレントハーバーマス。あと、ロールズ的な政治哲学などもそれに該当すると思います。

 しかし、ルーマンはそういった流れを否定するのです。「人間が社会を操縦できる」という発想人間主義を完全に放棄しました。結果、ルーマンハーバーマスは論争することになりましたが、この有名な論争は(ルーマンから言わせると)「不毛」だったようです。あらゆる「人間主義」からスパッと手をきったあたりがルーマン理論のすごいところなのかも知れません。

 以上のルーマン理論的世界観から帰結する人生観は次のようになります。「人間ごときがどうあがいてもこの世はどうにもならないんだよ」的な境地。ここからあれこれ悩んでいる「自分」(=人間)という存在のデタラメさに気づき、生きづらさに関する新境地に立てる......といった具合です(これは私の個人的なルーマン理論的人生観ですが...)

 そのようなルーマン理論に関する流れに関しては吉澤さんが訳した『ラディカル・ルーマン: 必然性の哲学から偶有性の理論へ』に詳しく書かれています。この本は非常に分かりやすいルーマン入門書です。この本を読んだことがきっかけでもういちど勉強したいと思うようになりました。おそらくルーマン理論はもっと応用範囲が広いと思うので、ぼちぼち勉強していきたいと思っています。

 

最後に...

 来年はもう少しまじめに「生きづらさ問題」について考えていきたいと思っています。私のスタンスとしては、まず 1) 自分の生きづらさを出発点とし、2) 生きづらさは社会の構造的システム的な問題であるとし、3) 社会の構造的問題を分析することによって「私たち」の生きづらさの軽減をめざす...というものです。その際に利用できる言説や概念はできるだけ利用する。たとえば、フェミニズムや障害学(「青い芝の会」などが実践した障害者運動)は 1) 〜 3) のプロセスを見事に体現したお手本として勉強すべき事例だと私は考えています。

 最後に、今年一年を通じ記事を読んでくださった方々に感謝申し上げます。

(あけおめ、ことよろ的な正月特有のノリや社交辞令のあいさつが苦手なので、今年も質素に終わり、来年も質素にそっけなくはじめたいと思っております)。

 

f:id:tunenao:20181229112220j:plain