おんざまゆげ

@スラッカーの思想

『日本文学にみる純愛百選』(芳川泰久監修)

 

日本文学にみる純愛百選 zero degree of 110 love sentence

日本文学にみる純愛百選 zero degree of 110 love sentence

 

 

〈純愛〉ブックガイド

 

 純愛に関する小説と詩が110作品収録されています。

 幅広い作品…樋口一葉の「たけくらべ」(明治)から古川日出男「LOVE」(2005)まで… が網羅されていますので、最新作だけではなく古典も読みたい読者にとっては便利なブックガイドだと思います。

 

 

…いかに多くの小説家や詩人が恋にまつわる作品を手がけているかが分かります。その意味で、本書は、〈純愛〉から見た日本の近現代文学の姿を伝えているとも言えるかもしれません。

 

 

 これだけの作品が紹介されていると、「なんであの作品が入っていない? なんでこんな作品が入っている?」という不満が湧き上がってきたりしますが、このブックガイドはそれなりにバランスの取れた手堅いチョイスをしているのではないかと思われます。

 しかし、ただ手堅いだけだと飽きてしまうので、それなりの変化球的チョイスもあったりします。たとえば、折口信夫の「死者の書」…。ただ恋愛小説を読みたいだけの人にとっては異質すぎるチョイスではないかと…。しかも、紹介されている順番が「あいうえお」順なので、「折口信夫」の次が「角田光代」という落差!です。

 

 

人の数だけ… 恋の数だけ〈純愛〉はある

 

 純愛とは何か、という定義に意味はないということです。

 

 

…〈純愛〉をできるかぎり広く考えてみてください、…というのも、〈純愛〉はワンパターンではなく、こう言ってよければ、人の数だけ〈純愛〉がある、と思われるからです。

 

 …恋の数だけ〈純愛〉はある、とさえ言いたいほどです。まだ、恋とも打ち明けられない片思いにも、袋小路のような恋にも、性愛をともなった不倫の恋にも、生死を賭けるほどの恋にも、たまたま行きずりに一度だけまじわった恋にも、〈純〉という言葉でくくれる一途さひたむきさが宿っているからです。

 

 

 あと、自分はモテないから恋愛なんて関係ない、とか、モテなくて恋愛できないから小説で埋め合わせる、というのも見当違いな考え方だと思われます。(このへんは「小谷野敦さん」がわかりやすい例(サンプル)です!)

 ファンタジー小説をただのファンタジーとして読むように、恋愛小説もただのファンタジーの一種として享受すればいいだけで、これは漫画やアニメの「萌え」と同じ構造なのではないかと僕は思っています。

 

 

あらゆる文学作品は〈恋愛小説〉である

 

 

 あえてこう言ってしまいたいのですが、あらゆる文学作品は〈恋愛小説〉なのです。そして〈恋愛〉は、突きつめれば〈純愛〉で、だから〈純愛〉なくして文学は成立しません。

 

 

 文学の「恋愛一元論」。

 極論だと思いますが、そう言ってしまいたい気持ちもわかります。

 恋愛を描けば人間を描いたことになるからです。

 恋愛には人間の汚い部分がすべて網羅されているので、恋愛小説を読めば人間の不合理さ、倒錯した心理を余すところなく目撃できます。感動的に人間の尊さも描かれますが、僕が注目するのは常に人間の汚い部分だけ。清と濁ならやっぱり濁。恋愛は自己愛の極致なので、限りなく罪なこと、仏教的には煩悩そのものです。*1

 

 

 

〈純愛〉フレーズ

 

 その一端を、ここで、ごく短いフレーズでご覧にかけましょう。

 

 あなたは決して理解できずに、それでも一生愛するしかないもののまえにいる。(石田衣良

 

 恋とは、一本の大きい昆虫針です。針は僕をたたみに張っつけてしまいました。(尾崎翠

 

 おそ春のくらい夜は、毒でふくれた蝮の咬みあとのように血ぶくれて、愛情とまぎらわしい殺意が快くうずいた。(金子光晴

 

 「センセイ、好き」(川上弘美

 

 それなのに、ほんとにあんたっていう人といっしょにいると、あんなことが起こったり、こんなことが起こったりするう!(小島信夫

 

 そう、いうなれば生まれながらの戦士が甲冑を纏うが如く、君はVivienne Westwoodを纏っていたのです。(嶽本野ばら

 

 あなたが迷子になったら私も地図を捨てる(谷川俊太郎

 

 あすでは遅すぎるかもしれない。今夜にも夏は行ってしまう気がする。(夏野まゆみ)

 

 私の恋人の一切はセメントになってしまいました。(葉山嘉樹

 

 あの湿った掌の感触は、もう十八年もむかしのことになるのか。(堀江敏幸

 

 「覚えておいて。殺しても飽き足らないくらい好きよ。わかった?」(松浦理英子

 

 わたしは十二年前のわたしを抱いた。(盛田隆二

 

 

 

【収録作品】

【あ】青野聰「母よ」

   阿部和重ニッポニアニッポン

   池澤夏樹タマリンドの木」

   石田衣良「娼年」

   泉鏡花高野聖

   伊藤左千夫「野菊の墓

   絲山秋子「袋小路の男」

   稲葉真弓「エンドレス・ワルツ」

   色川武大「離婚」

   岩井俊二「ラブレター」

   宇野千代「おはん」

   江國香織スイートリトルライズ

   圓地文子「女坂」

   遠藤周作「わたしが・棄てた・女」

   大江健三郎「新しい人よ眼ざめよ」

   大岡昇平「武蔵野夫人」

   大原富枝「婉という女」

   岡本かの子「金魚撩乱」

   小川洋子博士の愛した数式

   尾崎翠「地下室アントンの一夜」

   織田作之助夫婦善哉

   折口信夫死者の書

【か】角田光代「愛がなんだ」

   金井美恵子「くずれる水」

   金子光晴「どくろ杯」

   唐十郎「銀ヤンマ」

   川上弘美センセイの鞄

   川端康成伊豆の踊子

   桐野夏生「ダーク」

   倉橋由美子「暗い旅」

   車谷長吉赤目四十八瀧心中未遂

   耕治人「どんなご縁で」

   河野多惠子「秘事」

   小島信夫抱擁家族

   後藤明生「片恋」

【さ】坂口安吾「青鬼の褌を洗う女」

   桜井亜美「イノセント ワールド」

   佐藤春夫「小説智恵子抄

   志賀直哉「暗夜行路」

   重松清「愛妻日記」

   澁澤龍彦「ねむり姫」

   島尾敏雄「死の棘」

   島田雅彦「やけっぱちのアリス」

   庄野潤三「絵合せ」

   鈴木志郞康「新選 鈴木志郞康詩集」

【た】高橋源一郎「性交と恋愛にまつわるいくつかの物語」

   高村光太郎智恵子抄

   嶽本野ばら世界の終わりという名の雑貨店

   太宰治「斜陽」

   立原正秋「春の鐘」

   立原道造立原道造詩集」

   谷川俊太郎「女に」

   谷崎潤一郎「秘密」

   田山花袋少女病

   多和田葉子「旅をする裸の眼」

   檀一雄「火宅の人」

   茅野裕城子「韓素音の月」

   筒井康隆「幻想の未来」

   徳田秋声「仮想人物」

【な】永井荷風「濹東綺譚」

   中上健次枯木灘

   中河与一「天の夕顔」

   中里恒子「時雨の記」

   長野まゆみ「少年アリス」

   中村光夫「ある愛」

   夏目漱石「それから」

   野坂昭如「アメリカひじき」

【は】葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」

   原田康子「挽歌」

   樋口一葉たけくらべ

   久生十蘭「墓地展望亭」

   平野啓一郎「一月物語」

   深沢七郎楢山節考

   福永武彦「草の花」

   藤枝静男「悲しいだけ」

   古井由吉「槿」

   古川日出男「LOVE」

   星野智幸「目覚めよと人魚たちはうたう」

   保坂和志「残響・コーリング」

   堀辰雄風立ちぬ

   堀江敏幸「砂売りが通る」

【ま】舞城王太郎好き好き大好き超愛してる。

   町田康夫婦茶碗

   松浦理英子「ナチュラル・ウーマン」

   三浦しをん「月魚」

   三浦哲郎「忍ぶ川」

   三島由紀夫憂国

   水村美苗本格小説

   宮内勝典「金色の象」

   宮本輝「錦繡」

   向田邦子「あ・うん」

   村上春樹ノルウェイの森

   村上龍「紋白蝶」

   村山由佳天使の卵

   室生犀星あにいもうと

   森鷗外「じいさんばあさん」

   森茉莉「甘い蜜の部屋」

   森瑤子「情事」

   盛田隆二「ラスト・ワルツ」

【や】矢川澄子「兎と呼ばれた女」

   山田詠美「姫君」

   山本周五郎柳橋物語」

   柳美里「ルージュ」

   夢野久作「押絵の奇蹟」

   横光利一「春は馬車に乗って」

   吉田修一東京湾景

   吉原幸子「続・吉原幸子詩集」

   よしもとばなな「キッチン」

   吉行淳之介「出口」

【わ】綿矢りさ蹴りたい背中

 

 

 

 

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*1: 僕の考えでは、「片思い」は罪ではないけど、思いを告げた瞬間にそれは罪になると思っています。(だから「片思い」は、恋が罪にならないギリギリのラインで踏ん張っている状態です。)

 純愛は「私とあなた」の関係―「私だけのあなた」という束縛と独占の関係―なので、この独占欲を下支えしている自己愛を考えると、たとえお互いが相思相愛だとしても、相手を手段化しているかもしれないという疑惑があり、この疑惑をはらすためには精神性の証明が必ず必要とされます。この証明がなされたときにだけ罪ベースの純愛は善になりうるのではないでしょうか。