おんざまゆげ

@スラッカーの思想

「死」と人称性——「死」についての雑記(1)

1.死と人称性

 一人称(私)、二人称(あなた)、三人称(他人・彼)。

 これらの人称性の違いによって死の意味が変わってきます。

 では、どのような違いがあるのか。

 以下ではその違いを考えてみます。

 

三人称の死

 私たちは三人称の「彼」の死を傍観者の立場から眺めることができます。新聞やテレビのニュースで毎日のように報じられる殺人や事故死、遠い国の戦争やテロにおける「死亡者」が三人称としての「彼」の死です。「彼」の死は同情すべきではあっても、大抵の人にとっては通り過ぎてゆくのみ。一時的に悲しみや怒りの感情が芽生えても、次の日の朝にはその感情は消えていることがほとんどでしょう。

 「彼」の死の特徴は、それが「匿名の死」であるということ。たとえば「交通事故の死亡者数 3名」というふうに数字化(統計化)されてしまう死が三人称の死の特徴です。そこにはもはや個人の固有性やかけがえのなさは無く、代替可能な数字に置き換わってしまいます。数字によって単なる一つの社会現象に還元されてしまうのが三人称の死のポイントです。

 

 ... 死は人口統計学の問題であり、医学の問題であり、その意味ではこの世でもっとも陳腐な現象です。... 医者にとって、死は平凡極まりない事実でしょう。死者はすぐに置き換えられます。ひとが死んで世界に穴が開いても、生命はその穴をつぎつぎに塞ぎます。誰もが代替可能で、誰かが退場すると、すぐに別の誰かがその場所を占めるのです。この死はいわば第三人称的な死です。

 

 誰が死んでもいい。道を歩いている他人が急に脳血栓で倒れるというわけです。この死にミステリーはありません。結局のところ、ひとが死んでも人類全体は量的に減らないどころか、逆にどんどん殖えてゆき繁栄しています。人口は殖える一方です。個人的にはいくら悲劇であっても、種としてのヒトにはなんら差し障りがない。 (ジャンケレヴィッチ 1995:13-14)

 

 このような死の統計化、死の三人称化を激烈に批判した人がいます。

 

石原吉郎の「広島告発」批判

 シベリア抑留経験者の詩人 石原吉郎さんは、一人ひとりの固有の死が三人称の死に還元されてしまうことを痛烈に批判しました。「アイヒマンの告発」というエッセイのなかでヒロシマ平和運動(広島告発)に対する違和感を次のように述べています。

 

 ... 人間は情報によって告発すべきでない。その現場に、はだしで立った者にしか告発は許されないというのが、私の考え方である。....

 

... 広島告発、すなわちジェノサイド(大量殺戮)という事実の受けとめ方に大きな不安があるということである。私は、広島告発の背後に、「一人や二人が死んだのではない。それも一瞬のうちに」という発想があることに、強い反撥と危惧を持つ。一人や二人ならいいのか。時間をかけて死んだ者はかまわないというのか。…

 

... 「百人の死は悲劇だが、百万人の死は統計だ。」

 これはイスラエルで、アイヒマンが語ったといわれることばだが、ジェノサイドはただ量の恐怖としてしか告発できない人たちへの、痛烈にして正確な解答だと私は考える。

 

 ... 広島を「数において」告発する人びとが、広島に原爆を投下した人とまさに同罪であると断定することに、私はなんの躊躇もない。一人の死を置き去りにしたこと。いまなお、置きざりにしつづけていること。大量殺戮のなかのひとりの重さを抹殺してきたこと。これが、戦後へ生きのびた私たちの最大の罪である。私たちがいましなければならないただひとつのこと、それは大量殺戮のなかのひとりの死者を掘りおこすことである。(石原 1994)

 

死の計量化と当事者主義

 ヒロシマの原爆投下の悲惨さを訴えるときに「何十万というたんさんの人が死んだのだ」という「死亡者数の多さ」(統計)に訴えることは、原爆を投下した側の「いかに短時間で大量の人間を効率的に殺傷できるか」という計量的発想と同根ではないか。この意味で「広島告発」は原爆投下と同罪である。このように石原さんは「広島告発」を痛烈に批判します。

 石原さんが批判したい論点は、「その現場に、はだしで立った者にしか告発は許されない」という厳しい当事者主義と、死の計量化(統計化)への批判です。一人ひとりの死者を数字によって一括りにするのは「暴力」であり、罪である。従って私たちは、一人ひとりの死者の名を取り戻し、「死者を掘りおこす」作業をしなければならないのです。

 

『知って下さい。ヒロシマを』~ 栗原貞子の反論

ヒロシマというとき」や「生ましめんかな」という詩で有名な原爆詩人 栗原貞子さんは、「知って下さい。ヒロシマを」という詩によって石原さんの一連の主張に反論しています。(以下で言及されている「詩人Y」は石原吉郎を指していると言われています。)

 

『知って下さい。ヒロシマを』(1983)

 一人の死を無視するが故に

 数を告発するヒロシマ

 にくむ という 詩人Y

 ヒロシマナガサキの三十万は

 日本人だけでなく、

 強制連行された朝鮮人

 中国人の捕虜 東南アジアの留学生も

 異国の戦争に捲き込まれ

 焼けただれて死んだことを

 知って下さい。

 ...【中略】...

 知って下さい ヒロシマ

 数えきれない ひとりひとりの

 死者たちのために

 ゆりかごにねむる世界中の赤ん坊の

 未来のために

 言って下さい。

 「ヒロシマをくりかえすな」と

 

「脱集計化」と「脱中心化」

 三十万という数字の中には多様な死が混じり合っています。そこから一人ひとりの固有の死としては死ねなかった死者たちの無念さを剔抉するには、やはりどうしても三十万という数字の認識(知ること)から出発するしかない。とにかくまずは「知ること」が重要なのです。そこから死者の一人ひとりの固有性を取り戻し、死者を掘りおこすしか方法はない。つまり、一度は統計化された三人称の死を一人ひとりの固有の死にばらすこと(脱集計化)が必要なのです。 

 石原さんが言うところの「現場にはだしで立っていない人は何も語ってはならない」という厳しい当事者主義は、当事者ではない人たちを結果的に排除してしまいかねない。もし当事者だけしか語れないのなら、すべては当事者のみに閉じられてしまいます。これだと当事者と非当事者とのコミュニケーションが遮断され、体験や経験の共有化、歴史としての物語や記憶の共有化を阻んでしまう。これが栗原さんの言いたいことだと思います。*1

 従って当事者のみの体験や経験を他者たちと共有化するためには、当事者の体験を非当事者の人たちへと「言語」によって伝えなければならない(あるいは『この世界の片隅に』のように作品によって)。

 このときに、数字化や統計化、言語による三人称化やメタファー化はどうしても避けられません。厳密な当事者主義を緩やかな当事者性へとずらしていくこと(脱中心化)が体験の共有化には必要なのです。もしこれが暴力だというなら、私たちは歴史について何も語ってはならないことになってしまいます。*2

 

一人称の死

 私たちの一人ひとりが自分のことを「私」と呼ぶときのその「私」の死。これが一人称の死です。三人称の「彼」の死の場合、私たちは「彼」のいない死を観察し、「彼」のいない世界がどういうものかを知ることができます。しかし、一方の「私」の死の場合、「私」は自分の死が何なのかを知ることができません。なぜなら、そのとき「私」自身が存在しないからです。「私」の死は「私」にとっては絶対的に不可知なのです。

 いま生きている「私」の視点(現在)から「私」の死(未来)を想像することは可能です。二人称や三人称の死から「私」の死を類推するわけです。しかし、「私」の死が「私が存在しないこと」である以上、「私」の死を想像する視点そのものが消滅してしまう...。こういう経験は端的に想像不能です。

 

 ... 第一人称の死、つまり私の死については、語ることができません。なぜなら、それはまさしく私だからです。私は私の秘密——秘密があったらの話ですが——墓に持って入ります。 (ジャンケレヴィッチ 1995:14) 

...自分自身の死は、すでに示したように、いかなる瞬間においても自分の先にあり、来たるべくして決定待ちだ。... 自分自身の死は、いまだに死すべくしてあるのだ。

 

... “わたしは死ぬだろうとしかわたしには言えない。わたしは死ぬ”——目くばせをしながら、そして自分の死ぬのを眺めながらでもなければ——とも、ましてやわたしは死んだ” ——喜劇を演じ、自分を二重にしながらでもなければ——ともけっして言えない。

 

... さらには、わたしは自分にとって死ぬことはけっしてない。自分にとっては死はけっして存在しない。ないしはまた、すでに言ったように、死ぬのはけっしてわたしではなく、つねに他の者だ。

 

.. わたしにとってはほんとうにわたしのものである死はない。——さらによいことには、わたしは他の人びとにとってしか死なず、わたし自身にとって死ぬことはけっしてなく、また同様にして、わたしの側では、他人が自身知らない他人の死をわたしだけが知る。(ジャンケレヴィッチ 1978:33)

 

「過去」と「未来」

 私たちが「未来」を想像したり予測したりすることが可能だと思うのは、「過去」から「未来」を外挿(想像)できると考えているからです。「これまで」(過去)を「これから」(未来)に重ねられると信じているからこそ想像したり予測したりすることが可能だと思える。そして、その想像や予測が当たったかどうかを後から確認することによって「これまで」と「これから」が繋がっていると確信できるのです。

 しかし、親しい人が死んだとき、その確信は揺るぎます。私たちの「これまで」の中には親しい人の死はまったく見つからない。「これまで」の中のどこを探しても親しい人の死は事実として記録にない。しかし、その人は死んでしまった...

 こういう出来事が起こると、私たちが漠然と信じている「これまで」と「これから」の安定的な繋がりに亀裂が生じます。実は「これまで」と「これから」は本来的には断然しているのです。

 

死の不可知性

 「私」の死も同様に、「これまで」の中にはまったく存在しません。有史以来の膨大な歴史を調べ尽くしてもその中に「私」の死は記録にない。しかし「私」の死は近い将来、確実にやってくるのです。

 私たちは「昨日」と同じように「明日」が確実にやってくると思っていますが、「明日」はどういう「明日」なのかは本当は分かりません。この意味で「明日」は「私」の死と同じように不可知なのです。

 未来に起こる様々な出来事は、後からそれがどうだったのかを確認できますが、未来に起こる「私」の死という出来事だけは、後からそれがどうだったのかを確認することができません。確認する視点である「私」そのものが存在しないからです。この点が「未来」と「私の死」の違いです。

 

 ...未来の出来事とは、現在私がいかなる予測をするにせよ、それとは独立に到来しうる。にもかかわらず、われわれが予測を繰り返すのはこれまである程度的中してきたからであり、的中したか否かを「あとから」調べることができるからだ。

 

 しかし、死だけはそれを「あとから」調べることができない。この一点だけが、明日私が生きているとしたらそこに現出する世界と、(無を含めて)死後にそこに現出する世界とのあり方の違いである。現在と未来とは、じつは完全に切り離されている。両者をつなぐ「糸」はどこにもない。私は、あたかもそれがあるかのように錯覚にみずからを陥らせて安心しているだけなのだ。(中島 2002)

 

死の私秘性と「Only One

 「私」は他者とは別人である以上、他者と別個の自分の身体(脳や心)を持っています。身体の機能停止である死は、その意味で他者とは絶対に共有できないプライベートなものです。だから、誰にとっても常に「死ぬときは一人」です。

 

... 悲しいかな! 死んでゆく者は一人で死に、各人、自分自身で死なねばならぬこの個人的な死に一人で対決する。だれもわれわれのかわりにおこなうことはできず、各人、時が来たら、自分で単独に運ぶことになっている孤独の歩みを一人でなしとげるのだ。

 

 しかもまた、だれもむこう岸で待ってはいない。...聖職者の立ち会いとは、全生涯でこの上なく絶望的に孤独な歩みの孤独さを賑わし、最後の旅に向う旅人につきそおうとするいわばむなしい、そしてまったく象徴的な企て以外のなんであろう。(ジャンケレヴィッチ 1978:28)

 

「私」はかつて経験したことのない「私の死」を、誰の助けもなしに一人で引き受けなければなりません。死は「私」にとって未体験ゾーンです。「私の死」を誰かに代わってもらうことは絶対にできない。

「私の死」が代替不能であることー。これがその人の「かけがえのなさ」の本態です。つまり、私たち一人ひとりが「もともと特別なOnly One」なのは、私たちが常にOnly One的にたった一人で孤独に死ぬ運命にあるからです。

 それが「Only One」の真の意味であり、「かけがえのなさ」というのはそのような絶望的希望のようなもの、絶望的条件の上に乗っかっているささやかな希望のようなものです。

 

 

 二人称の死

 「私の死」が私秘的で固有的なものであるなら、「私」の生も同様に固有的なものです。他の誰のものでもない「私の生」を「私」は生きなければならない。これが「かけがえのなさ」や「Only One」と呼んでいることの内実です。

 しかし、その「私の生」は常に他者と共に「社会」や「共同体」の中に組み込まれています。「人間は本性上、社会的(共同体的)動物である」(アリストテレス)。つまり、他者と共に生きるというのが本来のあり方であり、人間として生きるということは他者と共に共同体の中で生を営むということです。

 一人称の「私」は一人称的に単独で生きてるいるわけではなく、「私たち」という共同体(とりわけ家族や親友などの親密圏など)に属しながら生を営んでいます。それによって「私の生」は一方で固有的なものでありながら、他方では「私」という垣根を越えて他者の生と根源的な繋がりを持っているのです。

 二人称の死とはそのような「私たち」の中で「あなたと私」の関係にある「あなた」が死んでしまうことです。「あなた」は「私」と深い絆で結ばれており、「私」にとって「かけがえのない存在」です。三人称の「彼」のように数字化したり代替可能な人ではない。二人称の死はそのような「かけがえのない存在」の喪失体験(対象喪失)です。

 

 ... 哲学的な経験として残るのは第二人称の死、つまり身近なひとの死です。... この死は私の死でないにもかかわらず私の死にもっともよく似ています。

 またこの死は、社会現象としての非人称の死、匿名の死ではありませんが、しかし死ぬのは私以外の別のひとです。私は生き延びるのです。私はその人が死ぬのを見ることができます。死体を見られるのです。 (ジャンケレヴィッチ 1995:14)

 

愛別離苦としての「別れ」

 「あなた」がいなくなった世界を「私」は生きてゆかねばならないー。このような愛別離苦としての別れの感情は「私」と他者が繋がりをもって「共に生きる」という人間の生のあり方があらわとなる明確な瞬間です。

 このような人間本来のあり方において「共に生きてきた人との別れ」という死の一つの意味が開示されてきます。死が人と人との繋がりの中で生じることであるがゆえに「別れ」という比喩が二人称の死では使われるのです。

 二人称の死を体験し、「私」もまた「私たち」の中で死んでゆくことを自覚するとき、単なる生物学的な個体死ではない「共同体における死」という新たな死の理解が生まれてくるわけです。

 

 

【参考文献】

・ジャンケレヴィッチ『死』(1978)

死

 

 

・ジャンケレヴィッチ『死とはなにか』(1995)

死とはなにか

死とはなにか

 

 

中島義道 「死」『事典・哲学の木(2002:417-419)

石原吉郎アイヒマンの告発」『続・石原吉郎詩集』(1994)

・白熱教室JAPAN 川本隆史教授(第2回)

ヒロシマからフクシマへ届けられるもの 後編(2011)

※ 引用は適宜読みやすいように改行したところがあります。

 

*1: 厳しい当事者主義について。

 石原さんの厳しい当事者主義に従えば、『この世界の片隅に』のような作品もつくってはならないということになります。なぜなら、作者のこうの史代さんは戦後生まれ(非当事者)だからです。

 

*2: 石原さんには納得できない。

 僕は石原吉郎さんの詩やエッセイを興味深く読ませてもらっていますが、「広島告発」批判に関しては同意できません。石原さんの厳しい当事者主義は「言論封じ」になってしまいます。石原さんの論はほとんど一人称的世界しか認めず、そこから三人称化(計量化)されてしまうことを批判していますが、石原さんが自分の詩集やエッセイを出版することができたのは(そして自らの言説が流通したのは)二人称や三人称を含んだ「社会」や「共同体」があったからです。「死者」であっても共同体的存在として「私たち」の中に位置づけられているはずです。

  なのに石原さんは二人称や三人称的世界を認めない。石原さんはいったい「どこを」生きていたのでしょうか。「社会」や「共同体」の中を生きていたはずです。だとしたら一人称的世界や単独者であることを強調し、ここから強い当事者主義を打ち出すのはダブルスタンダードでしょう。「当事者以外は語ってはならない」という「言論封じ」(表現の自由を一部規制すること)を政治的言説(言論)として語ることができるのは、自分だけをメタポジションに置いているから言えることです。

 死者の無念さを完全に代弁することができなくても、二人称化すること(歴史化や記憶化)は可能です。というより、私たちにできるのはそれのみです。

  自著の中で「当事者以外は語ってはならない」と言いつつ自らは堂々と「社会批評」を行い、そのうえ書籍を市場に流通させて己の言説を広めることに成功している。もし本当に単独者しか認めないのなら、少なくとも政治的な「広島告発」批判のような社会批評は慎むべきです。(たとえば中島義道さんは一人称的世界しか認めないかわりに政治的な社会批評は自覚的にしていません。)

  私たちは「社会」や「共同体」の中でしか生きられない。それなのに石原さんのように一人称的な単独者の単独性を何かと強調しながら、それと同時に政治的社会批評をする人たちがいます。(たとえば池田晶子さんも一人称的世界に軸を置きつつ社会批評をしていました。その他には、スピヴァクの『サバルタンは語ることができるか』に影響を受けて何かと言えば「単独者」を強調し、そこから強い当事者主義を主張する人たち(サバルタン系)等)。

  そのようなサバルタン系の人たちが言いたい単独者の重要性は(石原さんも含めて)重々理解できます。しかし、そこから強い当事者主義を主張することはできません。なぜなら私たちは「社会」や「共同体」を生きているからです。栗原貞子さんが言いたかったこともそのようなことではないかと思います。つまり、僕は栗原さんと共に「詩人Yよ、あなたはいったいどこを生きているのですか?」と問いたいのです。