おんざまゆげ

@スラッカーの思想

スラッカー(怠惰主義)とは「労働の脱道徳化」である

個人や社会のあらゆる悲惨さは、労働への情熱から生まれる(ラファルグ)

 なぜ、かくも労働は道徳と結びつき「勤労」(労働への情熱!)となったのか。この二つの結合こそが私たちの労働にまつわる生きづらさの正体である。

 「スラッカー」(怠惰主義)は、労働と道徳の結びつきを緩める実践(労働の脱道徳化)である。まずは「労働の道徳化」の歴史を以下で示し、「怠惰の倫理」の必要性を述べる。

労働が規範化されていない時代

「労働」とはたんに「働く」ことを意味するだけではなく、道徳や規範と分かちがたく結びついている。労働と道徳。当初、二つは無関係であった。しかし、歴史的に「労働」は規範化(=道徳化)され「労働倫理」(勤労主義)となった。労働が規範化されて以降、そこからの逸脱的態度として「怠惰」という反道徳が生まれる。したがって、勤労の歴史と怠惰の歴史はほぼ同時期に発生し同じだけの歴史を持っているといえる。

 もともと労働は「勤労」ではなかった。労働が世俗的に規範化されるのは産業革命以降である。古代ギリシャ・ローマ時代の労働はたんなる苦役であり、強制的に奴隷がおこなうものであった。この時代の労働は「美徳」などとはみなされず、「労働しない者」を怠惰と非難する規範は存在しなかった。
 ハンナ・アーレントによれば、現代の労働観の最大の特徴は「労働を賛美すること」にある。まじめに働くことは勤勉・美徳であり、働くことはこのうえなく素晴らしいことなのだ。しかしこれは古代ギリシャ時代にはまったく考えられない真逆の価値観である。

  産業革命以前には、個性や類型としてのスラッカーというものは存在しなかった。古代ギリシャ・ローマ・中東の文明において、労働とは概して呪いと考えられ、...... 労働だけでは、それ自体には何の名誉もなく、したがって美徳という最高の価値を与えられることもない。(p26) *1


 古代ギリシャ文化における労働とは、堕落した世界のなかで死すべき人間に課せられた呪いであり、奴隷の領分、頽廃の罰、あるいは債務であった。そこには今日の私たちが知るような労働観はなく、ただ強制のかたちがあるだけだ。(p27)

労働の規範化(=宗教化)

「労働の規範化」の源流にはユダヤキリスト教がある。労働は神から与えられた呪い(原罪に対する罰)とされ、労働することは神からの命令であり、それに背くことは罪となる。ここから「怠惰」は「七つの大罪」のひとつとなった。労働の規範化の背景には「労働の宗教化」があったのだ。労働と道徳が結びつく以前に、労働は宗教と結びついていた。

 創世記のなかで、神はアダムとイヴをエデンの園から追放するとき、彼らに多くの呪いを掛ける。イヴには出産の苦しみと夫への服従を与え、ふたりには「君は額に汗してパンを食(くら)う」と告げ、労働生活を与える。つまり生存に不可欠な労働とは、ユダヤキリスト教の伝統にあっては最初の呪いであり、原罪に対する罪なのである。(p27)

 パウロはテサロニケ人に向けて「働きたくない者は、食べてはならない」と言った。これがよく知られる「働かざるもの食うべからず」の原型である。パウロは労働の規範化を推しすすめた最初のスポークスマンである。
  労働の規範化(=宗教化)の流れは、ルターやカルヴァンなどの宗教思想(16世紀以降の宗教改革)によって「天職」という概念に結びつく。《天職という概念の新しさは、人間の生涯の仕事を「個人の道徳的活動がとりうる最高次の形態」に変えたところにある。》  
 かくして、労働は道徳活動の最高次の形態となり、ここから「資本主義の精神」(勤労主義)がうまれることになる。

貧困の道徳化

  労働の規範化はその源流をさかのぼると、およそ2000年以上の歴史をもつ。と同時に、「怠惰」の歴史も同じだけの歴史をもっている。「怠惰」とみなされた者は、その出自からつねに「道徳に反する逸脱者」のレッテルを貼られてきた。怠惰な者が「スラッカー」(怠惰主義)として反体制の意味をおび、対抗文化の表舞台に登場するのは1960年代以降であり、アイデンティティとして定着するのは1980年〜90年代である。それ以前、怠惰な者は道徳的逸脱者、あるいは法を犯す「犯罪者」という扱いをうけてきた。

 産業革命以降、農業は合理化され大量の農民が土地を追われて都市に流れていった。この過程で農業従事者は工場労働者への適応を迫られ、工場労働に適応できなかった者は必然的に「浮浪者」となる。
 この歴史的産業構造の激変によって、浮浪者の「貧困」という新しい問題が発生する。農業社会では飢饉や飢餓が問題となったが、それは自然現象が生みだすものであった。だが、貧困問題は工場労働という賃労働が生みだす人為的な現象である(この問題は現代にまで引き継がれることになる)。
 この時代、貧困の原因はおおむね四つに分類された。「高齢、不運、未成熟、悪癖」である。そして、《 労働には耐えられない高齢者や幼児たち、あるいは身体的・精神的に障害のある者たちは、施しを受けるに値する。しかし、みずからの悪癖ゆえに貧しい者......は、生きるために働かなくてはならない》とされた。この段階ですでに「貧困は自己責任」(=貧困の道徳化)という発想が存在していたと言える。
 とくに問題とされたのは「悪癖」である。工場労働に適応できない浮浪者は悪癖のある自堕落な者とみなされ、労働倫理の逸脱者として処罰や強制的感化の対象となった。
 19世紀前半には貧困問題に対応するための方策として、二つの相反する施設が生まれる。働けない浮浪者に施しを与える救貧院と、働けない浮浪者に就労を迫る勤労院である。救貧院は福祉の源流であり、勤労院は反福祉の源流となる。《... 勤労院のほうは、貧困者たちがみずからの貧しさを原動力とし、労働を通じて自活するように設計されていた。》
 時代の流れとしては、「働けない怠惰な浮浪者」は法的に処罰される傾向が強くなり「救貧院から勤労院へ」という反福祉の方向へと傾いていく。《こうした者たちを、働かせもせず救貧院に置いてやれば、「いつまで経っても軽率に浪費し、好き放題やりなさいと、効果的にそそのかしているようなものである」。》
 おそらく、この時代の「浮浪者」は「働かない者」ではなく「働けない者」であったはずだ。しかし「働けない者」を高齢者や障害者だけに限定し、それ以外は「働かない怠惰な者」とみなされた。現代の日本社会にも「生活保護は本当に貧しいひとだけが受けるもの」という発想が根づよく存在し、「貧困は自己責任」であると考える傾向が強い。労働や福祉にまつわるその種の道徳的バッシングは、少なくとも19世紀頃にはすでにあったと考えられる。生活保護バッシングの歴史の根は、労働倫理の定着の歴史と軌を一にしている。その源流は2000年の歴史をもつ「働かざるもの食うべからず」(パウロ)のキリスト教倫理にまでさかのぼることができる。
 貧困問題とは、たんに「生活が苦しい(生活困窮)」という状態だけを意味するのではない。貧困は労働倫理を介して道徳規範と結びついている。つまり、労働が規範化されているように貧困も規範化されているのだ。貧困は「労働倫理を果たせない者」という規範的逸脱の感情(スティグマ)を生みだす。ここから日本社会では「恥」の概念と結びつき、「福祉の世話になりたくない」といったセルフ・スティグマを内面化してしまうのである。

結論

「労働の規範化」はかくも人びとを不幸にする。問題は「働くか/働かないか」ではない。労働が問題なのではなく、労働が道徳と結びつき勤労主義化すること、つまり「勤労/怠惰」という規範問題が私たちを生きづらくしているのである。そこで「スラッカー」はあえて「怠惰」という反道徳を選択する。スラッカーの最大の目的は労働と道徳の分離にある。スラッカーをめざすことは反道徳という倫理を志向することであり「怠惰の倫理」は労働の脱道徳化を実践する営みとなる。これは2000年以上の歴史をもつ労働倫理への挑戦となる。労働は道徳ではない。(了)

....ラファルグは、これまで書かれたなかでもっとも偉大な反労働論のひとつ『怠ける権利』を上梓する。彼はこの四十ページのパンフレットのなかで、一日三時間を超える労働を法律で禁止することを提案している。労働倫理への敵視は、労働倫理よりも長く、由緒正しい歴史があると書いている。ギリシャ人は労働を嫌い、怠惰を称揚した。(p162)

 ラファルグは、労働の倫理的な価値を信じることで、自分たちの首を締めるような抑圧に加担してはならないと労働者たちに訴える。...... 絵を描き、音楽を演奏し、哲学的思索にふけり、詩を書くようにと彼は助言する。そしてそれを労働や商業活動の一環として行うでのはなく、楽しむために行うのだ。よりよい世界の人々が二、三時間の労働を終えた後にすることとは、まさしくこれであろう。(p163-4)

 

 

 

*1:すべての引用はトム・ルッツ著『働かない ー「怠けもの」と呼ばれた人たち 』(青土社,2006年)。