おんざまゆげ

@スラッカーの思想

真実と嘘

「真実」を言ったのに誰も信じてくれない...聞いてくれない...ということがある。これは聞く側に「聞く耳がない」ということではなく、「語り方」に問題があると言われている。真実を語るにもある程度のウソ(演技・脚色・演出)が必要であり、真実をそのまんまのベタな真実として語っても誰も信じてくれないし興味を持ってくれないのだ。

 真実を知ってもらうためには、まずはウソをつかなければならない。しかし、ウソをつきながら語った「真実」は本当の真実と言えるのか...。そもそも伝えるべき「真実」とは何か。ウソの反対が真実なのか。まったくのウソ偽りのないことが真実なのか。

 

 そんなことはどうでもいい。

 ぼくは「真実(本当)/ウソ」という二項対立こそがウソなのではないかと思っている。「真実」というものがポロッとどこかに実在し、その「真実」を宝物のように発見するわけではない。あるいは、ウソの霧が晴れた向こう側に「真実」がかすかに見えるわけでもない。なぜなら「真実」などはじめからどこにも存在していないからだ。世界には「ウソ」しかない。このウソの濃淡の差によって真実らしきものが「真実」として認識されるにすぎない。

 ぼくたちが言語をつかって世界を体験=認識=把握している以上、言語というウソの外側に立つことはできないと思われる。したがって、「バーチャル/リアル」という二元論もウソである。そもそも言語がバーチャルなのだから。

 「真実」はない。あるのは「ウソっぽい/ウソっぽくない」みたいな差があるだけ。このウソさの差が「真実」らしきものを演出しているだけだ。