おんざまゆげ

@スラッカーの思想

「自己啓発的サバイバリズム」の時代—「無理ゲー社会」と自己啓発の親和性—

 最近、『ハッピークラシー――「幸せ」願望に支配される日常』(みすず書房,2022年)を読んでいて、はたと気づかされたことがある。それはその本の原注 p16(第二章 脚注60)に書かれていたのだが、概ね次のような指摘である。社会が生きづらくなればなるほど自己閉塞的にサバイバリズム(=生き延びること)に執着していく傾向にあり、《サバイバリストの自己啓発書がサバイバリズムや冒険や助言の裏で提示するのは、個人的な充足へのこだわり、内省、そして「ただやりすごしたり、生き残ったり、社会的圧力から完全に抜け出したりする(楽な)作戦」という条件つきで夢を追求することを組み合わせた個人主義的なビジョンだ》…。

 つまり、社会の生きづらさをサバイブするために、社会を変えるのではなく自分を変えること(=自己啓発的サバイバリズム)が「幸福」という概念によって誘引されるようになる。この本では「ポジティブ心理学(個人的な幸福を追求する科学)新自由主義の特徴的傾向(自己啓発・セルフヘルプ・自己責任)がいかに親和的かを批判しており、ここから「生きづらい社会をいかに生き延びるか」(=サバイバリズム)という傾向が自己啓発的傾向に陥っていくことに警鐘をならしている。

 

 わたしはずっと左翼界隈を生きてきたので、その指摘に合点がいった。たとえば、「生きづらい社会をなんとかして変えよう!」とアジりながら革命的なノリで意気込んでいたひとたちがある日突然「しょせん何をやっても社会なんて変わらないよ」と言い出して自己啓発的なサバイバリストに転向していったケースをたくさん目撃している。そういうひとたちは前述した非政治的な「自己啓発的サバイバリスト」になり、「いい感じ」に生き延びているひとたちに憧れていった。

 ホリエモンひろゆき、プロ奢ラレヤー、山奥ニート素人の乱、寝そべり族……等々である。これは「日本維新の会」に人気が集まっている傾向とも関係していると思う。もともと左翼っぽいひとたちだってそうなってしまうのだから、今どきのノンポリの若者なんてなおさら維新を支持してしまうだろう。 *1

 

 わたしがまっさきに想像したひとは、作家の橘玲さんだ。このひとはもともと小説家としてデビューしており、自己啓発っぽくてセルフヘルプっぽい本を何冊か出したあと、『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』(幻冬舎,2010年)、『言ってはいけない—残酷すぎる真実』(新潮新書,2016年)、『無理ゲー社会』(小学館新書,2021年)、『裏道を行け ディストピア世界をHACKする』(講談社現代新書,2021年)などを上梓している。支持者の多い人気作家だ。

 このひとが主張していることはタイトルから見てもわかるとおり、非常にシンプルだ。日本社会はもはや「無理ゲー社会」であり、何をやろうが絶対に変わらない。選挙をしても社会運動(デモ)をしても変わらない(現に日本社会は3.11以降何も変わっていない)。ならば、そのような無理ゲー社会を個人的に賢くサバイブしよう! 自分の身は自分で守るしかない! まさにセルフヘルプの思想である。

 思えば「希望格差社会」とか言われだした頃から、そういう傾向になるのは仕方ないことだった。今や時代の趨勢は「自己啓発的サバイバリズム」である。どのような社会階層(勝ち組/負け組)であれ、上昇志向的、あるいはドロップアウト的であれ、「ただやりすごしたり、生き残ったり、社会的圧力から完全に抜け出したりする(楽な)作戦」をめざすことに変わりはない。YouTuber的なものが人気の職業になり、そういったひとたちが「ひろゆき」や「日本維新の会」を支持したりするのもそういった理由からだろう。(詳細は以下の記事を参照のこと)

 


自己啓発的サバイバリズム」の傾向を論難したり、その流れに抗ったりすることは非常にむずかしいと思っている。なぜなら、日本社会が「無理ゲー」だということはもはや誰もが実感的に知っている揺るぎない事実だからだ。そして、この「無理ゲー社会」にたいして、生活的に恵まれたリベラル左派が無頓着に偉そうなことを言い続けているかぎり「日本維新の会」が人気になっていく流れも止められないだろう。

 時代がそうなら、生存権を主張するような左翼は再分配政策(大きな政府福祉国家)による社民的改良主義を主張しても虚しいのかもしれない。もうそんな政策は実現不可能なのだから。ありそうなのは、自己変革が社会変革につながるようなジョン・ホロウェイ的な第三の道(ミーイズムに陥らないようなサバイバリズム・生存=社会文化運動)、実践的アナキズムや左派リバタリアニズムだろうか…。

 ほとんど処方箋はない。たぶん、問題になっているのは政治哲学でも正義論でも人権論でもないのかもしれない。たんに「自分だけ生き延びることだけを考えよう!」というミーイズム的な「自己啓発的サバイバリズム」が嫌なひとはそれに(個人的な美学で)抗いつづけるだけである。

 

*1:素人の乱」や「寝そべり族」は正確には文化的・政治的な運動であるが、そのノリに影響を受けるフォロワーには非政治的で自己充足的なサバイバリストが多かったりする。