おんざまゆげ

@スラッカーの思想

『顔ニモマケズ』ーどんな「見た目」でも幸せになれることを証明した9人の物語/「見た目問題」固有の困難は「障害」である

「視線のとまどい」 

 彼らに見つめられると、心の中に言葉にならない感情が生まれる。

 まっすぐに見つめ返すと、傷つけてしまうのではないか。

 かといって、急に目をそらすのも失礼だ。

 視線をどこに向けたらよいのか分からない戸惑いと葛藤。

 病気やケガによって、普通とは異なる顔を持った人たちがいる。

 でも普通って何だろう?

 普通の顔と普通でない顔の違いはどこにあるのだろう?

 そして彼らの視線は、私たちに何を問いかけているのだろう。

ユニークフェイスの戦い」より

 

顔ニモマケズ ―どんな「見た目」でも幸せになれることを証明した9人の物語

顔ニモマケズ ―どんな「見た目」でも幸せになれることを証明した9人の物語

 

 

 

ユニークフェイス」と「見た目問題」

 

画期的だった「ユニークフェイス

 ウーマンラッシュアワーの村本さんがやっているインターネット番組(AbemaTV)で「見た目問題」当事者を招いてざっくばらんにトークをするという回48日放映)がありました。この番組を観てすごく感動しました。(何に感動したかというと「村本さんに」です。)

www.youtube.com

 私が「見た目問題」を初めて知ったのは「ユニークフェイス」の当事者の方たちがテレビに出演しているのをたまたま観たことがきっかけでした。(おそらくNEWS23だったと思う)。

ユニークフェイス」は『顔面漂流記』を書いた石井政之さんらが立ち上げた日本初の「見た目問題」当事者のセフルヘルプ・グループです。これが画期的だったのは、疾患ごとにまとまっていた当事者グループを「ユニークフェイス」という新しい概念をつくることによって当事者横断的な包括的共通プラットフォームをつくりだしたところにあります。

【脚注】:ユニークフェイス」は2015年に解散しました。経緯はこちらで読めます。→「ハートネットTV:ブレイクスルー File.35 「ユニークフェイスの戦い」 - 2015年7月13日の番組まるごとテキスト」。その他には『「ユニークフェイス」から「見た目問題」へ』(排除と差別の社会学新版 | 有斐閣所収)があります。その後「ユニークフェイス」は2016年再起動しています。→ユニークフェイス再起動します | ユニークフェイス研究所

 

モードの変容

 村本さんの番組を観て感じたのは「ユニークフェイス」のときとは何となくモードが違っているところです。「ユニークフェイス」のテレビ出演が「きらっといきる」的だとすると、「見た目問題」は「バリバラ」的なのです。この違いの由来は、当事者じたいが変わったからなのか、当事者グループのコンセプトが変わったからなのか、メディアの形式(テレビとネット)の違いなのか、番組の演出(感動系・お笑い系)の違いなのか

 とにかく村本さんの番組は「バリバラ」のような〈障害者のバリアフリー〉をテーマに掲げている番組ではないし、NEWS23のような報道・ドキュメンタリー系の番組ではありません。「ユニークフェイス」が活動していたときは報道・ドキュメンタリー系の番組かNHKの福祉的な番組に出演することが多かったと思うのですが、村本さんの番組のような福祉的でも報道的でもない番組に出演するのはとても新しいことだと感じました。

 

 

『顔ニモマケズ』を読んで印象に残ったところ

 印象に残ったところをまとめると以下のようになります。

 

受け入れるというより、折り合っていく

—— 中島さんが手術をやめたということは、顔の症状を受け入れられるようになったということでしょうか?

 

中島さん うーん。受け入れてはいないのかもしれない。今でも、この症状が無かったらと思うことはあります。その意味では、受け入れるというより、折り合っていくという表現が近いかもしれません。たとえば、「あきらめる」は、言葉としては良くないかもしれないけど、「あきらめちゃいけない」と思えば、手術しなければならなくなる。しかし効果的な手術はない。これは苦しい状態です。(14−5)

 

 

企業の面接を受けて

泉川さん 面接では、目の症状をどう乗り越えたかではなく、目の症状、そのものが問題にされてしまった印象ですね。

 就職活動のときは、左目に眼帯をしていたのですが……面接がすごく盛り上がっていても、目のことを聞かれて「これは2歳のときに病気で」と目の症状を話し始めると空気がサーッと引いていくのを感じました。(66)

 

 

大事なのは「明るさ」

笠本さんは話していてすごく明るい人だと感じました。これは今回取材した他の人たちにも言えることですが、会話の中に出てくるユーモアだけでなく、話し方や雰囲気そのものが明るい人たちばかりでした。笠本さんと話をして、悩みを乗り越える上で大事なのは「明るさ」であることを再確認しました。(131)

 

 

見た目の問題というより、コミュニケーションの問題

三橋さん 「他の人と同じ」だということを分かってもらうことは、私のような見た目を持つ人間にとってはすごく大事なことだと思います。顔に症状がある人を見たことがない、ましてや話したことがないから、みんな不安になって、攻撃したり排除しようとしてしまう。でもこれは、見た目の問題というより、コミュニケーションの問題なんです。(153)

 

  

自分で変えられる部分を見つけて変えていこう

—— 不採用が続くことで「もう面接を受けるのはやめよう」とは思いませんでしたか?

 

石田さん 思わなかったですね。

 

—— その理由はなんですか?

 

石田さん 不採用になるのはつらいですが、そこは割り切るしかないというか。もし面接をした人が、僕の外見に問題があるから不採用だと考えたとしても、それは「相手の問題」であって、変えることはできません。それよりも、「自分の問題は何か?」ということをいつも考えていました。自分で変えられる部分を見つけて変えていこうと。(187)

 

 

それは仕方がないと割り切る

—— たとえばそういう状況に対して、「外見の症状に偏見を持っている社会が悪い」とは考えませんか?

 

石田さん 僕はあまり考えないですね。相手の立場に立って考えたときに、僕のような外見を見てびっくりするのは、ある意味自然なことだとも思うんですよ。僕自身も、自分の顔を鏡で見たとき気分が沈むことがあります。でも、それは仕方がないと割り切る。

……いや、まだ割り切れていないのかもしれません。これはずっと続いていくものなのかもしれない。(192)

 

割り切る

石田さんが繰り返し使っていた言葉に「割り切る」があります。よく「他人や環境は変えられない。変えられるのは自分だけだ」と言われますが、石田さんの「割り切る」という言葉は、そのことを非常に端的に表しています。(195)

 

 

「見た目問題」当事者100万人の問題

 

何とも言えない読後感の複雑さ

 村本さんの番組を観たときはとても感動したのですが、『顔ニモマケズ』を読んだあとはとても複雑な何とも言えない心境を抱きました。

「見た目問題」の当事者は100万人いると言われています。100万人というのはうつ病の患者数に匹敵する膨大な数です。100万人いる当事者すべてが『顔ニモマケズ』の9人のように生きられるのかどうか…。そういうふうに生きられる人とそういうふうには生きられない人がいると思うのですが、そういうふうには生きられない人はどうすればいいのか。*1

 このような問題は「ユニークフェイス」の頃にもあったようです。石井政之さんの『顔面漂流記』を読んだ「ユニークフェイス」当事者には『「石井さんは強い」「石井さんにくらべたら自分なんか…」』と言った感想を述べる方がいたと言います。

 

 これまで、何人かのインタビュー対象者や当事者団体を通じて知り合った人たちから、「石井さんは強い」「石井さんにくらべたら自分なんか…」といった言葉を聞く機会があった。…

… こうした対比のなかで、自分自身の「情けなさ」や「ふがいなさ」を語る当事者たちが少なからずいたのである。…

 

… 当事者たちが参照しうる異形の人々のライフストーリーがごくわずかしか語られていない日本社会の現状では、石井のライフストーリーは(彼の意図とはまったく無関係に)〈ひとつのライフストーリー〉の範疇を超えて、規範的な意味を帯びてしまいかねない。つまり、石井政之というひとりの男性の対処法が〈あるべき対処法〉や〈望ましい対処法〉として当事者たちに受けとめられてしまう恐れがあるのだ。

 

そして当事者たちは、依然として問題を〈克服〉できないでいる自分への自己否定感を抱くことになる。右でふれたような「情けない自分」や「ふがいない自分」は、まさにそうした自己理解にほかならない。

 

 このように、少なからぬ異形の人々が問題の〈克服〉へと駆り立てられ、結果的にそれができない自分への落胆を経験しているようである。したがって、いま必要とされているのは、〈克服〉はひとつの方法でしかなく自己の問題との関わり方にはもっと多様なヴァリエーションがありうるということを明らかにしていく議論であり、本書はそれをめざしたつもりである。

(西倉 実季『顔にあざのある女性たち――「問題経験の語り」の社会学』274-6)

【脚注】:「異形」について… 上記の引用に含まれる「異形」は「イケイ」と呼び、「見た目問題」は学術的な媒体では「異形」という用語が使用され、「見た目問題」当事者のことを「異形の人」と呼びます。

 

 

社会の側(=見る側)の問題として

 

「ブレイクスルー」すべきは

ユニークフェイス」の人々は勇気を持って声を上げた。

自分たちを特別な目で見ないでほしいと。

それは彼らから私たちに歩み寄った、大きな一歩だった。

私たちは、彼らに歩み寄る事ができたのだろうか。

今でも顔にアザや傷があるために学校ではいじめがあり、就職できない若者がいる。

ユニークフェイス」の人々は、今もそれぞれの戦いを続けている。

今、ブレイクスルーすべきなのは私たちだ。

 「ユニークフェイスの戦い」より

 

 症状を持っていない人が意識を変えるべき…

 マイフェイス・マイスタイルの代表である外川浩子さんは「症状を持っていない人が意識を変えていかなければならない」と述べています。

外川さんは「当事者が努力したり我慢したり、というところに甘えてきた問題でもあると思うので、症状を持っていない人が意識を変えていかなければならない」と訴える。「タブーではなくて、みなさんが話題にしてくださって、家とか学校とか、どこでもいいので話して頂ける、その方がいいと思う」(外川さん)。

実は100万人が抱える“見た目問題“ 当事者たちの生きづらさとは (AbemaTIMES) - Yahoo!ニュース

 

社会の側(=見る側)が問題だとして…

「見た目問題」が「問題」になるのは「見られる側」に「問題」があるからではなく「見る側」に「問題」があるからです。見る側の「見方」の問題であり、社会の価値観や見る側の意識の問題だと思います。足を踏んでいる側が足を踏んでいることに気がつかないことが問題なのです。*2

 しかし、当事者にとっては常に「いま・ここ」(今現在の生活)が問題になります。社会の側に問題があると言ってもすぐに社会や見る側の意識が変わるわけではない。つまり、社会の側に問題があるとしても、当面は当事者個人が何とか生き抜くために個人的に打開していくしかないということになります。この「個人的な打開策」が『顔ニモマケズ』のテーマになっていたのだと思います。

 

暗黙の「異議申し立て」

 障害者運動やフェミニズムのように困難を抱えた当事者自身が社会の側に向かって積極的に訴えていくという当事者運動がありますが、これは個人的な困難の打開(今現在の生活)と社会への異議申し立て運動を同時並行的にやっていくというパワフルな活動です。「ユニークフェイス」はそのような方向性を目指していたと思うのですが、積極的な社会運動は非常にむずかしいのだと思います。

 しかし、「見た目問題」当事者が「社会の側や見る側の意識に問題がある」と積極的に声に出して言わなくても、当事者がメディアに出演しインタビューに答える姿を非当事者の人たちに見てもらうことは、暗黙のインプリケーションとしての異議申し立て行動なのかもしれません。少なくとも見る側の見方や意識を変えるきっかけになると思います。

『顔ニモマケズ』にも出ていた石田祐貴さんはおそらくそのことに自覚的であると思います。

「理想論ですが、僕を当たり前の存在として受け入れてもらいたい。じろじろ見てきたり、すれ違いざまに『うわっ』という表情でのけぞったりする人も。普通の反応だと受け止めていますが、だからこそ、僕が人混みの中を歩くだけでも意味があると考えています。『世の中にはこんな人がいるんだ』と知ってもらえる機会になるから」(石田祐貴さん)

顔ニモマケズ、僕は生きる 内面好きと言ってくれた彼女:朝日新聞デジタル

 

 

社会を「慣れさせる」ために

ユニークフェイス」当事者の女性(Bさん)は『ユニークフェイスの活動は社会を「慣れさせる」ための一環である』と捉え、積極的にメディア活動をしていました。社会や見る側の意識を「変える」ことの第一歩として社会を「慣れさせる」のです。

 

:社会的な問題だとしたら、なんか、なんらかの対策って言うと大げさかもしれないけど、そういうのが必要ではないかと // B:ええ // 思うんですけど、どういうのが、あの、Bさんご自身は、必要だと思いますか?

 

B:慣れ(笑)

 

:慣れ?

 

B:だから、社会が慣れること。あのねー、目をそらさないでほしい。(中略)外見の問題が公然と論じられて、まぁ、いろんな人がメディアに出て、まぁ、そこまで出てくる人が現れるまでがしんどいと思うんだけど、社会が慣れることで社会の扱いが確実に変わると思うんです。社会がその存在に慣れることで。

 

:あーー。まだ、いま、慣れてないから?

 

B:慣れさせるだけの、やっぱり、パワーが当事者側にないでしょう。まだ、怯えているから。みんな。「自分はこうだよ、文句あるか」って、そのままの姿で社会に出る人ばかりじゃないから。…

 

 

異形という問題が「公然と」議論されるようになって社会が異形の人々の存在に「慣れ」、彼らに対する社会の認識や行動が変化する必要があるというわけである。そして、社会を「慣れさせる」ための一環としてBさんがおこなっているのが、当事者運動としてのユニークフェイスの活動である。

 

 社会を「慣れさせる」ための具体的な活動としては、ユニークフェイスの体験記への寄稿やユニークフェイスのメンバーを取り上げたドキュメンタリー番組への出演がある。体験記の出版にしてもドキュメンタリー番組への出演にしても、セフルヘルプ・グループのメンバー同士の交流やサポートの範囲を超えた活動である。つまりそれらは、社会に自分たちの「そのままの姿」をさらし、その存在や抱えている苦しみを知らしめ、社会の側の認識や行動の変更を求めるというクレイム申し立て活動なのである。

西倉 実季『顔にあざのある女性たち――「問題経験の語り」の社会学』(181−2)

 

「見た目問題」当事者がメディアに出演することは、Bさんが言っているように、社会を「慣れさせる」ための一つの当事者運動と考えることができると思います。

 

 

「見た目問題」と「見た目」のコンプレックス

 

「見た目問題」とは

 マイフェイス・マイスタイルは「見た目問題」を次のように説明します。

顔や身体に生まれつきアザがあったり、事故や病気によるキズ、ヤケド、脱毛など「見た目(外見)」の症状がある人たちが、その「見た目」ゆえに日々ぶつかりやすく、抱え込みやすい様々な問題です。

「見た目に問題がある」ということではなく「見た目に症状を持つことで生じやすい問題」のことです。…

見た目問題とは 」より

 

「見た目問題」は「自分のルックスに自信がない」といったような「見た目のコンプレックス」のことではなく、「見た目に症状を持つ」ことから生じる独特の生きづらさを問題にしています。

 

「見た目問題」固有の生きづらさ

 以下の二つは位相の違う問題です。

(1)「見た目のコンプレックス」(=美醜の問題)

(2)「見た目問題」(=「見た目に症状を持つ」ことから生じる独特の生きづらさ)

 

 研究者の西倉実季さんが行った当事者のライフストーリー研究から(1)と(2)の問題経験が明らかに異なることが分かりました。(→西倉 実季『顔にあざのある女性たち――「問題経験の語り」の社会学』

 当事者は美醜の問題と同時に、見た目に傷やあざなどの症状を持つことから生じる「見た目問題」固有の困難を抱えていたのです。

「見た目問題」固有の困難とは、主に「じろじろ見られる」に代表されるようなまなざしの暴力、学校でのいじめ、侮蔑的な扱いを受ける、就職活動が困難になるといったものがあげられます。

 西倉さんが言うには、「見た目問題」固有の問題と見た目のコンプレックス(美醜の問題)が混同されてしまうことによって、「見た目問題」固有の生きづらさが置き去りにされ、問題経験(生きづらさ)が相手に伝わらないという更なる問題が生じてしまうと言います。

 見た目のコンプレックスは美醜の問題であり、「イケメン/ブサイク」「美人/ブス」といったようなコードによって美醜秩序や美醜階層を作り出しますが、「見た目問題」固有の困難はそのようなコードではないのです。

「見た目問題」固有の困難は、障害者の問題に共通するような「普通の顔/普通じゃない顔」という「普通/非普通」というコードであり、「見た目問題」当事者は美醜問題と同時に「普通の顔じゃない」という「見た目問題」固有の問題を抱えているのです。

*3 *4 *5 *6

 

 

「見た目問題」固有の困難は「障害」である

 

 研究者の西倉実季さんは「見た目問題」固有の生きがたさを「障害」に含めるべきだと述べています。(→西倉実季「顔の異形(いけい)は「障害」である――障害差別禁止法の制定に向けて」

 つまり、「見た目問題」当事者が直面する固有の困難を社会モデルの観点から障害と捉え、就職差別のような明らかな差別的取り扱いを障害者差別解消法によって規制すべきだと考えるのです。

 もし「見た目問題」を美醜の問題としてだけ捉えると、以上のような「障害に含める」という考えそのものが封印されてしまいます。美醜の問題は圧倒的多数のマジョリティが経験する生きづらさであるために、マイノリティとしての「見た目問題」固有の困難は常に美醜の問題へと逸らされてしまう傾向にあります。

 従って、まずは「見た目問題」固有の問題と美醜の問題を区別できる領域は二つを明確に区別し、「見た目問題」固有の困難を差別の問題として構成する必要があるのです。

 差別の問題で重要なのは、不利な扱いを受けたときに第三者へと異議申し立てができるような何らかの回路が確保されているかどうかにあります。明らかに不公平な扱いを受けたとしても、この不合理さを告発可能にする手立てがなければ自己責任的な泣き寝入りをするしかありません。

 つまり、「見た目問題」固有の困難を美醜の問題として捉えることは、第三者への異議申し立ての回路が遮断されることを意味し、差別的な扱いを受けたとしても自己責任的泣き寝入りをするしかないことになるのです。そして、どこまでも個人の努力の問題に還元されてしまいます。(→なぜ「努力」は「信仰」となり人を苦しめ続けるのか 〜 差別・不平等・努力信仰 の関係 〜

「見た目問題」固有の困難を告発可能にするための一つの提案として、障害者差別解消法の枠組みを使用するのはとても有効だと思います。現に英国や米国ではそのような方策を取っています。*7 *8 *9

 

脚注

*1: 「生きづらさ」の複合的問題

 社会全体が男性優位につくられている場合、あらゆる社会問題に「男女格差」(ジェンダー格差)が紛れ込みます。たとえば労働問題の「正規/非正規」の格差問題にも「男女格差」が上乗せされ、男性の非正規よりも女性の非正規の方が不利になるケースが多いのです。

 従って、あらゆる「生きづらさ」は単一の要因からくるものではなく、様々な要因からなる「複合的問題」であると考えられます。男女の格差以外にも「学力・学歴格差」「コミュ力格差」「親の経済格差」「溜め格差」「文化資本格差」「ソーシャルキャピタル格差」などがあります。

「見た目問題」当事者にも複合的問題が必ずあるはずであり、100万人の当事者のなかにもいろんな格差が複合的に積み重なっているはずです。これは個人の努力で何とかなるような問題ではないと思います。

  

*2: 「変えられないもの」を受け入れること…

「変えられないものを受け入れる」というのは、「受け入れる自分」が変わることによって「変えられないものを受け入れる」ということだと思います。それに対して「変えられるものを変える」というのは「自分」が変わるのではなく「自分」が「属性」(変えられるもの)を変えることです。「変えられないもの」が変わらないとしても、社会の側が変わることによって、「変えられないもの」の意味合いや位置づけは変わるはずです。

 

*3: 身だしなみとかTPOとか…

 見た目の問題には美醜の問題のほかに「身だしなみ」とか「TPO」というもう一つの位相があります。身だしなみやTPOはエチケットやマナーの問題として扱われます。「見た目が9割」という場合、そのような身だしなみの問題(マナー問題)と容姿の美醜の問題が区別されずに込み込みで論じられることがありますが、「好感度」というマジックワードのもとにマナー問題と美醜問題を同一平面上に乗せて議論する仕方には問題があると思います。

 

*4: 「美醜による差別」について…

「見た目問題」と美醜の問題は本質的に区別すべき問題ですが、そもそも「美醜による差別」があることじたい問題なのであり、美醜差別そのものを是正すべきだと考えることもできます。しかし、美醜による差別を告発可能な差別問題として提起するには相当の困難が予想され、「見た目問題」固有の困難を美醜による差別の問題に含めてしまうと、差別問題の告発可能性が著しく困難になります。

「見た目問題」固有の生きづらさを問題にすると、「だとしても美醜による差別も問題だよね…そもそも美醜による差別が問題だよね…」というふうに「見た目問題」固有の問題が美醜の問題に逸らされてしまうことが往々にしてあります。そのように「問題」が逸らされてしまうことによって、「見た目問題」固有の困難性を差別問題として告発するハードルが著しく高くなってしまうのです。

 

*5: 説明困難な生きづらさ…

「軽度障害」には「健常者」でもなく、かといって「障害者」でもないような位置づけ困難な「どっちつかずさ」に由来する独特の生きづらさがあります。このような名状しがたい生きづらさ(説明困難な生きづらさ)は「見た目問題」固有の生きづらさに共通していると思います。

「見た目問題」固有の生きづらさが美醜の問題として解釈されてしまうことは、「見た目問題」固有の生きづらさが説明不能なまま残り続け、名状しがたい困難性を個人の努力で甘受し受忍しなければならないという方向性へと追いやることになります。

 

*6: 男性型脱毛と抗がん剤の副作用による脱毛

 一緒に働いている職場の同僚(男性)が、がん治療のために入院したのでお見舞に行ったのですが、そのときに話題になったのが「抗がん剤の副作用で髪の毛が抜けてショックだった」という話でした。その男性はもともと男性型脱毛症で全体の2割ほどしか髪の毛が残っていない状態だったので、私が見たところ「見た目」にはまったく変化がないのです。そのとき私は思わず「ぜんぜん変わってないけど…」と言ったのですが、それに対して男性は「それは失礼な話だ!…」といって笑い話のような雰囲気に包まれました。

 しかし、いま反省的に考えると、男性型脱毛症の人(残された髪の毛が少ない人)であっても抗がん剤の副作用で髪の毛が抜けることは本人にとってまったく違う経験なのだと思います。つまり私は、このときに同僚の問題経験(抗がん剤による脱毛のショック)を捉えそこねてしまったのです。「もともと髪の毛が薄いのだら…」という私の勝手な思い込みによって同僚の問題経験を私は拒絶したことになります。「見た目問題」にもそのような問題経験の「伝わらなさ」が常に孕まれていると思います。

 

*7: なぜ「見た目問題」を「障害に含める」のか…

 図式的に説明すると次のようになります。「見た目問題」で雇用差別やハラスメントにあっている人がいる→「見た目問題」による雇用差別・ハラスメントはあってはならない→「見た目」にもとづく差別を禁止する法律はない(そのような法律をつくることはむずかしい)→「見た目問題」を「障害」に含める→「障害」を理由にした差別はあってはならない→障害者差別解消法→「見た目問題」による雇用差別・ハラスメントを規制する。

 

*8: 「給付」と「規制」の違い

 社会政策には「給付」と「規制」があり、差別問題は再分配的な給付の対象ではなく規制の問題です。従って「見た目問題」を障害に含めるといってもこれは給付対象になるということではなく規制によって差別を是正するという政策を意味します。つまり、財政問題や「俺の税金が…」問題とはまったく違う話なのでその点に注意が必要です。

 

*9: 「見た目問題」と雇用差別

「見た目問題」を「障害」に含めて障害者差別解消法の枠組みに包摂すればすぐに差別がなくなるかというと、そう簡単な話ではないと思います。アメリカのようにバイト面接レベルでも下手をしたら訴えられるというような訴訟社会にあっても、依然として差別が横行しています。

 しかし、アメリカのように多民族・多宗教の国では異質性や多様性の度合いが高いために、何かにつけて「自分は差別していない」という説明責任が求められ、この暗黙の圧力が差別の抑止力になっています。それに対して、日本のように同質性の高い国ではそのような説明責任に対する暗黙の圧力が働きません。

 たとえば、アルバイトやパートの採用担当者は一人の人間が行うケースが多く、このたった一人の採用担当者がどのような基準で採否を決めているかがまったく問えない状況にあります。このような場合、採用担当者がいわゆる「俺基準」で決めていたとしても、まったく問題にできないのです。

 採用担当者に「自分は差別してない」という説明責任のマインドを持ってもらうにはどうすればいいのか。この「ささやか」に見える問題が雇用差別の問題では重大であると思います。障害者差別解消法が施行されるさいに行政・事業者の合理的配慮の義務が注目されましたが、これによって行政・事業者の担当者には合理的配慮義務の説明責任が課せられました。

 説明責任の課せられる「公的な立場」にある人(バイトの採用担当者もその意味では公的な人)に「自分は差別していない」という説明責任のマインドを持ってもらうことが差別解消の第一歩として必要なことであり、「見た目問題」を障害に含めることもそのような意味で重要なのです。

 

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文献

【ユニークフェース】

見つめられる顔―ユニークフェイスの体験

知っていますか?ユニークフェイス一問一答

顔とトラウマ――医療・看護・教育における実践活動

ジロジロ見ないで――“普通の顔”を喪った9人の物語

 

石井政之さん(→リスト

顔面漂流記―アザをもつジャーナリスト

顔面バカ一代――アザをもつジャーナリスト(顔面漂流記 改題加筆)

迷いの体―ボディイメージの揺らぎと生きる

肉体不平等―ひとはなぜ美しくなりたいのか? 

顔がたり―ユニークフェイスな人びとに流れる時間

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「見た目」依存の時代―「美」という抑圧が階層化社会に拍車を掛ける

・「異形の人」をとりまく現状——日本と海外の比較顔とトラウマ

・顔という迷路——当事者ジャーナリズムの夜明け顔とトラウマ

・顔の障害をめぐる対話(切通理作VS石井政之顔とトラウマ

・アザをもつ子の母の悩みに答える顔とトラウマ

ユニークフェイス・レボリューション──見えない当事者を可視化する挑戦の軌跡(→『排除と差別の社会学』旧版)

 

藤井輝明さん(→リスト

運命の顔

さわってごらん、ぼくの顔

あなたは顔で差別をしますか――「容貌障害」と闘った五十年

・顔に疾患・外傷のある人を支えるネットワークを顔とトラウマ

・疾患・障害のある顔と看護顔とトラウマ

 

・松本学さん(→リスト

容貌の自己受容──口唇口蓋裂の場合

・容貌の自己受容(PDF)

・体験の語りをすることの教育的意義顔とトラウマ

・隠蔽されたいきづらさ顔とトラウマ

顔に違いがあるということ――先天的な変形を中心にして(→『障害・病いと「ふつう」のはざまで――軽度障害者どっちつかずのジレンマを語る』

・ふつうとは何か――当事者から距離を置くこと、間遠になること(→『障害・病いと「ふつう」のはざまで――軽度障害者どっちつかずのジレンマを語る』 

  

【ライフストーリー・問題経験・社会学

西倉実季さん(→リスト

顔にあざのある女性たち――「問題経験の語り」の社会学

「顔の異形(いけい)は「障害」である――障害差別禁止法の制定に向けて」(→『障害を問い直す』

「異形」から「美」へ――ポジティヴ・エクスポーシャの試み」(→『手招くフリーク――文化と表現の障害学』

『クレイム申し立て』としてのインタビュー―顔にあざのある女性の『問題経験』をめぐる語りから(→『繋がりと排除の社会学』

『普通でない顔』を生きること―顔にあざのある女性たちのライフストーリー(→『ライフストーリーとジェンダー』

 

【疾患・事故・戦争】

顔を失くして「私」を見つけた

顔面麻痺 ビートたけし

もっと出会いを素晴らしく チェンジング・フェイスによる外見問題の克服 

リサ・H―エレファント・マン病とたたかった少女の記録

クラッシュ―絶望を希望に変える瞬間

原爆乙女  中条一雄 (1984年)

しょうけい館 戦傷病者史料館 

 

【 顔 】(→リスト

人間にとって顔とは何か―心理学からみた容貌の影響

顔の現象学 ( 鷲田清一)

 

【障害学】

『障害学への招待――社会、文化、ディスアビリティ』

『障害学の主張』

『障害を問い直す』

『障害とは何か――ディスアビリティの社会理論に向けて』星加良司

『だれか、ふつうを教えてくれ!』倉本智明

『手招くフリーク――文化と表現の障害学』

『ボディ・サイレント――病いと障害の人類学』

 

【差別】

『スティグマの社会学――烙印を押されたアイデンティティ』

『差別原論――<わたし>のなかの権力とつき合う』好井 裕明

『差別論:偏見理論批判』佐藤 裕

排除と差別の社会学 旧版

排除と差別の社会学 新版 

『「病いの経験」を聞き取る――ハンセン病者のライフヒストリー 』蘭由岐子

 

【法律】

森戸英幸『美貌・容姿・服装・体型―「見た目」に基づく差別』(→『差別禁止法の新展開――ダイヴァーシティの実現を目指して』

・吉岡剛彦『おっぱいへの権利!ー「見た目」に関する悩みや望みを、法は保護すべきだろうかー』(→圏外に立つ法/理論 法の領分を考える

 

 動画・映像

 ・BS世界のドキュメンタリーイラクの子 ふたりのアリの悲劇 

ハートネットTV:ユニークフェイスの戦い

・ハートネットTV:Our Voices “見た目の悩み”のサバイバーたち(前編)

・ハートネットTV:Our Voices “見た目の悩み”のサバイバーたち(後編)

・バリバラ “見た目”の悩み

YouTubeChangingFaces 

YouTube『ヒロコヴィッチの穴』 by MFMS - YouTube

YouTubeウーマン村本「見た目問題」について本気で考える|ウーマンラッシュアワー村本大輔の土曜The NIGHT #38 AbemaTV

 

組織・団体

「見た目問題」解決NPO法人マイフェイス・マイスタイル

ユニークフェイス研究所

ユニークフェイスの活動履歴

 

海外組織(『顔とトラウマ』P211参照)

AboutFace(北米)

 顔に障害をもって生まれた子どもとその両親への、情報提供と精神的な支援を行うことを目的として設立された組織。カナダのマニトバ大学で美術を専攻していたドナ・フェリスという口唇・口蓋裂をもつ女学生と、出生時より顔の左半面が異常に小さい障害を抱えたコール・ブラウンの両親により1985年に設立された。北米を中心に36ヶ所の支部と、世界に6000名以上の会員をもつ。

 

Changing Faces(英国)

 18歳の時に、自動車事故で身体の40%に重度の熱傷を負ったオックスフォード大学の学生ジェームズ・パートリッジと、健康心理学者のニコラ・ラムゼイにより1992年に英国で設立された非営利組織。会員は2500名以上。

・書籍→もっと出会いを素晴らしく チェンジング・フェイスによる外見問題の克服

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Lets Face It (英国)

 がんのために目と口蓋を失った英国女性クリスティヌ・ピッフ(Christine Piff)により設立された支援組織。顔の障害に悩む当事者とその家族、友人、専門家のための非営利支援ネットワーク。米国支部では、過去14年間、当事者と家族、専門家、社会をつなぐパイプの役割を担ってきた。

 

Phoenix Society: Support for Burn Survivors (米国)

 航空機事故により全身に重度の熱傷を負ったアラン・ジェフリー・ブレスローにより1977年に米国フィラデルフィアで設立された非営利組織。25年以上にわたり活動を行っている。熱傷による後遺症の問題で悩む当事者とその家族を支援し、社会復帰を手助けすることを目的としている。世界に8000名以上の会員を有する。「熱傷フェニックスの会」は本会の姉妹組織。

 

「見た目問題」関連組織

 ・熱傷フェニックスの会

円形脱毛症を考える会

口唇・口蓋裂友の会(口友会)

日本口唇口蓋裂協会

たんぽぽ会 口唇口蓋裂を考える会(Facebook)

社会福祉法人 復生あせび会

先天性四肢障害児父母の会

アルビノ・ドーナツの会

日本アルビニズムネットワーク 

トリチャーコリンズ&ネイガー症候群の親の会 ひまわりの会

混合型脈管奇形の会(旧・混合型血管奇形の難病指定を求める会)

ロンバーグの日々 – (旧HP:ロンバーグ病のおうち) 進行性顔面片側萎縮症

Smiley Tomorrow ~北陸から「見た目問題を考える」